第24話 23、エスペン王国のお家騒動を知った日 下

 ライラは雲一つない夜空を見上げていた。


「そう言えば、今回は雨が降っていないわね」と呟く。ここは離宮の三階にあるバルコニー。小高い丘の上に聳える王宮だけあって、ここから見える夜景はとても美しかった。


 ただ、サンチェスキー王国の王都プルハに比べると街の規模はかなり小さい。険しい山脈から流れ出る水を使った酒造りと酪農が有名なエスペン王国。と、ここまで考えたところで、果たして長い時間と労力を使ってまで乗っ取る価値がこの国の何処にあるのだろうか?とライラは首を捻る。


 その時、ふわりと肩にショールが掛けられた。キースヴェルの仕業である。


「ララ、ここは標高が高いから・・・、寒くない?」


「ええ、少し寒いとは思っていました。お気遣いありがとうございます。それよりも見て下さい!今夜は晴れていますよ。珍しいと思いません?」


「フッ、確かに雲一つない夜空だね。星もきれいに瞬いていて」


 不意にキースヴェルはライラを背後からギューッと抱き締める。


「ねぇ、ララ、僕のことが怖くなったりしてない?」


「―――うーん、どうでしょう・・・」


 ライラは曖昧に答えた。キースヴェルがこんな質問をして来るのは、彼が国王ラドクリフに提案した内容を聞いて、ライラがどう感じたのかを知りたいからだろう。


(どう思われるのかが心配になるなら、提案する前に聞いてくれたらいいのに・・・)



―――――遡ること八時間。


 国王のサロンで国王ラドクリフとダイアナに、現在エスペン王国が置かれている現状をキースヴェルは伝えた。


「この国は現在バイラ公国の手に落ちていると言っても過言ではない状況です。僕は王妃さまの葬儀に駆け付けたわけではありません。いよいよ決断しなければならない時が来たので足を運んだのです。エスペン王国が今後選ぶことの出来る選択肢は二つです。――――それは王家を存続するかしないかということ・・・。もし、王家の存続をご希望されるのなら、引き続きバイラ公国の傀儡となるでしょう。その場合、この国の民が飢餓や疫病で命を落とそうとも、サンチェスキー王国は一切の手助けをいたしません。ご覚悟を」


「国民の命が・・・か。キースヴェル殿、もし、私達が王家の存続を選ばなければどうなる?」


「それは我が国の傘下に入るということです。しかし、現在のエスペン王国には我が国と肩を並べるだけの力がありません。ですから、同盟ではなく併合という形になります。この場合、サンチェスキー王国はまず国民の健康と安全に関することに人とお金を投入するでしょう。現在、エスペン王国の農村地区の貧困問題は深刻ですから」


「なるほど・・・。己を守るのか、国民を守るかということだな」


「そうですね。難しい問題だと思いますので一晩差し上げます。よく考えて答えを出してください」


「承知した」


「それから、ひとつお願いがあります。この王宮にはバイラ公国の間者が多数いるようです。私の婚約者の身を守るため、ここに滞在する間は彼女をメイス嬢ということにしておいてください。今のところ疑われていないようですので」


「ああ、分かった。決して口外したりはしない。くだんの件はダイアナと話し合い、明日返事をする。ダイアナ、お前の意見も聞きたい。ここへ残ってくれ」


「はい」


「では、僕達はこれで」


 キースヴェルは話を終えると、ライラと共に離宮へ引き上げた。




―――――そして今。


 考え込んでいるライラを見て、キースヴェルは今日の出来事を思い出しているのだろうと察する。


 しばらくの間、彼は思考の淵に落ちたライラを抱き締めたまま夜景を眺めていた。よくよく考えるとこういう時間は珍しい。いつも職務に追われ、恋人と景色を楽しむと言うような時間など全くなかった。だけど、国王ラドクリフからの返事を受けたら、またその多忙な日々に舞い戻ってしまうだろう。今みたいにライラと一緒に過ごす時間が当分取れないと思うと残念でならない。


「ふうっ」


 キースヴェルは無意識にため息を吐いた。


 明日、国王ラドクリフが自主的にサンチェスキー王国に併合されることを決意したら、早急に貧困に苦しむ人々への支援の準備に取り掛からなければならない。しかし、もしエスペン王家を存続することを望むと言われたら、ここは一旦引く。そして先にバイラ公国を潰してから、エスペン王国を併合する。


 ここで一番大切なのはエスペン王国に選ばせたという事実を作っておくこと。そうすればバイラ公国を倒し、その属国であるエスペン王国を併合したとしても、対外的にサンチェスキー王国は外交プロセスに従って対応したという証拠になるからだ。そこにエスペン王国の未来を心配しているなどという私情は全くない。たとえ、ライラの母親がエスペン王国の王族だとしても。


「殿下、疲れが溜まっているのでは?」


 心配そうな声がして、ハッとした。いつの間にか、ライラは首を後へ回してキースヴェルを見上げていたからである。


「ああ、大丈夫だよ。少し考え事をしていただけだから」


「そうですか。先程の質問ですけど・・・。私は殿下を怖いとか思っていませんよ」


 ライラは再び正面を向くと眼下に広がる夜景を見ながら、言葉を紡ぐ。


「もう、この王家が続いていかないことくらい私にでも分かります。だから今、この夜景を目に焼き付けておきたいと思います。他国の陰謀に屈したエスペン王国の王族の一人として」


