新たな家族2
「実は私たちは一度会っているのだけれど、覚えている?」
「はい! あの時はぶつかってしまってすみません」
「気にしないで。その時私は婚約者のテオバルト様と一緒にいたのだけれど……レティシアさんとテオバルト様がお似合いだと、思ってしまって。テオバルト様にふさわしくない私よりも、レティシアさんのほうがいいのではと思ったの」
「そんなこと、絶対にありません! テオバルト様は一度パン屋に来てくださいましたよね? ずっとアデル様のお話をしていましたよ!」
「そうなの?」
「はい! 婚約者がとっても可愛くて、すぐ大丈夫だって言うから守ってあげたいって言ってました」
ぼっと顔が火照ったアデルは、慌てて話を戻した。嬉しいけれど、その話をじっくり聞きたいけれど、それは後にしなければ。
「レティシアさんと会った時、テオバルト様と結婚しに来たのだと思ってしまったの」
「ええ!? そんなことありえませんよぉ!」
「ふふっ、そうよね。レティシアさんが、婚約者のいる男性を好きになるはずないわよね」
「もちろんです!」
「その後は、お兄様が身分をかさに着てレティシアさんと結婚しようとしてるかもしれないと思って……お兄様はそんなことしないのに。私ったら馬鹿ね。レティシアさんの顔色があまりに悪かったから邪推してしまったわ」
「あれは、アデル様が結婚は絶対に駄目だとおっしゃったから、目の前が真っ暗になってしまって……! あのっ、私、本当にベルナール様のことが好きです! 結婚を許していただけませんか?」
レティシアの瞳はきらきらと輝いて頬は紅潮して、恋する乙女特有のエネルギーに満ちていた。
「むしろ、私から頼まないといけないわ。レティシアさん、お兄様と結婚してくださる? 本当に面倒くさい兄なのだけれど」
「はい、お任せください!」
「私は兄の数倍嫌われているの。だから、レティシアさんにも嫌な言葉がたくさんかけられるかもしれない」
「望むところです!」
むんっと力こぶを作ってみせたレティシアの腕は、パン作りで鍛えられてなかなかにいい筋肉だった。
「ベルナール様から聞いています。優しいアデル様の悪事を捏造するなんてひどいです! それに、クレール商会は貸していたお金を返してもらっているだけなのに、それを非難して言い返せないアデル様に悪意をぶつけているんですよね? 聞いた時からもうずっと怒りが収まらなくて!」
「貴族の暗黙の了解なのよ。借りたお金は返さずに他の利益で補填すると。例えば新規事業に加わったり、仕事をあっせんしたりして、借りた金額以上のものを返すの」
力はあるけれどお金がない昔の貴族のやり方がまだ残っていると聞いたが、問題はそこではない。
クレール商会やクレール家に借りたお金を返さず、差し出した情報さえも返済額に満たず、それでいて他のやり方で補填するわけでもない貴族が、あまりに増えてしまった。
元は没落貴族だったクレール家を侮り、暗黙の了解を振りかざして、お金だけ享受しているのだ。
「平民の子供でも借りたものを返しますよ! 皆さんは、当たり前のことをしているだけです! 」
「……ありがとう、レティシアさん。これから家族になるのだから、ぜひアデルと呼んで。敬語も使わなくていいわ」
「えーっと……では、だんだんと慣れていくことにします! アデル様……じゃなくてアデルも、ぜひレティシアと呼んでください!」
「ええ……レティシア」
レティシアが兄のベルナールと恋人になり結婚するだなんて驚愕したが、とても嬉しいのだと気が付いた。
まっすぐで純粋で明るいレティシアと仲良くなれるのは嬉しい。しかもこれから家族になるのだ。
テオバルトとレティシアの仲が深まるか不安ではあったが、二人とも婚約者がいる身で浮気をする人間ではない。
(私は、テオバルト様を信じる。信じたい……)
二人で応接室へ戻ったあとは、ベルナールがいかにレティシアを好きかという話や結婚の段取りのことを話した。
アランは始終落ち着いて結婚について具体的な話をしていたので、事前に情報を掴んでいたのだろう。テオバルトもにこやかに結婚を祝い、応接室は明るい空気で弾けんばかりだった。
その日は5人でディナーをとり、レティシアはクレール家に泊まることになった。
せっかくだからテオバルトも泊まっていけばいいと言ったが、未婚のアデルによくない噂が立つことを危惧し、テオバルトは帰ることにした。
テオバルトが帰り支度を終えて真剣な顔で振り返る。楽しいディナーの空気の余韻が消えていった。
「ずっと、考えていたんだ。ブライアン・カンテと一度話したい」
それがいかに危険な行動か、テオバルト自身もわかっているのが伝わってきた。
ここでアデル達がクレイグ・レノーとブライアン・カンテの繋がりに気付いたと知られたら、クレイグがどういう行動に出るかわからない。
「危ないのはわかっている。だけど、ブライアン・カンテが書類の捏造をしていないと言ったら、みんな信じると思う」
「そうなる可能性が高いと思います」
「その前に人質を救い出し、俺を陥れた証言をお願いしたいんだ」
「わかりました。秘密裏にブライアン・カンテに会えるよう、手配しておきます」
「ありがとう、アデル嬢」
「……ずっと、気になっていたことがあるんです」
アデルの心に沈んでいた考えを、そっとテオバルトに差し出す。
「もし冤罪の証拠が集まらなかった場合、シリル・レノーが自供してテオバルト様の冤罪を晴らすことは、ありえると思いますか?」
「……あると思う。そんなことは望んでいないけど、反対の立場だったら俺もそうするかもしれないから」
その言葉に、ずっと引っかかっていた謎が解けていくのを感じた。
ゲームではシリル・レノーがテオバルトを陥れた証拠はないのに自白した。
ヒロインの健気な姿がシリルを変えたと思っていたが、そうではなかった。
シリル・レノーは、テオバルトのためならば罪人になる覚悟を持った男だったのだ。
「ならば、シリル様とは裁判の前に会わなくても大丈夫ですね。きっとテオバルト様の味方になってくださるでしょうから」
「うん」
テオバルトの大きな腕が伸びてきて、優しく抱きしめられる。たくましい体に手をまわして遠慮がちに抱きしめ返すと、さらに強く抱きしめられた。
「こんな俺の力になってくれて、本当にありがとう」
「私がしたくてしていることですわ」
「アデルと呼ぶ人が増えたね。俺も、アデルと呼んでも?」
「……はい」
「アデル。俺の、俺だけの婚約者」
呼び捨てにされただけなのに、テオバルトの声の甘さに痺れて溶けてなくなってしまいそうだ。
くらくらする頭を預けると、嫌いな髪を優しくなでてくれる。テオバルトの心臓が同じくらい高鳴っているのを感じて、アデルはそっと目を閉じた。
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