最終回

 あれから十年の月日が経過した。わたしは今、ふたたび、あのときめき坂を駅へと向かって歩いている。


 祖父と祖母の結婚記念日からまもなく、高校三年生に進級したわたしは、受験勉強に追われることとなった。思うように伸びなかった模試や学校の定期テストの結果に散々頭を抱え、時には泣いたりもしたが、なんとか京都にある大学に合格することができた。


 大学では、講義や課題のレポートをこなしつつ、運動系のサークル活動に参加した。サークルやゼミでできた友だちと徹夜で遊んだり、テスト前には勉強会をやったりと、楽しい大学生生活を謳歌した一方、アルバイトにも取り組んだ。居酒屋、レストラン、カフェ。飲食店を中心にいろいろ経験した。


 大学二回生の秋、新たなバイト先を探していたわたしは、改めて将来について真剣に見つめ直した。


「誰かの幸せをお手伝いする仕事がしたい」


 祖母と西武に買い物に行った日以来、ずっと抱き続けてきた想い。求人情報を読み漁り、大学の近くにある結婚式場でのブライダルバイトを始めた。体力勝負であるという面や覚えることの多さに苦労したが、新郎新婦や参列者たちの笑顔を見たり、「ありがとう!」と言ってもらえた時、かけがえのないやりがいを感じた。自分のやりたいことを全て叶えられる仕事だった。


 卒業後、ブライダル業界に就職した。現在、ウエディングプランナーとして、幸せに満ちた空間を創るために日々頑張っている。


 二〇二〇年、開業四十四年を迎えた西武大津店。あの日以来も、わたしの生活の一部であり続けた。アクセサリーやコスメだけでなく、リクルートスーツ、初任給で家族にプレゼントしたフルーツゼリーのセット——何かの節目のたび、必ず、西武で買い物をした。


 しかし、郊外型ショッピングモールの勢力の拡大や京阪神商圏への顧客流出などが重なり、業績は低迷。地方百貨店を取り巻く経営環境の荒波に抗えず、二〇一九年十月十日、翌年の八月いっぱいで閉店することが公表された。


 八月最後のこの日、西武大津店は、ついに、その役目を終えることとなった。多くの地元民から親しまれたデパートの最後の瞬間に立ち合おうと、わたしは夕方から現地に足を運んだ。——祖父と祖母と一緒に。


 七階で開催された「44年のあゆみ展」などをみんなで巡った。建物の中を歩いていると、いろんな思い出がつぎつぎ溢れ出してきて、それを語らい合ったりもした。自分の二十七回目の誕生日でもあるこの日に、最後、来ることができて良かった。


 午後八時。一階南出入り口に姿を見せた店長は、店前に集まった多くの人たちに対し、深くお辞儀をした。


「ありがとう!」


「さよなら!」


「ずっと大好きだよ!」


 あちこちから飛び交った声援。ゆっくりと、下ろされるシャッター。そして、それをお互いの手をしっかりと握り合って静かに見つめている祖父と祖母——地元から愛された百貨店最後の光景がありありと瞼の裏に映し出されている。


 自動改札機を通り、下り列車を待つ。駅舎も数年前に建て替えられ、ずいぶんときれいになった。


「疲れてない? 大丈夫?」

 その時、横からかけられた声に反応して、顔を向けた。一人の男性——わたしの夫——が心配そうな表情でこちらを見ている。


 夫とは昨年の一月に結婚した。そのおよそ二年前、共通の友人が企画した飲み会の場で出会ったわたしたちは、お互いに同じ大学の出身であることや好きなアーティストが一緒だったことなどをきっかけに、交際をスタートさせた。半同棲期間を経て、大安の日、婚姻届けを出した。


 彼の顔を見ながら、わたしは微笑で首を振り、


「大丈夫。ただ……少し寂しいなって、思ってるだけ」


 ひとつ、深呼吸をした。視線の先で、祖父母の姿を捉える。いくつになっても、愛し合う二人。背はどちらも昔より、小さくなったが、寄り添う姿はまったく変わらない。


 踏切の警報機が鳴り出した。「電車が近付いてまいりました——」接近放送がかかり、電車が目映いライトを照らしながら、ホームに入ってくる。


 わたしは、ポコッと動いたお腹に優しく手を当てた。



       了

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