薬局にて

 メリィに連れられてやってきた薬局はレンガ作りの温かみのある外観をしていて、中に入ると薬の香りは強烈だが真っ白な壁に囲まれた清潔感のある店だった。

 店の真ん中には客用の小さな待機場があり、壁には雑誌や児童書、絵本などが入った棚が設置されている。

 ぬいぐるみや積木などが置かれている幼児、児童用スペースがあるのを見るに、日常的に子供がよくやって来る薬局なのかもしれない。

 薬局に取り付けられている大きな窓や強化ガラスのドア越しに見た店内はがらんどうで、てっきりロイは客の少ない時間帯にうまく店を訪れることができたのかと考えたのだが、実情は異なるようだ。

 カランコロンと楽しい鈴の音が鳴る扉を開き、中に一歩足を踏み入れた途端、

「———! ——————!!」

 という、魔族の激しい怒鳴り声が聞こえてきた。

 耳をすませば他にも、狂った馬鹿の一つ覚えのように、

「金出せよ! 金出せよ!」

 と、怒鳴り続けている男性の声や、

「そうだそうだ! 薬も出せよぉ!!」

 と、二人に同調している男性の声も聞こえてくる。

 ロイが恐る恐る中を覗くと、無駄に立派な体格をして無精ひげを生やした、見るからに悪そうな姿のボスっぽい魔族と、その取り巻きと思われるヒョロリとした情けない体格の魔族が二人、カウンターで怯えている店員の女性にからんでいた。

『仲だけは良さそうだな……』

 三人お揃いで着ている、ペラペラ生地に色違いの大きな花が印刷されたシャツや息ピッタリな捲し立てを見て、ロイがそっと現実逃避をしてしまう。

 本来、町の中など「人間を襲ってはいけないエリア」の中では人間を食べたりいたぶったりすることが禁止されているのだが、同時に人間の間で犯罪行為とされていることを魔族が人間に対して行うことも禁止されている。

 現在、非常にアホそうなチンピラ魔族三人組が女性に行っている恐喝なども立派な違反行為に入る。

 魔族の違反に対する罰則は厳しいため、女性が町の兵士らに被害届等を出せばチンピラ三人組はパスポートをはく奪された上、一定期間、人間の町から追放されるだろう。

 だが、実際には魔族による報復を恐れたり、まともに兵士に取り合ってもらえなかったりといった状況から、被害届を出すことを諦めてしまう人も少なくない。

 また、そもそも魔族の違反行為に罰則を与えられると知らない住人も数多く、魔族の違反行為が実際に取り締まられるということはあまりなかった。

 その結果、ベリスロートではよほどの違反行為をしなければ魔族は野放しにされた状態で自由に町を闊歩し、好き勝手に振舞えるという異常な状態が続いており、魔族が異様に怖がられる事態が発生していた。

 その勢いは、人間たちの精神と肉体の不安を取り除くために魔族禁止の店や賃貸があるほどだ。

 メリィのように無害な魔族でも存在するだけで怖がられ、周囲から遠巻きにされてしまう理由もここにある。

 さて、そんなベリスロートだからこそ、人々は決して魔族の被害に遭わないようにと警戒心を高めて日々を過ごしている。

 薬局から店員以外の人間が消え失せていたのも、とばっちりを恐れた客たちがそそくさと店から逃げ出したからだろう。

 ロイとて顔を真っ青にして涙目で震え、頭をカルテでガードしながら必死に魔族へ対抗している女性に何も思わないわけではなかったが、自分一人が突っ込んで行っても被害者が増えるだけであることを思うと、足が動かなかった。

『店員さん、また被害に遭ってる』

 イライラと尻尾を揺らしたメリィが硬直するロイの隣をアッサリと追い抜いて、カウンターの方まで向かって行く。

 そして、ボスっぽい魔族の真後ろに立つと、なんの合図も無しにいきなり魔族の後頭部をビンタした。

「———!?」

 メリィのビンタは強烈だ。

 屈強そうな魔族でも一度大きく頭を振り下げてしまうほどの威力があったのだが、ボスにはボスなりの意地があるのか、体をグラつかせながら振り返ってメリィを睨みつけ、怒鳴り声を上げた。

