【短編小説】薔薇の棘と隠された宝石―ある全寮制女学院にて―

藍埜佑(あいのたすく)

第一章:佐藤美咲

 聖アンジェリカ女学院の朝は、いつも静寂から始まる。

 私は、生徒会長として毎朝一番に目覚め、寮の廊下を巡回する。古い木の床が軋む音だけが、この百年以上の歴史を持つ建物に響く。窓から差し込む柔らかな光が、廊下の絨毯に落ちる影を作り出していた。

「美咲、おはよう」

 振り返ると、副会長の中島杏奈が微笑んでいた。

「おはよう、杏奈。今日も早いのね」

「ええ、でも美咲にはかなわないわ」

 杏奈は軽く笑った。

「今日は新入生の歓迎会の準備があるわね」

 私は頷きながら、胸の内にある不安を押し殺した。完璧な生徒会長でいなければならない。それが、この学院で生き抜く唯一の方法だと私は信じていた。

「そうね。すべてが滞りなく進むよう、入念に確認しましょう」

 私たちは階段を降り、大広間へと向かった。

 そこでは既に数人の生徒会メンバーが準備を始めていた。

「おはようございます、会長!」

 彼女たちが声を揃えて挨拶する。

「おはよう。みんな、ありがとう」

 私は微笑みを浮かべながらも、内心では緊張していた。

「では、仕事の分担を確認しましょう」

 準備が進む中、突然、大きな物音が聞こえた。振り返ると、新入生の一人が花瓶を倒してしまったようだった。

「大丈夫? 怪我はない?」

 私は急いで駆け寄った。

「ご、ごめんなさい!」

 少女は顔を真っ赤にして謝罪した。

「本当に申し訳ありません!」

「あなた、お名前は?」

「鈴木……莉子といいます……」

 私は彼女を落ち着かせようとしたが、周囲の視線が気になって仕方がなかった。完璧を求められるこの学院で、こんな失態は許されない。しかし、莉子の目に浮かぶ涙を見て、私の心が揺らいだ。

「大丈夫よ、失敗は誰にでもあることだわ」

 私は優しく声をかけた。

「一緒に片付けましょう」

 莉子は一瞬驚いた表情を浮かべたが、すぐに頷いた。私たちが一緒に破片を拾い始めると、他の生徒たちも手伝ってくれた。

 この瞬間、私は何か大切なものに気づいたような気がした。完璧を求めることと、思いやりを持つことは、必ずしも相反するものではないのかもしれない。

 その日の歓迎会は、予想以上に和やかな雰囲気で進んだ。新入生たちの緊張した表情が、徐々にほぐれていくのを見て、私は少し安心した。

 しかし、その安堵感も長くは続かなかった。

「美咲、ちょっといい?」

 杏奈が私を呼び止めた。

「新入生の中に、ちょっと問題がありそうな子がいるの」

「どういうこと?」

「あそこにいる子よ」

 杏奈は控えめに指差した。

「転校生の高橋琴音。噂では、前の学校で問題を起こして退学になったらしいわ」

 私は指差された方向を見た。そこには、周囲と打ち解けようとせず、一人で佇む少女の姿があった。彼女の目には、どこか挑戦的な光が宿っていた。

「そう……」

 私は深く嘆息した。

「様子を見守りましょう。必要があれば、私から話をしてみるわ」

 杏奈は心配そうな表情を浮かべたが、頷いた。

 その夜、私は自室で日記を書きながら、今日の出来事を振り返っていた。新入生たちの期待に満ちた顔、莉子の涙、そして琴音の孤独な姿。この学院には、まだ知らない多くの物語が隠されているようだった。

 明日からの日々が、どんな展開を見せるのか。私の心は期待と不安で満ちていた。

 窓の外では、満月が聖アンジェリカ女学院を静かに見守っていた。

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