ごとし ③
どろりとした暑さに容赦なく汗が噴き出す。
朔馬はスマホを一旦耳から離して、手の平で汗を拭った。
商談に行くために立ち寄った駅はどうしようもない暑さの中に佇んでいる。
細やかとは言いかねる交通機関網の地方都市ではどこに行くにも車で行くのが当たり前だが、今回の商談相手は駅近くに事務所があり、却って駐車場に困る。
そのために最寄り駅の階段をうだる暑さの中で降りる羽目となっているのだ。
汗を拭って再び当てたスマホから響くのは聞き慣れ過ぎて、最早殺意すら湧いてくる呼び出し音だ。
「……何だよ、あいつ!」
くそ!と悪態づきながらスマホをスーツの尻ポケットにストンと落とす。
自販機脇から電話をかけて早4日。
昼に夜にとストーカーの勢いで電話をかけ続けるも、結希に繋がった試しはない。Discordのチャット欄も朔馬からの悲鳴が延々と連なって行くのみだ。
「自分から教えろっつったのに」
憤懣やるかたなく、しつこくぶつぶつと呟く朔馬の耳元に、ふっと冷気がわだかまる。
「落ちるぞ」
ぞ、の語尾に女性の甲高い声と何かが激しく階段を擦る音が重なった。
「よけて、よけてぇ!!」
咄嗟に左に避けた朔馬の脇を紺色のトランクが疾走して行く。
弾みのついたトランクは階段のすぐ下で電車待ちをしている人の列へと一直線に雪崩れ込んで行く。
折悪しく、貨物列車の通過している時だった。貨物列車の轟音に掻き消されて、転げ落ちて来るトランクにほとんどの人が気付かない。
悲鳴が重なり、突っ込んだトランクが時刻表の支柱に激突する。電車待ちをしていた人々が薙ぎ倒されて列が乱れた。
支柱にぶつかってぱっかーんと蓋の開いたトランクに、「やだぁ、なんで?!」と泣きそうな声で持ち主の女性が駆け寄って行く。
「ちゃんと持ってなきゃあかんがね」、「危なかったねぇ」と小言を言いつつも、近くにいた人々が荷物を拾い始めた。
騒ぎが広がり始めたホームに降り立つ。近くの高校生の会話がふと聞こえた。
「貨物列車来てたのに、洒落になんねーっつーの」
「いきなり後ろから押されて、マジで線路に落ちるかと思ったわ」
これはそろそろヤバくないか?
朔馬のこめかみを冷たい汗が一筋、つーっと落ちて行った。
終業後、朔馬は会社の建物を出るなりスマホを取り出した。
「おい、出てくれよ」
焦燥でじりつく心中をよそに、スマホは相変わらずの無愛想な呼び出し音を続ける。
出ないのが分かるや、すぐに切って再びかける。切ってはかける。
まさに取り憑かれたかのようだが、こちらとて命の危険が及ぶ前に結希と連絡を取りたいのだ。
切ってはかけるを繰り返しながら、会社近くの駐車場を目指す。
結希と連絡が取れないなら、もう自宅に行くしかない。幸いと車通勤である。このまま三守家へ乗り込んでやろう。
朔馬はスマホを耳に当てたまま、車の鍵を取り出すべく肩に掛けた鞄のポケットを探る。
小走りになりながら視線を鞄に落とした瞬間、背後でタイヤの軋む耳障りな音が上がり、目の前を灰色の巨体が横切った。
一拍置いて、がしゃーんと派手な衝突音が辺りに轟く。
「は?」
スマホを耳に当てたまま、ぽかんと前を見る。
眼前に黒々と聳え立つのは1台の大型トラックだった。
鳴り続けるクラクションが夕闇迫り始めた街中に、けたたましく椿事を伝える。
理由は分からないが、車線を逸れたトラックが朔馬を掠めて道路脇の電柱に突っ込んだようだった。
「突っ込んだぞ!!」という怒鳴り声がやけに遠くに聞こえる。
突っ込んだなら落ちる、ではないな。
それに「落ちるぞ」は聞こえていない。
見当はずれな事をぼんやりと思っていた頭に急にスイッチが入った。
そんな事より、運転手を助けないと!
慌ててスマホをしまい、トラックへと駆け寄る。
「落ちるぞ」
はっきりと耳元で響いた声は隠しきれない笑いを抑えた、不愉快なものだった。
トラックの荷台がガコンと揺れる。
雪崩を起こして崩れてくる廃材の山を、朔馬は「あ」の口で固まったまま見上げた。
刹那、後ろから首根っこを掴まれ、ぐいと身体ごと思いっきり引っ張られる。
「ぐぇ」と情けない声を上げて、後ろへ退いた朔馬の足先にドドドド、と大量の廃材が飛び散って壮絶な埃が周囲に巻き起こった。
「あーぁ。過積載だねぇ」
その場にそぐわない悠長な声がすぐ背後でする。
首根っこを掴まれたままの朔馬がぎこちなく後ろを振り向くと、濃紺の作務衣姿の結希と間近で目が合った。
彼女は朔馬の首根っこを離すと、もう一方の手に持ったタンブラーをふってみせる。
一瞬意味が分からずにぽかんとしてしまうが、そのメタリックブルーのタンブラーから微かに「落ちるぞ、落ちるぞ」とくぐもった声が聞こえたような気がして、朔馬はぞっとした寒気を首筋に覚えた。
「中々いい風に育っとるな。後で雅也に食わしてやろう」
「お、お前なぁ!!」
「お前ではない。三守結希だ。忘れたか」
「違うやろ! お前っ、俺がどれだけ電話したと思っとんだ?!」
「電話?」
結希は可愛らしく、きょとんと首を傾げて作務衣のポケットからスマホを取り出した。
「あ」
「あ、じゃない! 何で出ないんだお前は!」
「凄いな着信数。ストーカーか」
「断じて違う!」
ドン引きだ、と呟いてジト目になる彼女に朔馬は食ってかかる。
彼女はタンブラーを作務衣のポケットに無造作に捻じ込んで、からからと明るい笑い声を上げた。
「いやぁ、すまんな。ひじきを炊くのに夢中で全く気付いとらんかった」
「2週間やぞ!? そんなにひじきを炊き続けるヤツおる?!」
「道理で真っ黒なわけだ」
「問題そこと違う!」
「まぁええて。気にしたらあかん」
「……もうお前はあてにしん。海藻女」
がっくりと肩を落とす朔馬に結希は再び不敵な笑みを浮かべると、くるりと踵を返す。
「あれ?」
去りゆく結希の背中の向こう、夜闇にうるみ始めた街路樹の側に若い女性が1人こちらを向いて立っていた。
女性がその場で深々と頭を下げる。
つられた朔馬が浅く会釈を返して、顔を上げると女性の姿は既になかった。
不協和音を奏でながらやってくるパトカーと救急車のサイレンを背に、朔馬はその場に立ち尽くした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます