幼馴染は悪役令嬢

道化美言-dokebigen

幼馴染は悪役令嬢

 私の主は悪役令嬢を演じている。

 一昨年……王立学園の高等部に入学するまでは臆病で真面目な貴族令嬢だったのだが、どうやら貴族であるという重責に耐え切れなくなったらしい。通っている学園、由緒正しき公爵家、ひいてはこの国から追放されるよう日々悪行に手を染めるとのことだった。

 そんな不器用な姫様を国外に連れ出し、最後まで支えるのが私の役目であり、私にできる贖罪だ。

 

 赤くなった目元に少し掠れた声。正直、四六時中姫様に付き添って、その上、毎日朝の三時前に起きていないといけないのは辛い。しかし、夜が明け切る前に響く啜り泣く声を無視することはできないのだ。

 まだ朝日が差し込む前、具体的に言えば少し空が青く色づき始めた頃。ほのかにランプの暖色で包まれた大きな部屋で陰鬱とした気分になっていると、白いネグリジェに身を包んだ私の主が消えそうなか細い声で呟いた。

「……ねえ。そろそろ潮時だと思いません? ユオ」

 姫様がアンティーク調の机に頬杖をついて自嘲するように笑った。ティーカップをほっそりとした指で撫で、癖がついて緩く縦巻きになった金髪が重力に従って肩から垂れる。

 姫様は公爵令嬢で、その上誰もが振り向くような美人だ。茶色の髪と目を持つ目立たない私と違って、手入れされた長い金髪は星屑を散りばめたように輝き、海のように深い青の瞳は同年代よりも達観していて重さがある。数年前まではストレートだった私の好きな金糸の髪は、今ではドリルのようにくるくると巻いてしまっているけれど。

「潮時、ですか。追放されることを待つのは諦めるということでしょうか?」

「ええ。もう、今日で終わりにしたいの。わたくしと一緒に逃げてくださる? ユオ」

「もちろんです。マルム様のお望みのままに」

 恭しく礼をすれば姫様は安心したように顔の力を抜き、はらりと。青い宝石のような瞳から涙を流した。

 

「おはようございます、リーベル公爵令嬢? 相変わらず派手な髪型ですわねぇ」

「おはよう。お褒めに預かり光栄ですわ。あなたも素敵な色に染めていて良いじゃないの」

 嘲笑うような女子生徒からの挨拶に、貼り付けられた笑みを浮かべる姫様を少し離れた物陰から観察する。ストーキングしている訳ではなく、学園を抜け出す機会を見つけ姫様と逃げるためだ。人目につきづらい夜中に実行することを提案したが、今すぐにでも出て行きたいと泣かれてしまったが故の妥協点だ。

 学園内での姫様を見るのはたったの二度目だ。入学式の日と、今日。だからこそ表情の違いに目を見張る。強気を装ったあの顔はない。遠くからでも分かる。手で覆い隠してはいるものの唇を噛み締め、笑みを浮かべられていないのが。

「姫様……」

 何もできない自分が悔しかった。物陰に隠れ見守ることしかできない。あの場に立ち入って姫様をお守りできたらどれほど良かっただろう。

 姫様に「悪役令嬢」だなんて向いていないのだ。誰にでも優しいお人だから、厳しい社会に潰されてしまう。

 石造りの床を睨みつけ、顔を上げればつい先ほどまでそこにいた姫様が姿を消していた。

 焦って辺りを見渡せば他の生徒よりも少し長い丈の、姫様の青いフレアスカートが階段裏に消えていく。

 人目を盗みながら移動すれば、姫様の荒げられた声が聞こえてきた。

「返して! 返しなさい!」

「はっ! 散々他人に身勝手な行動をしているお前が、何を頼んでいるんだ?」

 覗けば、レースのついた青いハンカチを男子生徒が持ち上げ、姫様の頭上で煽るようにひらひらと振っている。それは見覚えがある、というよりも毎日のように目にしている物だ。姫様の誕生日に私がプレゼントした、手作りのハンカチ。

 ここまで大事にしてもらえていることへの喜びもあったが、姫様の大切にする物を粗雑に扱う男子生徒は気に食わなかった。姫様の笑顔がこれ以上奪われるのは、やっぱり私には耐え切れそうにない。

 体を縮み込ませて隠れていた物陰から、足音を立てて姫様に近づく。

「あぁ? おい、誰だ貴様。侍女がここで何をしている」

「ユオ……⁉︎ どうして出てきたの!」

 怪訝そうな目をする二人。謝意を込めて姫様に目を向けると、それ以上口を出されることはなかった。姫様よりは頭ひとつ分ほど高いが、私よりは低い身長の令息に向き直り、そっと微笑みを湛えてみせる。

「申し訳ありません、私の主に尊大な態度をとる不届き者が気に食いませんでした」

「貴様……! 無礼だぞ! フン、公爵令嬢は侍女の躾もまともにできないようだな」

「私が手のかかりすぎるペットだからでしょうね。それはそうとして。あなたこそ、令嬢の私物を取り上げ揶揄うのは紳士としていかがなものかと思うのですが」

「ハハ! 面白いことを言うではないか! 元々こいつが好きでやっていたことだぞ? それを真似してやって何が悪い」

 姫様を睨みながら大口で笑う令息。それに姫様が私の隣で俯き、制服のスカートが皺になるのも気にせずぎゅっと握りしめた。

 確かに姫様は私欲のために悪事と呼ばれることをしたのだろう。そして誰かを傷つけ、望んでしているはずなのに自らも傷ついて。自業自得と言えばその通りだ。しかし、それが私のためでもあるというのは随分と前に姫様に聞かされている。

