癇癪狼
適当な場所でお昼を食べ、ベリスロートから自宅に帰ってきたメリィは浮かれている。
理由は簡単で、家という非常にプライベートな空間でならばタップリとロイに甘えることができると思ったからだ。
『ただいま』
ワフワフと大きく尻尾を振り、勢いで一日留守にしていた我が家に挨拶をする。
すると、誰もいないはずの家の中から、
「おかえり、メリィちゃん」
と、明るく挨拶を返してくる声が聞こえた。
笑いの含まれる軽やかで可愛らしい声。
何よりも不在中のお宅に勝手に作った合鍵で入り込み、あたかも家人かのように振舞う暴挙。
確かめるまでもなく、声の主はエレメールである。
『エレメール、何をしているの?』
ロイとの甘い午後に水を差されたのが気に入らず、不機嫌になったメリィがリビングのドアを開いて中で優雅にお茶を啜っているエレメールを睨みつける。
尻尾もブン! ブン! と大きく振られており、苛立った心が前面に押し出されていた。
しかし、エレメールの方は相変わらず呑気なもので、メリィの姿を確認するなり、
「メリィちゃん! 久しぶりね!」
と、無邪気な笑顔を浮かべた。
『久しぶりじゃない。この間も来た』
「この間もって……一週間も経っていれば久しぶりになるのよ。これでもお姉ちゃん、メリィちゃんを気遣って、お家に行きすぎないようにしてるのに!」
『最近、家にくる頻度高い。エレメールはもう、来ないで。一ヶ月に一回くらいにして』
「ええ!? メリィちゃん酷い!!」
ガァン! とショックの表情を浮かべるエレメールに対し、腹の虫がおさまらないメリィはツンと顔を背けている。
テレパシーは双方向的なものでメリィとエレメール間、あるいはメリィとロイ間では利用できるが、エレメール、ロイ間では利用することはできない。
しかし、メリィとテレパシーできている状態の者であれば、自分に向けた物でなくても彼女が放った言葉を受け取ることができる。
そのため、初めて二人の会話を聞き取れたロイは喧嘩の内容を聞いて、
「相変わらずだな」
と、苦笑いを浮かべた。
乾いた表情のロイにエレメールがムッと口角を下げる。
「何よ、ロイ君なんてメリィちゃんに引っ付いてるだけのヒモヒモペットのくせに。や~い! や~い!」
どうやらエレメール、メリィに攻撃することはできないため、彼女で溜まったストレスをロイで発散することにしたらしい。
普段ならば小馬鹿にされまくれば頭に血を上らせ、エレメールに応戦するロイだが、今回ばかりは彼女に何を言われようと涼しい顔をしている。
特にエレメールからのペット発言に対しては鼻で笑うほどの余裕を見せていた。
欲しい反応が貰えなかった上にエレメールが目を吊り上げ、あからさまにいらだちを強くしていく。
「何よ余裕ぶっちゃって! メリィちゃんの前だからって格好つけてるの、本当にだっさ~い! ださださ~!」
わざと軽い調子で揶揄うエレメールだが、こめかみには青筋が浮いているし口の端もピクピクと痙攣している。
どうやら、ロイを余裕で煽るという態度は崩したくないが憤怒を見に溜めているが故に調子が狂いそうになっているらしい。
必死になるエレメールを見て、ロイはつい、ハハと乾いた笑いを溢してしまった。
「悪いな、エレメール。もう俺はメリィのペットじゃねえんだよ」
「ハァ!? ペットじゃない? と、いうことは……もしかしてメリィちゃん、ロイ君を捨てることにしたの!? やっと正気を取り戻してくれたのね! そうよね、人間風情なんて食べる目的じゃなければ近寄りたくもないもんね。うん、うん、お姉ちゃん、凄く良い考えだと思うよ~!!」
