第四章 人喰い女神と里帰り

第四章 人食い女神と里帰り 1

 ――嵐とは、突然やってくるものだ。


「アリーさん……ッ!今日もし僕が、ルードさんに殺されそうになったら、庇ってくださいね!!!」


 ユルゲンスさんは慌ただしくギルドに駆け込んでくるなり、受付に立つ私に両手を合わせて頭を下げた。

 

「え?なに?どうしたんですか?」

「……何をやらかしたのかは知らないが、アリーを巻き込むな」


 ルードは手に紅茶のカップを持ったまま立ち上がり、ユルゲンスさんの首根っこをつかんでカウンターから引き剥がす。ちらりと見えた左手には私が作った刺繍のお守り紐が覗いていた。完成した日から、毎日つけてくれているらしい。

 

 ほっこりしていると、彼の後に続いて一人の男性が入ってきた。

 黒いマントにフードを目深に被った背の高い人だ。その肩から、一匹のハツカネズミが顔を出して鼻をひくつかせた。なんと、顔が三つある。三つ首の……ネズミ?

 その人は挨拶もなしに、ユルゲンスさんの背中に向かって言い放った。


「――なーぁにを泣き言ぬかしてるんだ!ユルゲンス!まったくもって情けない!――それでもオマエはオレの部下いぬか?」


 その声を聞いた瞬間、ルードの手から紅茶のカップが滑り落ちた。ガシャン、という音とともに茶色い液体が床に広がる。

 その音と同時に謎の人物はフード付きのマントをかなぐり捨てた。そこから現れたのは――光輝く金髪に、空のように底のしれない瞳を宿した……とびきり笑顔の美青年だった。


「やあやあやあ!」


 その人は、爽やかに手を振り、にっこりと微笑みながら、高らかにこう言った。


「――オレが来たよ!!愛しの弟よ!!」

「…………弟!?」


 ……ルードの動きは、物凄く速かった。

 カウンターを飛び越えて、謎の人物の首根っこを引っ掴み、そのまま奥の部屋に引きずり込む。

 バタン、と乱暴に閉められたドアを茫然と見る。

 

 ……なに、なになになに。


「あれは……いったい……?」

「僕は止めたんです。止めたんですよぅ……!でもあの人が素直に言う事聞くわけないじゃないですかぁ……!」


 ユルゲンスさんが、本気泣きだ。打ちひしがれる彼の元に三つ首のネズミが走りよると、慰めるみたいにその肩に登った。


「あの、さっき『弟』って言ってましたけど……あの人ってルードの……お兄さんなんですか?」


 ユルゲンスさんは、ガタガタと震えながら私に答える。

 

「……ええ、ルードさんの兄上で……うちのボスです」

 

*****

 

 ――数分後、やつれきった顔のルードはツヤツヤした笑顔の美青年を伴って戻ってきた。一体何を話してたんだ。


「はじめましてアリー嬢!コレの兄だよ!名前は……ええと、デールとでも呼んでくれ。このネズミはケルベロス!病めるときも健やかなるときも、弟を末永くよろしく」

「は、はい、はじめまして……?」


 色々おかしい気がする挨拶だ。差し出された手を取って握手すると、けっこうな勢いでぶんぶんと振られた。……これが例のエキセントリックなお兄さんか。本当にエキセントリックだな。


「……兄さん。アリーが怯えてる」

「ケチくさいなぁ弟よ。オレは未来の義妹いもうととの親交を暖めることも許されないのか?」

「いもうと!?」

「もう黙れお前は!!いいから!座って!!」


 ルードに長椅子を指さされ、渋々といった様子でデールさんは腰を落ち着ける。長い脚を組み、バルドルさんの出した紅茶を受け取った。ようやく本題に入ることにしたようだった。

 

「――今日は、とても重大な案件を依頼しに来たんだ」

「……重大な?」

「そう。重大すぎて、ユルゲンスには任せておけない。なのでオレが直接来た」


 デールさんは大袈裟にヤレヤレといったポーズをとると、ぐい、と一口で熱い紅茶を飲み干して、言う。


「――国境沿いの山で、隣国の王子が行方不明になった」


 ――息を呑む。王族の行方不明事件なんて、たしかに一大事だ。


「最悪なことに、最後の目撃場所がデルシュタイン側でね。先方はこの国の責任を問うてきてる。……アホらしい。招いたわけでもなく、入国のときも身分を偽っていたような相手をどう警護しろと?」

「……なんだってそんなことを」


 訝しげなルードに、デールさんは首を振って答える。

 

「わからん!自分の行いがどれだけの影響を与えるのか、王族として生まれれば赤子の頃から耳にタコができるほど言い聞かせられているだろうに!」

「今のところデルシュタイン側と隣国側でそれぞれ捜索隊を配備していますが、国境付近はピリピリしています。特に隣国側は気が立っていて、いつ小競り合いが起きてもおかしくない」


 ユルゲンスさんの補足説明が終わると同時に、デールさんは二本の指を私達に向かって突きつける。


「二日以内に二人が見つからなければ、隣国は捜索隊に国境越えを命令するそうだ。……そうなれば、デルシュタインはそれを排除せねばならない。どのような口実があったとしても、他国の軍隊が国境を越えることは、決して容認されない」


 そう言うと、にやりと笑った。


「――どう思う?……戦争ってのは、こんな些細なきっかけで始まるものだと思わないか?」


 部屋の中が、静まり返った。

 

「……兄さん。それは、俺の仕事じゃない」

 

 沈黙を引き裂いてルードが言う。確かにそうだ。大事件ではあるものの、幽霊専門ギルドが受ける仕事とは思えない。騎士団や、もっと普通の冒険者向けの仕事ではないだろうか。


「それがそうでもないんだな。――場所はなんと、あの『人喰い女神』の山だ」

「……なんだって?」


 デールさんの言葉にルードは身を乗り出した。

  

「あそこは禁足地のはずだ。物見遊山の馬鹿が入り込めるわけが……」

「それが入れたらしいんだよなぁ……。どうだ、『薄明』の仕事らしくなってきただろう。……そしてオレには、ピリピリした隣国をよしよしと宥められる良いアイデアがあるんだが……アリー嬢。今の話、どう思う?」


 デールさんは、私に話を振る。……禁足地、人喰い女神。 

 ――その山は、私の故郷フィエステ辺境伯領とデルシュタインの国境を隔てる山脈だ。

 

 血の気が引く。先日の市場で見た第二王子の姿。まさか。


「……捜索隊を出してるのは、フィエステ辺境伯だ。君が顔を見せればピリ付いたムードは緩和されて、少しは時間稼ぎができると思うんだよね。

 ――ねぇ、アリー嬢……、いや、アリエッタ・フィエステ辺境伯令嬢?」


 デールさんはそういうと、ルードによく似たとびきり綺麗な顔で微笑んだ。

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