 本当に、手のかかる幼馴染(おひめさま)だ。

 ずっと隣り合って生きてきた人に「二人だけで逃亡してみません?」なんて無邪気に笑われたら、共犯になるしかないじゃないか。

 ひとつ。笑みをこぼして言葉を紡ぐ。不器用で優しい、私の姫様に届くように。

「確かに、マルム様は多くのご令嬢やご令息に迷惑をかけたのでしょう。その行いが悪であるというのは事実でしょうし、反感を買ってしまうのも自業自得というもの」

「だろう? よく分かっているじゃないか」

「ええ。マルム様自身から日々の成果は聞いておりますので。ですが、誰もがマルム様を悪と言っても。私はその悪に味方しますよ。私の忠誠は、マルム様を壊してしまったあの日に誓わせていただきましたから」

 令息が怪訝そうな顔をして眉を釣り上げる。姫様は……長い金髪で隠れてはいるものの、頬を赤らめて、満足そうに口元は弧を描いていた。

「いいじゃないですか。マルム様は何名かの恋のキューピットにもなっているようですし。その上、儚い夢も抱かせてあげているみたいですね」

 恋のキューピット、というのは姫様の後を追っている際にいちゃいちゃとハートを飛ばしているカップルを複数見てのことだ。姫様にちょっかいを掛けられた者どうし、なんだか話が盛り上がっていたようで。

 そして目の前の令息は後者のほうだ。姫様と話している時、顔を赤くして、呼吸が不規則になっていた。怒り、というには少々口元が緩みすぎている上に、私と話している今は微塵もそんな気配は感じられない。

「先ほどから何を言っているんだ貴様は。はぁ……もういいだろう? 俺もそんなに暇じゃないんだ」

「それではさっさと姫様のハンカチを返していただけませんか? 好きな子に意地悪しても嫌われるだけですよ」

「はあ⁈ そ、そんな訳がないだろう! ふざけるのもいい加減にしろ!」

 大きな声を上げ、明らかに動揺を見せる。こんなのが姫様に近づこうとしていたなんて、考えるだけでもおぞましい。

「キャンキャンとうるさいですよ。暴れないでください。ああ、もしかしてあなたにも犬の真似事をする才能がおありで?」

「〜〜っ! 誰が犬だ! 貴様と一緒にするな気色の悪い!」

 投げつけるように私に青いハンカチを投げつけた令息は、肩を怒らせ大股で広い廊下を歩いて行った。

「んっ、ふふ……」

「マルム様?」

 ふと、隣から押し殺し切れていないような笑みが聞こえてくる。

「ユオったら、なんてこと言いますの? もう、面白すぎてわたくし、んふっ……」

 姫様の無邪気な笑顔を見るのは久しぶりだった。ここ数ヶ月はずっと、苦しそうな笑いばかりだったから。

「マルム様に少しでも学園で良い思い出を残して欲しかったのですよ」

「絶対に嘘でしょう? 後付けだって分かっていますわ」

「ふふ。ですが、マルム様。あなたに笑って欲しかったのは本心ですよ」

「……そう?」

 姫様は少し口を窄め、くるくると巻かれた長い金髪を指でいじっている。やがて、上目遣いに目線を合わせ、いたずらに笑みを浮かべた。

「わたくし、今とっても気分が良いの。もうじき講義も始まりますわ」

「それでは、逃避行を始めますか? マルム様」

「ええ! 煙幕諸々の準備はばっちりですわ。エスコートしてくださる? ユオ」

「もちろんです。お手をどうぞ、マルム様」

「うふふ、ありがとう。行きますわよ」

 

 森の新鮮な空気が肺を満たす。まだ朝日が差し込む前、具体的に言えば少し空が青く色づき始めた頃。簡易テントの中でマルムと私は十年と少しぶりに肩を並べて横になっていた。

「ねえユオ。わたし、もうありのままのわたしで、いていいの?」

「ええ。公爵令嬢でなく、ただの厄介なペットに懐かれたご主人様でいていいんですよ」

「わたしはユオのことをペットだなんて思ったことないわ! まったく。……でも、ユオとまた、こうして肩を寄せ合って、硬い地面の上で眠れるなんて思ってもいなかった」

「私もですよ、マルム。でも、そろそろ隣国へ逃げる準備をしないと」

 頬を膨らませていたマルムの頭を撫で、支度を促す。

「もうそんな時間? わたし、まだユオとのんびりしていたかったわ」

 立ち上がると「悪役令嬢マルム・リーベル」を象徴していたくるくるの金髪縦巻きロールから、昨晩の内に切られ、短くなったストレートの髪が揺れる。

 海のように深く暗い青空を背景に、これから多くの困難を身に受けるであろう愛らしい幼馴染へそっと、誓い直した。

「マルム。今度こそあなたのことを守らせてね」

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