孤独な無口魔族ちゃん

 深い森の奥。

 うっそうと茂った森林を掻き分けるようにポッカリと丸く穴の開いた空間がある。

 唯一、広範囲に太陽光が当たるその場所には小さな木製の一軒家が立っていた。

 外には井戸が一つ。

 入り乱れた雑草は抜かれ、砂利で道も整備されているため、一軒家の周辺は混沌とした森から隔絶された異様な空間であるように映る。

 普段は来客など一人も来ない家の中では、魔族と人間のハーフであるメリィが慎ましやかに生活していた。

「おんなじ見た目でおんなじように話すの。人間は仲間じゃないの? 食べたくないよ」

 人間としての血の方が強かったメリィは同族に見える人間を食べられなかった。

「痛いことされたら、嫌だよ。可哀想だよ。苦しいの、見てても楽しくない」

 生き物を嬲ることに快楽を得られず、喜びを見いだせなかった。

 父親がメリィに食べさせようと嬲った瀕死の人間を必死に抱き抱え、フルフルと首を振って涙を溢した。

 メリィも一応は魔族だ。

 他者が人間を食らっているのを見る分には「そういうもんだ」とスルーすることができる。

 しかし、不必要に嬲られている姿やわざと絞り出させられた断末魔には耐えることができなかった。

 人間以外でも何でも、汚く嬲って貪る同族ばかりの故郷は彼女にとって地獄だ。

 その性質と性格から国を追放されたメリィだが、処分を言い渡された時には随分とホッとしたものである。

 一人で国を追われたのだから、もちろん仲間と切り離されたわけだが魔族としての協定もあるために人里からも引き離されている。

 大きな巻き角にギザギザの歯、人間の耳の代わりに生えた大きな狼耳やモフモフの尻尾のせいで簡単に魔族だとバレてしまうため、気軽に人間の町へ遊びに行くこともできない。

 追放されて以降は他者と会話すらしていなかった。

 まあ、訳があってメリィは声を出せないから、相手がいてもお喋りはできないのだが。

 人とも魔族とも関われない、野生生物とモサモサな植物しかない場所での生活は少々退屈だ。

 だが、メリィは周囲で生き物の脅かされることのない平穏な生活を気に入っていて、偶に実家から送られてくる仕送りと母親からの手紙を楽しみに日々を生きていた。

 いつまでも続く平坦な人生。

 これに変化が生じたのは、とある日の昼下がりのことだ。

 トントントンと普段は決して叩かれぬドアが唐突にノックされた。

『お客さん? 迷子? こんなところに?』

 読書中の本から顔を上げ、コテンと首を傾げながら玄関へと向かう。

 脳裏には数か月前にドアへ木の実をぶつけまくっていたリスがよぎっている。

『また小動物の悪戯だったら嫌だな。食べちゃうぞ、なんて』

 苦笑いを浮かべてゆっくりとドアを開くと、そこには全身に打撲と擦り傷を負い、わき腹から血を流した男性が倒れ込んでいた。

 衣服はボロボロになって擦り切れており、おまけに血液や泥、雑草で汚れているためかなり汚い。

 また、服の合間から覗く傷も酷く汚れており、抉れている箇所もある。

 うつぶせになったままうめくことも無かったため、一瞬、死んでいるのかと思ったがゆっくりと背中が浮き沈みしているから、まだ息はあるのだと察することができた。

 気絶中の憐れな男性は少し前にエレメールに痛めつけられたロイだ。

 メリィは予想外の珍客に目を丸くした。

『腕、折れてる』

 おかしな方向にひん曲がった腕を見て、思う。

『可哀そう』

 無表情な眉をほんの少しだけ八の字に曲げてロイを憐れんだ。

 生育環境が故か、メリィはグロイもの自体は見慣れている。

 そのため、随分と痛々しい姿のロイをまじまじと見つめ観察し始めた。

 目視できる範囲で一番深い傷はわき腹くらいで、頭には大した損傷が見られない。

 特に修復不可能な傷も見当たらない。

『治せないことは無さそう、どこもちぎれてないから。治してあげる』

 メリィは回復系の魔法を使うことができないが、趣味で怪我をした動物の手当てなどをしている。

 また、実家から薬や包帯の類も仕送りされているので、ロイを治すための準備は整っていた。

 服の内側など見えない箇所に大きな傷がある可能性も考慮に入れ、メリィは魔族特有の怪力でそっとロイを抱き上げるとベッドまで運び、テキパキと衣服を剥いだ。

『やっぱり。見た目は派手だけど、そんなに大変な怪我してない。ただ苦しめるためだけにつけられたみたいな傷……前にどこかで……分からないけど、魔族にでも襲われちゃったのかな? ここまで痛めつけたのに食べないなんて珍しいな。上手く逃げれたのかな?』

