ごとし ②
昼近くのオフィスは気忙しいざわめきに包まれていた。
時折上がる電話の着信音。決まった口上で受け答えする同僚の声。その合間を埋め尽くすのは何かに追われているかのように、カタカタとキーボードを打つ音だ。
オフィスの大半を占めるキーボードの旋律に自らも加わりながら、朔馬はぐっと画面に顔を近づけた。
今、入力しているのは新しく取引先に加わりそうな会社への提案書である。
初回の提案ということもあり、入力漏れなどのミスは特に起こしてはいけない。
その緊張感から殊更に目を見開いてPC画面に食らいつく。
そんな彼の耳元にぽそり、と声が届いた。
「落ちるぞ」
途端に目の前のPC画面が真っ暗になる。
「え? ちょっ…… マジ?!」
慌ててエンターキーやらスペースキーやらをカシャカシャと乱打してみるものの、ブラックアウトしたPCは無慈悲な沈黙を貫くのみだ。
「マジかぁ……!!」と、頭を抱え込む。
「何? 保存しとらんの?」
朔馬の呻きに傍らの同僚がひょいと画面を覗き込んだ。
朔馬はがっくりと両肩を落としたまま、力なく首を振った。
「しとらん……もう少しで終わるからそこでしようと思って」
「そらぁ、ご愁傷様やな」
同僚の語尾に覆い被さるように昼休憩を告げるチャイムの音が鳴る。
「お、ちょうど休憩やし。気ぃ取り直して午後から頑張りん」
ぽんぽん、と肩を叩いて同僚はさっさっと席を立って行く。そんな彼の背中を一瞥してから、朔馬は諦めの溜息を1つこぼした。
会社近くの牛丼屋で腹を満たすためだけの昼食を手早くかきこみながら、Discordをチェックする。
画面に表示されているのは、3日前に結希へ送信したメッセージだ。返事はまだない。
「落ちる」の怪異を渡されてから10日程になる。
それ以来、「落ちるぞ」の一言と共に、様々な物が落ちる。机に置いてあった小さなクリップ、通りかかった人の鞄についていたストラップ、棚に積み上げていた書類、などなど。
果てはコンビニのキャンペーンで、スピードくじの箱に手を突っ込んだ瞬間に「落ちるぞ」ときたことまである。結果は言うまでもなく、「ハズレ」だった。
細やかなのだか、間抜けなのだか分からないこの怪異の厄介な点は、時と場所を選ばないことだ。法則性も何もなく、突然に「落ちるぞ」とやって来る。
さすがに命に関わるものを落とされてはかなわない、それに美容師のように牛が降って来られてもかなわない、と結希にメッセージを送ったものの、何のリアクションも返って来ない。
「……ったく、何だかなぁ」
会社に戻りながら、なおも未練がましくスマホを見る。何の通知もない無常な画面を見ながら歩く内に、電話してみようか、という考えが不意に浮かんで来た。
もしかしたら、結希は他の通知に紛れて気付いてないだけかもしれない。
そんな都合の良い解釈をしながら、いそいそとDiscordを起動する。
プルルという電子音を聞きながら、手持ち無沙汰に眺めた視線の先には会社のロビーに据え付けられた自販機があった。
視界に入ってしまうと、何となくコーヒーが飲みたくなる。
朔馬は自販機に歩み寄ると、肩と耳との間に器用にスマホを挟んで小銭を投入した。
いつも飲む微糖の缶コーヒーのボタンを無意識に押した時、またしても耳元で声がした。
「落ちるぞ」
ほぼ同時にガコン、と大きな音がして缶コーヒーが落ちて来る。
「そらそうだ、落ちるに決まってる」
呟きながら、缶コーヒーを拾い上げてプルタブを引き上げた。その間も呼び出し音は勤勉に結希を呼び続けている。
「昼飯かなぁ」
ガコン、と自販機から音がした。
次に買う人がいたか、と朔馬は慌てて自販機から1歩退く。しかし周囲に朔馬以外の人はいない。
「あれ?」
空耳か、と首を捻りながら受け取り口を覗き込むと、そこには炭酸飲料のペットボトルが転がっていた。
「え? あれ?」
目を瞬かせた彼の前で、更にガコンと音がして、今度はお茶のペットボトルが落ちて来る。間髪入れずに、ガコンと音がしてエナジードリンク、ガコンと音が鳴り紅茶、ガコンとミネラルウォーター。
「え? ちょ、えぇ?!」
ガコン、ガコン、ガコンと音は鳴り響く。
受け取り口からこぼれた飲料がころころと床を転がって、朔馬の爪先で止まった。
それでも自販機の勢いは止まらない。ガコン、ガコンと規則正しく飲料を吐き続ける自販機に、ロビーを行き交う社員達の足が止まる。
「どしたん、故障?」
「うわ、すっげ」
「とりあえず総務だな、総務」
「あぁ、もう勘弁してくれよ!」
どよめき始めた周囲を背景に、朔馬は無駄に呼び出しを続けるスマホを手荒に切った。
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