納豆の日

夢美瑠瑠

第1話

 


 だいぶに前ですが、「脳内革命」という本が、すごいベストセラーになったことがあって、で、内容自体はあまり覚えていないんですが、骨子は、「前向きになれる脳内ホルモンを分泌させる生活を心がけることが心身の健康には最も良い」というもので、それが、ベータエンドルフィン、という物質。


 脳内モルヒネ、とも言って、ランニングハイとかに顕著ですが、何か苦痛が生じたときにフェイルセイフのように、感覚を麻痺させて快感を生じさせる物質であります。


 で、著者の、春山医師は、そのためのノウハウをいろいろ紹介していて、そのひとつが「納豆を食べる」というのでした。


 なぜかはあいまいですが、とにかく毎日納豆かけご飯を食べると、脳内モルヒネが分泌しやすくなるというので、さっそく僕も毎日納豆を食うようになった。


 もちろん納豆自体はそうおいしくないので?信仰のための苦行のようなものだったが、健康の増進や家計の助けにはなったと思う。コスパの点では納豆は優等生の食品ですから…ナットウキナーゼという血液サラサラ成分も知っている。


 そういう、「健康のためには○○がいい」という話が、当時は多かった気がする。サプリメントが流行りだしたころで、昼のワイドショーで「中性脂肪を減らす」と、トマトのリコピンの薬効が紹介されると、陳列棚からトマトが消える、というようなことがよくあった。


 コエンザイムQ10、というサプリが流行すると、猫も杓子も?飲んでいたが?実はただの心臓の薬で?今はだれも見向きもしない。DHAを今も飲んでいる人も少ないと思う。サプリブームのハシリはDHAだったと思いますが…


 要するに、「マスコミ」という、実質的には商業主義の傀儡に過ぎないおばけのようなものが社会の真ん中に鎮座しているから?こういう滑稽なおかしな現象が生じるのかな?とか思えてしまう。


 一概に滑稽で有害なものばかりがマスコミ、とは言い切れないにしても、商業主義や資本主義の軽薄さや泡沫性、些末主義、どうしてもそういう欠陥と、マスコミというものは一体不可分にならざるを得ないのではないか?


 まず「売れる」ことが肝要で、そのために嘘のプロパガンダを繰り返さざるを得ない。消費者は馬鹿なほうが都合がよい。添加物まみれという危ない実態が知られては大変で、偽装や糊塗を繰り返す。それもこれも利潤を優先するから…


 そういうことは一事が万事というか、あらゆることにそういう商業主義の弊害は、根強く浸透していて、それを脱するのは容易でない。地球温暖化だってそのうちのひとつなのは、コロナ禍で証明された。少し工場の操業を減らしただけで、見違えるほどに海や山、大気や水がきれいによみがえったところが多いというのだ…しかし、こういうことはいうまでもなく、「大きな声では言えない話」。


 現今の文明のあり方に警鐘を鳴らす、良心的な生態学者も多いらしい。ローマ会議?の作っている「終末時計」が、人類の終焉までをカウントダウンしているというのは有名です。


 「地球温暖化」は過去の話で、「地球沸騰化」になってきたという。

 今のように、マスゴミに操られる、能天気な政治や社会のままでいいのだろうか?

 真夏の酷暑ですが?「お寒い限り」ではないでしょうか?



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る