猫のエサは美味いか?

namu

第1話 俺の好きな人

「猫のおやつって美味そうじゃないか?」


 高校の昼休み、俺と机を挟んで椅子に逆向きに座った波が言った。

 波は中学の頃に出会い、今の高校では同じクラスだ。


 俺は波を見た。

 向かって左側から立ち上がった七三分けのショートヘアー。その黒く艶やかな髪が、窓から差し込む初夏のような光できらきらと輝く。彼の整った顔が普段よりもっとまぶしく見えた。


 だがその顔に見とれている余裕はなかった。端正な顔から放たれた発言の方が気になった。


「は?」

「いやさ、俺短発のバイト行ってるじゃん。そこでたまにペットフードとか扱うんだけど、すげーうまそうに見えるんだよ」

「お前疲れてんだよ」

「だってさウェットフードとか猫缶ってツナみてーじゃん。ささみはサラダチキンみたいだし、この前クッキーを売ってるの見たんだ! ジャーキーとかも美味そう!」

 一気に語りだす波。これは相当気になっているようだ。


「あのな、ジャーキーもささみもクッキーも人間用のがあるんだ。それ食っとけよ」

 ゆっくりと諭すように言う。

「まあそうなんだけどさ。でもなんか俺らが食ってるのと違うような気がするんだよな」

「違うだろうよ。人間と動物が食うもんじゃあな」


 興味津々という顔で目を輝かせている。その目はよく見ると、まつ毛がびっしりと生えていて目力がある。

 波の顔はとても綺麗だ。


 俺は波のことが好きだ。

 高校一年の頃には恋心を自覚し、それから一年間片思いを続けている。

 普段の少し口角の上がった上品そうな顔も、俺と話すときに見せる大きく口を開いて笑う姿も、真剣なまなざしも、どれも好きだ。ずっと眺めていられる。


 俺と違ってコミュニケーション能力が高く、明るく、優しくて社交的な性格も尊敬している。頭もよく、落ち着いていて成績優秀。

 ただ、たまに変なことを言い、周りを困惑させるのが玉に瑕だ。


 まぁ、そんなところにも惚れてしまったのが俺なのだが。


 そんな俺の気も知らず波はお構いなしに独特な意見を続けた。

「でもドライフードの見た目はあまり美味そうに見えないんだよな。カリカリって言うくらいだし固めで食感は良さそうなんだけど。猫にとっては美味しそうに見えるのかな?」

「どういう感性だ」

 俺には猫のエサはどれも美味そうには見えん。俺ならツナ缶を食うし普通のビーフジャーキーを買う。


「お前たまに変なこと言うよな」

 やっちまった。呆れた口調で言ってしまった。

 もう少し言い方ってもんがあるだろう。俺の悪い癖だ。態度や口調が素っ気ないものになってしまうのは。


 波のその変わった視点が面白いのに。だからこそ一緒にいて楽しいのに。

 素直になれない。


「……」

 波が黙った。

 強く言い過ぎたか?

 波がじっと俺の目を見る。黒い瞳が俺をとらえる。

 俺の言い方が悪かったが、嫌いにならないでくれ。不安がよぎった。


 次の瞬間、波は「フッ」と笑った。

「そんなこと言いつつ尾野は俺の話をちゃんと聞いてくれるじゃん。俺のこんな話を聞いてくれるのはお前だけだよ」

 そう笑顔で言った。


 ああ! くそ! そんな笑顔を向けるな! 勘違いしてしまう。

 波も俺に気があるんじゃないか? 少し頬が赤かったような気がするし……


 波は時々距離が近くなる。スマホを覗き込むとき、プリントを一緒に見るとき。

 それが友人としての距離なのか、好意を持っての距離なのかは測りかねるが。そんな波に俺は振り回されて心臓があわただしく音を立てるわけで。


 正直、告白したい。波と恋人になりたい。

 しかし、思いを告げた時に友人から恋人になれなかったとしたら。

 その時に関係が壊れてしまうのが怖い。

 今しているような話も、何気ない会話も出来なくなったりして。

 それどころか俺から離れていくかもしれない。

 そうなるくらいなら何も言わず友人のまま、隣にいる方がいい。

 好きだと言いたいけど言えない。それが苦しくとも、波と一緒にいられるなら構わない。




 その日一日中、波はペットフードについて考えていて、帰り道で俺たちが別れる間際までその話を続けていた。

「じゃあな尾野。また明日」

「おう。またな」

 波が笑って少し腕を上げ手を振り、俺も控えめに手を振り返す。

 いつもと同じように別れ、それぞれの帰路についた。


 その翌日、波は学校に来なかった。

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