キャー! と弾んだ声を上げて、着ぐるみに抱き着く幼子がごとくバフッとメリィに飛びつき、彼女を抱き締める。
エレメールは姉妹揃って感情が駄々洩れな狼の尻尾を嬉しそうにワフワフと振っているが、反対にメリィの尻尾は不機嫌に揺れたままで、頬ずりを繰り返すエレメールの頬を肩手でつかんで遠ざけていた。
『エレメールうるさい。それと、ロイはペットじゃない』
「え~、じゃあ、インテリアか、小物か、動く非常食? なんでもいいわよ、メリィちゃんがロイ君を捨ててくれるなら」
『捨てない』
メリィがハッキリと告げると、エレメールが「え?」と固まった。
先程は早とちりしたエレメールだが、元は勘が鋭く野性味の強い女性だ。
メリィの態度で何か自分に不利益な事が起こると察したのだろう。
「捨てないって、メリィちゃん、どういうこと?」
目を大きく見開き、酷く動揺した表情で恐る恐るメリィの顔を覗き込む。
しかし、悪い予感に怯えるエレメールにトドメを売ったのは彼女の愛しい妹ではなく小憎たらしいロイだった。
「残念だったな、エレメール。俺とメリィは恋人になったんだよ。もう、俺はペットじゃなくて、メリィの彼氏なんだ。だから、お前にいくらヒモヒモペットと罵られようが、俺はもう、傷つかねえよ」
物語に登場する悪役のようにニタリと口角を上げたロイが、処刑宣告でもするかの勢いでエレメールにメリィとのお付き合いを報告する。
するとエレメールの方も、「そんな……!」と悲痛な声を上げ、真っ青になって震え始めた。
『ロイ、嬉しそう』
『まあ、エレメールには散々、揶揄われてきたからな。いいだろ、このくらい煽ったって』
『いいと思う』
心が通じ合っている証明をするかの如く、ロイが露骨にテレパシーを使い始める。
一人きりでは成立しないメリィの独り言じみたテレパシーを聞きとって事情を完全に理解したエレメールが膝から崩れ落ちた。
「そんな、だって、私のかわいいメリィちゃんが、ロイ君ごときに……」
呆然と床の上にへたり込み、ブツブツと何事かを呟くエレメールが酷く不穏だ。
せいぜい、「酷い! 酷い! メリィちゃんとロイ君のバカァ~!」と、泣きわめくばかりだと思っていたエレメールが本気で傷心しているのを見て、少し彼女のことが心配になったロイが、
「なあ、おい、そんなに凹まなくたっていいだろ?」
と、声をかける。
すると、ロイの声を聞いたエレメールがバッと顔を上げ、鋭く彼を睨みつけた。
意外にも涙の浮いていない瞳に映る彼女の感情は強い殺意だ。
「———」
低い声が魔族の言葉を呟く。
誰かに翻訳してもらうまでもなくロイは言葉の意味を知った。
殺してやる、と言ったのだ。
エレメールが人間の骨格を残したままメキメキと音を立てて姿を変え、狼化していく。
鼻ごと長く伸び、犬のマズルのようになった口元からはギザギザと鋭い牙を光らせ、隙間から泡状の唾液を溢す。
全身に固く短い狼の毛を生やし、鋭利な鍵爪も伸ばした。
虚ろなケダモノの瞳と目が合った瞬間、ロイの脳裏に、かつて彼女に殺されかけた時の記憶が走馬灯のように浮かんだ。
ケダモノの俊敏さで素早く立ち上がったエレメールが一切の躊躇なく伸ばした鍵爪でロイの首を引き裂こうと走り出す。
しかし、既にエレメールの動きを読んでいたメリィが背後から踵落としを食らわせると彼女は床に叩きつけられ、うつぶせに寝転がることとなった。
メリィが自身の影から出したスライムを使ってエレメールの四肢を床に固定し、トドメを指すように彼女の背中を容赦なく踏みつける。
すると、激しい衝撃と共に体を圧迫されたエレメールが声なき短い悲鳴を上げ、床に唾液を吐いた。