 しかし、憤怒の表情を見せるボスも、怒鳴った瞬間に大きなでっぱりの目立つ喉元へナイフを突きつけられ、ピタリと動きを止めた。

 切りつけられてもいないのに、酷い緊張感からかボスはコヒュッ、コヒュッと息を吐きだす。

 魔族が人間を痛めつけることは許されていないが、エリア内でも人間に迷惑をかけることさえなければ、魔族同士で暴力を振るい合うことは認められている。

 血の気が多く、仲間意識がほとんどといっていいほどない魔族の間では互いにしかれているルールも緩く、自治権的なものが慣習的に認められているからだ。

 エリア内であっても、魔族しかかかわっていない事象には魔族の法が適用される。

 そのため、メリィがボスをぶん殴ろうが、反対に彼女がボスによって痛めつけられようが、魔族の法が許せば双方とも無罪となり怪我等は自己責任として処分される。

 さて、そんな事情もあってチンピラのボスをぶん殴ったメリィなのだが、どこをどう客観視しても彼や他の取り巻きとメリィとでは、明らかに彼女の方が格上だ。

 おまけにハーフのメリィはともかく純粋な魔族である彼らが彼女に暴力を振るえば、生まれ持つ性質上、彼らの方が甚大ではない被害を受けることになる。

 そのためチンピラたちは、

「———! ———! ———!(ふざけんなよ! このクソガキが! 次はぶちのめしてやる)」

 とか、

「こんなしみったれた店の薬なんかいらねーよ! バーカ!」

 などと実に小物らしい悪態をついて、そそくさと薬局から逃げて行った。

 流れるような勧善懲悪を見て、ついあっけにとられていたロイだが、ハッと正気を取り戻すとメリィの隣へ戻っていく。

「偉かったな、メリィ。怪我とかはしてないか?」

『平気!!』

 褒められたのがよほど嬉しかったのか、フンフンと鼻息を荒くし、ブンブンと尻尾を振るメリィはどことなく誇らしげだ。

 ロイはそんな彼女の手のひらが心配になって、怪我の有無を確認し始めた。

 そして、赤くなってないよな? 興奮して手が熱くなってるだけか? と、首を傾げていると、パタパタとカウンターの奥から駆けてきた店員の女性がロイからメリィの手を取り返して両手でキュッと包み込んだ。

「魔族さん! 来てくれたんですか!? いつもよりも早いご来店ですね!! 丁度いらっしゃってくれて助かりましたよ! 魔族さんはいつもいいタイミングでいらっしゃってくれるので助かっています!」

 お礼のマシンガント―クを飛ばし、涙目になる店員はいたく感激した様子で、ギュムム~ッとメリィの両手を握り込んでいる。

 感謝の大きさをそのまま握力に変換しているのか、店員のガサついた手の甲にはビキビキと欠陥が浮いていた。

 彼女の固く大きなタコの出来た両手は、調剤時に薬研でゴリゴリと固い材料を擦り潰したり、すり鉢を使いまくったりして培ったとんでもない数値の握力が宿っている。

 常連の間では「感謝で殺される」と話題になるほど狂暴な握手をみせる店員なのだが、魔族よりの強靭な肉体を持つメリィはアッサリとお礼を受け取るとコクリと頷いて見せた。

 そして、スルリと店員の両手の中から自身の手を抜き取ると、そのまま大きな机のあるカウンターへ向かって行き、リュックサックを下ろす。

 そのまま流れるように店員の方を振り返り、親指と人差し指の先をくっつけた円マークを作ってフリフリと振った。

 すると、どうにもそそっかしい性格らしい彼女が、

「あっ! 薬草をお売りになるんですね! ただいま!」

 と、元気よく声を上げてパタパタとカウンターの中へ駆けて行った。

 見ている分には明るくて可愛らしい態度の店員だが、客としては少々不安になる。

 彼女に薬草を売るならまだしも、薬を買うのは怖いな、とロイは苦笑いを浮かべていたのだが、意外にも換金作業に入ってからは一切、無駄口を叩かず黙々と仕事をしている店員を見ると感心した表情になった。

『これなら、あんまり換金にも時間がかからなさそうだな』

 次々に手渡される薬草に対して的確に素早く値段付けを行っていく店員を見て、ロイはホッと安心していたのだが、店員はメリィに少し複雑そうな造形の根菜を渡されると、ピタリと動きを止めた。