「ララ、君のお母上の国を亡ぼす僕を恨んでもいいんだよ」


「恨んだりしませんよ。正直なところ、私のこの国に対する思い入れなんて皆無に等しいですからね。お母様がこの国の王族だと知ったのも、つい最近ですよ?よっぽど殿下の方がこの国の人々のことを心配していると思います」


「そうかな?」


「ええ、そうです。それに私と国王陛下とダイアナに掛けられた呪いも気前よく解呪してくれたじゃないですか。あなたはとても良い人です。今更、王家を守りたいとか国王陛下が言い出したら、私が回し蹴りを食らわせます!」


「ブッ、フフフ」


 キースヴェルはライラから回し蹴りを受けた時のことを思い出した。フワッと宙を舞ったあの瞬間を・・・。


「アレ結構威力があるから、食らったら陛下も目が覚めるだろうね」


「ええ、目を覚まして差し上げます」


 ライラはクルリ身体を回して、キースヴェルの方へ向き直った。そして、キースヴェルの瞳をじーっと上目遣いで見上げて来る。


 何をして欲しいのかを察したキースヴェルは彼女の顎に手を添えて、ゆっくりと唇を近づけていった。



―――――――


 結論から言うと、ライラの回し蹴りが炸裂することはなかった。


 翌朝、国王ラドクリフから執務室に来て欲しいと連絡が入り、直ぐに向かうと執務室にはこの国の大臣たちも揃っていた。全員一列に並び、直立不動で立っている。


(この雰囲気・・・。大臣たちを呼んでいるということは、王家の存続は諦めて前向きに考えていくつもりなのかしら。それとも、サンチェスキー王国とは縁を切るというのかしら。うーん、どっち!?)


 ライラが悶々と考えていると、国王ラドクリフが話し始めた。


「まず、昨日の提案に対する答えを伝えよう。我が国はサンチェスキー王国の提案に乗り、貴国に併合されることを受け入れる」


(ああ、王家の存続よりも民の救済を第一に考えたのね。良かった・・・)


「分かりました。では、早急に併合を発表し、両国で話し合う場を設けましょう」


「ああ、キースヴェル殿、よろしく頼む。大臣たち、これからこの国はサンチェスキー王国となる。今後、中央の役人がやって来たら、しっかり協力するのだぞ」


 突然、併合を受け入れると宣言した国王ラドクリフに、当然反発する者もいるだろうと予想していたライラは、ここで驚きの光景を目にする。数人の大臣が顔を手で覆って泣き始めたからだ。


(男泣き・・・。あ、あの方は膝から崩れて・・・。凄い光景だわ。それに国王陛下の決断に誰も反論しないなんて・・・)


 彼らは口々に言う。『今まで何度も陳情を上げていた』、『王妃関係者に握り潰されていた』、『現場は限界を超えている』と。


(王妃ローレンス、バイラ公国、最悪過ぎ・・・。大臣の皆様も民と王族の間に挟まれて、辛い日々だったのね)


 この時が来て安堵したという大臣たちの話を、キースヴェルは面倒な素振りもせず一通り聞いている。ライラはその途中で何度かキースヴェルをチラリと盗み見たのだが、その真剣な眼差しは“歩くフェロモン”でも“王家のお荷物”でも無かった。


(所詮、噂は噂でしかないということね。殿下は大きな視野で物事を見ている。きっと私の考えの及ばないところにまで・・・)


 そろそろお開きにしようというところで、キースヴェルは一歩前に出る。


「国王陛下、お願いがあります。この王宮に入り込んでいるバイラ公国の関係者を排除する許可をいただきたい」


 キースヴェルは重々しい口調で語り、表情も引き締められていた。今までの和やかな雰囲気が一瞬で飛び散っていく。


(私より、殿下の方がよっぽど氷の薔薇だと思うのだけど・・・)


「ああ、許可する」


「ありがとうございます。では、併合に関する責任者として、彼女とその部下をこちらへ常駐させます」


 キースヴェルは壁際に控えていたロザリアを国王陛下に紹介した。


「サンチェスキー王国の第四王子側近ロザリア・マイアードと申します。サンチェスキー王国では外交官の任についております。以後お見知りおきを」


 ロザリアは騎士服のまま一歩前に出ると、軽く会釈をした。国王陛下と大臣たちは大きな拍手でそれに応える。室内に静寂が戻ると同時に空気がピンと張り詰めた。


「では皆の者、よろしく頼む」


(ん?殿下の表情と口調が変わった?)


 ライラの疑問に対する答えは直ぐに出た。その場にいた全員が一斉にキースヴェルに向かって礼の姿勢を取ったからである。勿論、国王ラドクリフも。


―――今、この時をもって、国王ラドクリフはただの貴族に。そして、エスペン王国はサンチェスキー王国の一部となった。

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