明らかに劣勢となったエレメールだが、今回ばかりはロイの殺害に対する思い入れが強いようで、執念深く鍵爪で床を引っ掻き、恨めしそうに彼を睨みつけている。
メリィの方が優勢ではあるものの、決して気は抜けないほど場は緊迫していた。
『エレメール、止めて』
瀕死の虫のように床の上で蠢き、ロイの首元を凝視するエレメールをメリィが短く叱りつける。
すると、エレメールが獣化して初めてロイから目を離し、後方を見上げてメリィを睨みつけた。
「だって!」
喉から血が出んばかりの勢いで吠えるエレメールに対し、メリィは一歩も引かずに彼女を見つめ返した。
『だってじゃない。ロイは私の大切。殺されたら苦しい』
「だって、でも、そうしたらメリィちゃん、死んじゃうじゃない! 私よりずっと、ずっと早くに死んじゃうじゃない!!」
つり上がったまなじりからボロボロと涙を溢すエレメールに対し、メリィは呆れたような溜息を吐いているが、ロイの方は看過できない言葉にギョッと目を丸くしている。
「は!? え? メリィ、死ぬの? なんで? 魔族と人間は結ばれちゃいけないとか、そういう掟でもあるの?」
驚き過ぎて疑問が口から零れだすロイを泣きじゃくるエレメールがギロッと睨みつけ、メリィが無表情に首を横に振る。
『違う。そっか、ロイには説明してなかったか』
少し長くなるけど、と前置きをして、メリィはロイに魔族の寿命譲渡システムを説明した。
『ロイにあげたら、寿命はとり返せない。順当にいけばあと四百年は生きられた命が、ロイにあげることで二百年になる。エレメールの言葉は、そういうこと』
淡々とした説明を受け、改めてメリィに残された時間が酷く短くなることを突きつけられたエレメールが静かに涙を溢した。
ロイは茫然として固まっている。
『ロイ、キスしよう。寿命あげたいし、マーキングもつけ直さなくちゃいけないから。これから、たくさんキスをしよう』
スライムの量と厚さを増やし、エレメールへの拘束を激しくしたメリィが彼女の背中から足を下ろし、ロイの方へ歩み寄った。
反対に急な情報で混乱しているロイがメリィから距離をとろうと後退り、壁際へ追い詰められていく。
『ロイ、どうして逃げるの? 私とのキスは嫌?』
悲しそうなメリィが耳をへたりこませ、尻尾を切なそうに揺らす。
ロイは慌ててブンブンと首を横に振った。
「ち、ちげぇよ! ただ、だって、俺とキスをしたらお前、寿命が減るんだろ。それでいいのかよ」
『正確には、私が魔力と一緒に寿命も流し込んで、ロイもそれを受け取ったら寿命が減る』
「おんなじことだろ! だって、お前……」
迫りくるメリィの両肩に手のひらを置き、軽く動きを制止させれば彼女もロイに従って止まる。
代わりに、相変わらず寂しそうに耳と尻尾をへたらせたままでロイの顔を見つめた。
『だって、何?』
「……だって俺は、エレメールの言う通り、卑しい人間なんだ。俺だってさ、生きてられるならいつまでも生きていてえよ。そしたらさ、メリィの寿命が縮むって分かってても、貰っちまう。そしたらキスで寿命が減るのと一緒じゃねえか」
自己嫌悪が混ざったようなロイの言葉は真剣で、苦しそうに目を伏せる。
しかし、これに対してメリィは上機嫌に尻尾を揺らした。
『ロイ、嬉しい』
「嬉しいって、何が?」
『ロイが生きたいって思ってくれることと、私の命を真剣に考えてくれていること。ロイ、私はロイがいなくなった人生を楽しいとは思えない。だから、できるだけ死ぬときは一緒が良い。ロイ、私はどうしてもロイと寿命を半分越したい。ロイ、受け取ってくれる?』
いつも通り無表情に近いメリィの顔だが、よく見れば瞳は嬉しそうに輝いていて、頬もほんの少し赤く染まっている。