 きっと彼女は、カウンターでうっかり患者の病気に関わる情報を口から溢してしまわないように、日頃から気を付けて生活しているのだろう。

 半無意識的に口を手のひらで覆うと、無言で首を傾げ始めた。

 急に悩み始めた店員に、メリィも困って尻尾を不安そうに揺らし始める。

『店員さんが止まった。何か、変な物だったのかな?』

 メリィが無表情のままで店員を見つめていると、見かねたロイがチョイチョイと彼女の肩を叩いて、

「なあ、メリィ、普通にメモで話したら良くないか?」

 と耳打ちした。

 すると、今更ロイの存在に気がついたらしい彼女が、二人の仲睦まじそうな姿を見て「ふぇ!?」と驚愕の奇声を上げた。

「お兄さん、魔族さんのお連れ様だったんですね!? 魔族さんが人間を連れているところなんて、初めて見たからビックリしちゃいました!!」

「なるほど、そうだったんですね。俺は、ロイといいます。一応、メリィの……メリィの、そうですね、連れです」

 他人にペットを自称するのは恥ずかしかったので「連れ」という言葉で誤魔化しておく。

「なるほど~。私は薬剤師のモカです。そっか、魔族さんはメリィさんって名前だったんですね。あの、申し訳ないのですが、先ほどのロイさんの声が私にも聞こえてしまって。それで、その、メリィさんは筆談ができるんですか?」

「ええ。最近、人間の勉強をし始めたからできるはずですよ。なあ、メリィ?」

 確認をとるようにメリィの方をチラリと見れば、彼女は不思議そうにコテンと首を傾げている。

『二人とも、何の話?』

 どうやらメリィは人間の言葉を習ったばかりであるため、お喋り好きで声が高く、かなりの早口で話すモカと、それに合わせて普段よりも素早く言葉を出しているロイの会話を上手く聞き取ることができていなかったらしい。

 メリィのメモを読んだロイが「なるほどな」と頷いていると、二人の動きを訝しがったモカもカウンターからヒョコッと身を乗り出した。

「どうしたんですか?」

「いや、どうやら貴方の言葉は早口すぎてうまく聞き取れないみたいです。メリィにはゆっくり話してあげてください。それと、メリィは人間の言葉をある程度聞き取れるんですが、文字を読むことはできないので、すみませんが少し気を遣って会話をしていただけるとありがたいです」

 モカはロイの言葉にコクコクと頷くと、それからメリィに何らかの交渉を持ちかけに行った。

 話し出すとそそっかしく、同時におどおどとした印象になる彼女だが、仕事のこととなると急激にシャキッとする性格をしているらしい。

 背筋を伸ばしてハキハキと話す姿は立派であり、時折、談笑する姿まで見せていた。

 根菜の交渉も決断が早いメリィによってすんなりと終了したらしく、少し待てばモカが裏の方から札の束とズッシリ重そうな革の袋を持って来た。

 そして、メリィたちの目の前で札の枚数やコインの枚数を数えて行き、提示した金額と差し出す金額がピッタリと一致していることを示す。

 流石にモカの目の前で興奮するわけにはいかなかったが、ロイは触れたことのない大金にギョッと目を丸くして、心臓を跳ね上げていた。

 おまけに、

「それではメリィさん、申し訳ありませんが残りは次回までに用意しておきますね。その、少なくとも一か月後にお越しいただけると幸いです」

 と、眉を下げながら頭を下げるモカの言葉を聞くと、ロイはつい心の中で、

『まだあったんだ!?』

 と、ツッコミを入れてしまった。

 薬局の外に出てくると、メリィがパツンパツンになった二つの財布の内、若干薄い方を軽い調子でロイに放り投げて渡す。

「うわっ! お金はもうちょっと丁寧に扱え! というかコレ、貰っていいものなのか?」

 丁重に財布を手のひらで覆い、心配そうに問いかけるロイにメリィはコクリと頷いてみせた。

 どうにもあっさりとした態度のメリィを見て、ロイが何となくバツが悪そうに頭を掻く。

「悪いな、ありがとう。大事に使う。俺もなんか金を稼げる手段があればいいんだけどな。野菜は今すぐには難しいし、そこまで稼げるもんでもないし……とりあえず、次の薬草採取はちゃんと手伝うよ。俺も稼ぐ」

 ロイがグッと握りこぶしを作ってみせると、メリィは、

『ロイが一緒に薬草採取してくれるの嬉しい』

 と、両耳をブンブン振って喜んだ。

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