狂った世界でも生きますか

再亜未いず

第1話

 カウンターの向こう側からシャム猫と呼ばれる男は言った。

「僕の趣味は世界をはすに見て楽しむことさ」

「急にどうしたんだ、改まって?」

 そんなことは言われずとも知っている。

 なぜならこの男は、人が忌み嫌うものに自ら飛び込み、偏屈を並べたて正当化するという、いかにも常人にははた迷惑な性癖を有している。

 そのうえ占い師なんて嘯くものだから、この荒廃しかける世界で狂人たちの駆け込み寺となっているのだ。

「最近は、楽しくない。愉快なことがない。つまらない」

「そうか、そうか。それは良かった。それを平穏と言うのさ。人類にとってはいい詩だ」

 私がそうあしらってやると、シャム猫は不満気に言った。

「それでは上の連中と同じじゃないか」

「上?」

 そう訊くと、シャム猫は指を立てくるくると円を描いた。

「あぁ、輪っかね」

 「輪っか」というのは、土星の周りをとり囲むあれだ。

 50年前、地球にも人工的な「輪っか」ができた。

 地殻変動、大地震、大津波。この3点セットは長期間集中型だった。間髪入れず襲いくる大災害の雨あられ、復興が間に合うはずもなく、人類の半分は地面を捨てた。

 残り半分(僕ら)は、金銭的な理由でこうして、文字通り地面に這いつくばって生きているわけだが。

「しかし、君は『輪っか』への移住権を持っていたじゃないか?」

 シャム猫は立てた指を横に振る。

「チッチッチー。馬鹿だな、カタリくん。こんな面白さの可能性しかない場所をみすみす手放すわけがないだろう」

 人類の半分が消えて、残った者たちは世間体というものから解放された。それは各々が自制という枷から解かれ、自身の欲望により忠実に、より自然的に生きることを意味していた。

 ある者は全裸で街を徘徊し、ある者は街のあちこちで平気で排泄を始めた。

 最初は「輪っか内」のお偉いさんの指示のもと躍起になって取り締まわれたものだが、この一大ムーブメントが収束するはずもなく、「輪っか内」の人間は早々に匙を投げた。

 それでもまだ、数は少ないながら地球上に留まり、奮闘する物好きな警官たちはいるものの、取り締まりきれないのが現状である。

 いわゆる世紀末の一歩手前。

 まさに世も末。

 神も仏もあったものか、だ。

「面白い可能性って、世間体の消失がもたらしたこの現状か?」

「そうさ。世間体の消失、それを僕は予見していた。まさに先見の明だよ」

「それが平和な世界の理、その崩壊を意味していても?」

「フン。平和な世界の理?そんなのこちらからお断りさ。人間はありのままに生きるのが美しいだろう」

「なら、『輪っか内』になれる権利を譲ってくれよ」

「嫌だね。僕だっていつ心変わりするかワカンナイわけだからね」


 客足の欠片も感じさせないこの喫茶店のカウンターで、つまらなそうにコーヒーをドリップする私(カタリ)と、そのカウンターの向こう側、スツールに座り悪態をつくシャム猫という男。

 これが私の日常である。


 カランカランカランッ。

 店のドア、その上部に取り付けられたベルが鳴った。

 端麗な少女が綺麗な白と桜色の着物を纏い、暗い顔で入ってくる。歳は17〜18くらいだろうか。

 挙動のおかしさ、足取りのおぼつかなさ、その落ち着きのない所作全てが私の心を高鳴らせた。

 2日ぶりの客だからではない。

 美しさと暗さ、心許ない様相、本来相容れるはずのないものの混在が私の心を掴み、頭の中を花畑へと一変させた。

 ガシャン!

 建て付けの悪いドアがけたたましい音を立てて閉まった。

 ふと我に帰り、接客という私の業務に傾注する。

「いらっせいませ。お好きな席へどうぞ」

 キメ顔でそう言うが、彼女はなかなか動かない。

「えっと、あの、特殊な占いをしていると聞いたのですが……」

 あぁ、なんてことだ。

 美しい彼女の目的は私の喫茶店ではなく、シャム猫の占いだったのだ。

「あー、それは僕だ」

 気持ちの悪いニヤつき顔でシャム猫は私を一瞥した。

 彼女はシャム猫の隣のスツールに腰を下ろし、シャム猫と向き合った。

「君は水でなにか身に覚えのあることがあるだろう?」

「えーと、はい。今日はお風呂でシャワーからなかなかお湯が出なかったような……」

 コイツの占いはインチキだ。大抵の客に水の質問をする。水に身に覚えのない人間なんていない。

「そして、君は恋愛に困っている」

「えっ!はい!どうして?」

「まぁ、占い師だからね」

 いや、その歳頃の女の子が恋愛に困ってない方が不思議だ。

 シャム猫はこうやって純粋な人間から搾取していく。しかし、コイツの狙いはそれだけじゃない。客をふるいにかけているのだ。常人か、狂人かの。

「どうぞ。コーヒー。サービスです」

 私はよこしまな思惑を悟られないように、如才なくあくまで鷹揚に、美しい少女にコーヒーを出した。

「あっ、あ、ありがとうございます」

 少女は私に微笑んだ。

 いいよ。その笑顔が最高のお代だ。

 そんな花色の思案にシャム猫が釘を刺す。

「君、気をつけた方がいい。この男はミソジニーだ」

「おい、私は30歳ではあるけれどミソジニーではない!30歳(三十路)の男性をミソジニーと呼び出すと社会問題になるぞ!」

 私はそうシャム猫を一喝する。

「その社会がもう崩壊しかけているんだろう」

 彼は面倒くさそうに呟いた。

 少女は私たちのやりとりに少々面食らっているようだ。

「そうそう、それで恋愛の悩みとはどんなものかい?」

 シャム猫がそう言うと、少女は言い淀みながらポツポツと話した。

「わたし、彼氏がいて、凄くかっこいいんです。本当に好きで、好きで、食べちゃいたいくらい……。昨日、隣に座って彼の耳を見ていたんです。綺麗な形で、柔らかそうで、ただジーっと。そしたら彼が急に叫び出して、耳を抑えて転がりだしたんです。慌てて駆け寄ると、耳を抑える彼の手が血まみれでした……」

 少女はここで一息つき、続ける。

「怖くって、わたしすぐ逃げたんです。家に着いて気づきました。口の中にコリコリした物があることに。そして、今日街を歩いていると、公園で男の子が膝を擦りむいて泣いてました。それを見た時、心臓の音が早くなって、食べたいってそんな衝動が私を駆り立てたんです。また逃げました。わたしは自分が怖くて、どうすればいいか分からなくて、調べてここに来ました」

 カニバリズム。食人。人食嗜食。

 あぁ、この美しい少女からそんな禍々しい言葉を想起することになるなんて。

 血の気が引いていくのを感じ、昏倒しないようカウンターに手をつき、力を入れた。

 一方、シャム猫の方は顔を紅潮させ、細い目を大きく見開いている。

「わたし、どうしたら……」

「どうもしなくていい!君は美しいよ。本物だ」

 このパターンか。

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