何より、耳までご機嫌に忙しなく揺れていた。
「分かった、ありがたくもらうよ」
頷けば、メリィが「良かった」と微笑んだ。
柔らかく目の細まった、メリィの心から幸せそうな笑顔だ。
『メリィが笑ってる』
ほとんど初に近いメリィの微笑みにロイがピシッと固まる。
そうしてロイが笑顔に見惚れている内にメリィが彼の顔を引き寄せて、そっと唇を重ねる。
寿命を渡すということで気合が入っているのか、今回のキスは普段よりさらに激しい。
『ロイ、好き、ロイ』
キスを深くすることに夢中になるメリィの背後でエレメールが床に這いつくばったまま、掠れた悲鳴を上げる。
エレメールには、魔力と一緒にロイへ寿命が流れ出したのが見えてしまったのだ。
しかし、ロイはロイで激しいメリィに呼応するのに必死であるため、二人ともエレメールの悲痛な姿には気がつかない。
やがて、愛情いっぱいのキスを終え、真っ赤な顔で吐息を漏らしながら緩く抱き合う二人の背後で床をぶち抜き、スライムの拘束を抜け出したエレメールがヨロつきながら立ち上がった。
相変わらず獣化を解いていない姿にメリィが緊張を強め、ロイを背にかばうようにして腕を広げる。
しかし、大きくなる警戒心とは対照的にゆらりと持ち上がったエレメールの顔面は元の可愛らしい物に戻っていて、代わりにいつもの調子でボロボロと涙を溢しながら泣きじゃくっていた。
「お馬鹿な、お馬鹿なメリィちゃんなんか知らないんだから! バカバカバカ!! 二人とも馬鹿!! もう知らない! 知らないんだからね!!」
幼児の様に泣きじゃくり、力いっぱい地団太を踏んで床に与え得る限りの暴行を加えたエレメールが大きく羽を広げ、近場の窓を破って外へ逃げていく。
『派手にやったな……』
エレメールが完全に去った後、バリバリに割れて大きな空洞へと変貌した元窓を眺め、ロイが呆然とした様子で言葉を出した。
『多分、少しでも憂さ晴らしをしたかったんだと思う。このままロイとイチャイチャしようと思ってたのに、急いで床と窓を修復しなきゃいけなくなった。水、差された。エレメールの馬鹿』
ぶつくさと文句を言い、ビタン、ビタンと不機嫌な猫のように尻尾を暴れさせるメリィが掃除用具をとりに棚の方へ向かう。
ロイも慌てて彼女の後を追った。
『エレメール、ガチギレだったな』
『そうだね。でも、私のこと、エレメールにとやかく言われる覚えはない』
ポコポコと怒り、ガラスの破片を塵取りにとっていくメリィだが、ロイは泣きじゃくっていたエレメールに思いを馳せた・
子供っぽいエレメールだったからこそ、どうしても自分の大好きな人が自分よりも先に亡くなるという状況に理不尽さを覚え、耐えきれなくて暴れてしまったのだろう。
自分を何度も殺しかけた相手だが、心情を思うと少し同情してしまった。
『エレメール、大丈夫かな?』
独り言のようにポツリと放った脳内の言葉は、メリィまで届いていたらしい。
『多分、大丈夫。だって、最後は獣化を解いていたし、ロイを襲わなかったから。多分、エレメールなりに私の言いたい事、分かってくれたんだと思う。多分、おそらく』
『多分とか恐らくとか、そんな言葉ばっかりなのが怖いんだけど?』
『だって、エレメールだから。信用できない。すぐに人が言った言葉を忘れるし、怒りっぽいし、子どもっぽいし』
無表情に頬を膨らませるメリィを見て、ロイが苦笑いを浮かべる。
しかし、強まる二人の警戒心に対し、この日以降エレメールが癇癪を起してロイに殺意を向けることはなかった。
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