 泥の入り込んだ患部は随分と汚れていた。

 メリィは黙々と体を拭き、消毒等を行って静かに怪我の治療を進めていく。

 ロイが気絶したまま呻いても、ダラダラと脂汗を流しても、あるいは想像以上にグロテスクな傷が出てきても、メリィは顔色一つ変えずに怪我と向き合い続けた。

 夕焼けから茜色が入り込み始めた頃、ようやく治療が終わる。

 一仕事終えたメリィは泥と血まみれになったベッドの上で包帯を巻かれ、スヤスヤと眠り続ける男性を眺めていた。

 床には血液がベッタリとついた上、脱がせる関係で切り刻まれたい衣服が落っこちている。

『やっと終わった。部屋、汚くなっちゃった。まあ、しょうがないけど。片付けるか。不衛生な環境は怪我人にも悪いし』

 モサモサと汚れた布をカゴに入れ、散乱した治療器具を一度まとめてテーブルの上に置く。

 それから、ついでにロイの身体にまみれた脂汗を拭ってやろうと、綺麗な水に沈んだ清潔なタオルへ手を伸ばした。

「ぅ……うぅ……」

 固く絞って顔を拭い、怪我をしていない首回りや鎖骨の辺りを拭ってやると、ロイが小さく呻いて眉根を寄せた。

『冷たかったのか、ごめんね』

 謝るわりにタオルで拭うことはやめず、他にも太ももや腹、腰などの内、怪我をしていない部分を拭っていく。

 手足の指までキュッと拭うと、満足そうにタオルを桶の中へ返した。

 かなり綺麗な怪我人になったロイを分かりにくいドヤ顔でフフンと眺める。

 それからロイの茶色い短髪を撫でて、ふんわりと笑った。

『綺麗。すごく綺麗でかわいい子だ。人間の男性って、皆こんなに美人さんでかわいいのかな?』

 少し日焼けした白っぽい肌に、頬に浮いた柔らかな色合いのそばかす。

 静かに閉ざされた優しそうな目元。

 時折うめいて歪ませた大きな口にスッと通った鼻筋や長いまつ毛。

 畑仕事で培った筋肉のある、ガッシリとした体つきに少しくびれた太い腰回り。

 確かにロイはなかなかに格好良くて綺麗な容姿をしている。

 まあ、可愛いかどうかには、かなり疑問の余地があるが。

 ともかく、ロイの容姿がメリィの好みに突き刺さって、愛おしくて堪らなかった。

 また、ロイの容姿が好みであるのは間違いないが、治療中にうめいたり、眉根を寄せたりした表情や低い唸り声に愛らしさを感じてしまい、心臓を握り潰されて仕方がなかった。

 治療中には人知れずロイの「かわいさ」に悶えて瀕死になっていたくらいだ。

 だいぶ緊張が解けた今は、無表情ぎみだった真剣な瞳の奥に愛情を宿らせて歪ませている。

『イタズラしたい。どんな表情をする子なんだろう。鎖骨をカムカムってしたいけど、でも、怪我しているからな。無茶をさせたらだめだ……ちょっとだけ、ちゅーならいいかな?』

 ギザギザな牙の覗く小さな口元から熱い溜息を漏らす。

 上にかけていた真っ白いシーツを捲り、鎖骨を晒すと、その下の方に薄桃色の唇を寄せて触れるように乗せた。

 それから柔らかい舌先でペロリと肌を舐め、噛みたい心を殺してチュッと吸い上げる。

 その途端、ロイが、

「……んっ!」

 と、低く唸るように喉の奥を鳴らして不快そうに眉間に皺を寄せた。

 チラリと目視した唇が尖っていて、顎にまで皺が寄っているのが面白い。

『ごめん、ごめん』

 宥めるように赤い痕を舌先で舐めてもロイは嫌そうな表情のままだ。

 それが堪らなくて、メリィはもう一度キスをした。

 普段はあまり上がらない口角が歪に上がっている。

 頬も真っ赤に茹っていた。

『かわいい……なんてかわいい表情をする子なんだろう。意地悪したら、どんな反応するかな。エッチないじめ方をしたら、どういう風になる子なんだろ。怒るかな? 困るかな? 照れるかな? いっぱい表情が動いてお喋りする子がいいな。どうしよう。凄く好きな子だ。恋しちゃったのかもしれない』

 基本的に他の種族は虐げ、同族に対しても無関心であるのが魔族だ。

 ただ、魔族たちにも感情がないわけではないし、他者へ向ける愛情がまるっきり欠落しているわけでもない。

 魔族の冷酷さ、残忍さにも例外はある。

 魔族も恋をするし大切な友人、家族だっている。

 特に配偶者のことは大切にすることが多く、人間に恋をした場合はもちろん食べない……ことが多い。

 たまに好きすぎて髪や失っても大丈夫そうな部分を食べる者もいるが、どちらかというと強い残虐性が鳴りを潜めて落ち着くことの方が多いのだ。

 ちなみに、メリィはもともと人間の血の方が強いし性格も残酷ではないので、少し弄りたいとは思うが食べたり暴力的な事をしたり、監禁したりしようとは思っていない。

 ちなみに、それでも心臓にせり上がる薄いキュートアグレッションのようなものをメリィは魔族の本能だと思っているが、実際はただの個人的な性質である。

『懐いて欲しいな。かわいすぎる。甘やかして、偶にびっくりさせて、笑顔とか困ったとことか弱ったとことか幸せなとことか、いっぱい見たい。ギュッてして、ちゅってして、ガブッてしたい。頭を撫でて、いい子いい子したりしたい。好き。大好き。大好き。大好き。大好き』

 無表情な割に、漏れ出る呼吸がハァハァと荒くなる。

 ピンと立った耳が左右にせわしなく揺れ、大きな尻尾がブンブンと暴れて風を起こす。

 テンションが上がりすぎて瞳の縁に涙が零れ、ギザギザの歯に唾液を垂らした。

『いいよね、自分から拾われにきたんだし。人間のとこでは、落とし物を拾った人が貰ってもいいって法律があるところがあるって、聞いた気がするし。この人は私のにしちゃおう。かわいすぎるから、ずっと一緒』

 ロイを見つめていると全身の骨がへし折れてしまいそうなほど抱き締めたくなる。

 だが、別に傷つけたいわけではないので、せり上がった欲求を閉じ込めてメリィはロイのための食事を作りに台所へ向かった。

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