婚約破棄は構いませんが、魔眼を隠しているとご存じなかったの?

新 星緒

糸目に隠された秘密

「私、ジャンルイージ・アドフェニスはハバロネス公爵令嬢エフィーリアとの婚約を破棄をする!」

 王太子の突然の宣言に、広間は水を打ったように静かになった。


 先の大規模魔獣討伐で功績をあげた騎士の、授爵式の最後。病床にある国王の名代をしていたジャンルイージが、『最後に大切な発表をする』と告げた次に発したのが、この宣言だった。


 突然のことに、彼の婚約者たる私は動揺――は、しなかった。

 ずいぶん前から彼は私に素っ気なかったし、陛下が病に倒れてからはあからさまに邪険にした。代わりに愛らしい男爵令嬢を贔屓にしている。

 とはいえ、婚約破棄までするとは思わなかった。私と形だけの結婚をして、男爵令嬢を寵姫にするものだと考えていた。

 それがまさか、こんなことになるなんて。


(ジャンルイージと結婚しなくて済むのは、嬉しいけれど)


 幼いころは、彼を素敵な王子様だと思っていた。でも十歳になるころには自分の認識に疑いを持つようになり、十二になるころには自分の選択を後悔した。

 私はジャンルイージと、結婚したくなかった。

 だけど王子との婚約を簡単に解消はできない。

 そしてできたとしても、その先にあるのは、より悲しい現実だ。


「本気なのか、ジャン」

 そう言いながら。チェザリオが進み出た。ジャンルイージの双子の弟だ。

 双子といっても金髪碧眼で線の細い美青年のジャンルイージと違って、チェザリオは黒髪黒瞳でいかつい体型、美男ではあるけれど常に険しい表情をしている。まったく似ていないふたりだけれど、それぞれ母親と父親にそっくり。


 そしてチェザリオこそが、『悲しい現実』だ。

 ジャンルイージの婚約者でなくなった私は、チェザリオの婚約者にならなければならない。


 だけど彼は、幼いころからずっと、私を嫌っている。

 私自身も彼は苦手だ。なるたけ関わらないようにしてきた。


「ああ、本気だとも」とジャンルイージがチェザリオに告げる。それから、ビシリと私を指さした。「こんな糸目の女、なにを考えているかわからなくて薄気味が悪いだろうが! 王妃にふさわしくない!」


(あら? 確かに私の目は糸のように細いけれど……)


「ジャンルイージ殿下。婚約破棄の理由は、私の目なのですか」

「そうだ!」と叫ぶ殿下。


(それは驚きだわ。陛下はなにも伝えていなかったのね)


「いくら二大公爵家のひとり娘だからといって、なぜ父上がこんな顔の令嬢を王族に招き入れたいのか、ちっともわからぬ!」 

 ジャンルイージの言葉に、チェザリオが顔を歪めた。

 このままだと、彼は私を妻にしなければならなくなる。


 十年前、国王陛下は幼かった私たちに命じたのだ。『エフィーリアと双子のどちらかが婚約をする。余ったほうはふたりが結婚しなかった場合、エフィーリアと結婚すること』と。そのせいでチェザリオは二十歳だというのに、いまだに婚約者がいない。


 ーーでも、それもあとひとつきほどの辛抱

 と、彼はついさっきまで、考えていたはずだ。ジャンルイージと私は、来月挙式予定だった。

 なのに直前になって、この展開。

 チェザリオは、はらわたが煮えくり返る思いでいるだろう。


「私が婚約を破棄した以上」とジャンルイージが続ける。「チェザリオがエフィーリアと婚約しなければならない」

 チェザリオが、ごくりと唾を呑み込んだ。きっと、どう断ろうか、考えているに違いない。

「だが、それではチェザリオがあまりに気の毒だ。こんな糸目の女! だからお前は婚約をしなくていい。なに、父上が回復するまで、全権は私にある。心配するな」


(まあ。それが本当なら安心ね。私も、チェザリオも)


 ほっとして笑みがこぼれる。糸目であることは変わりないけれど。

 ジャンルイージが恋人の男爵令嬢を手招きした。

「みなに紹介しなければな」

 顔を強張らせた宰相がジャンルイージになにか言いかけたけれど、王太子は片手をあげてそれを制した。


「紹介しよう! 私の新しい婚約者、ミエーレ男爵令嬢シャーリーだ!」

 パチパチと手を叩く音がする。ミエーレ男爵夫妻だ。ほかの者たちは当惑した顔で、まわりの反応をうかがっている。


「公式の場での婚約破棄ならびに、新しい婚約の宣言」とチェザリオが低い声で言った。「宰相。有効だな?」

 はい、とうなずく宰相。


「では、エフィーリアとは俺が婚約する。問題ないな、宰相?」

「え? どうして」

 思わず、疑問を口にしてしまった。

 そんな私に構わず、宰相は再び、はい、とうなずく。


「父上はそういう方針だっただろうが」とチェザリオは私を見ずに答えた。「お前は黙って従えばいい」

「そんな! あなただって嫌でしょう?」

「国王の方針だ」

「だから、そんなものは反故にしてよいと言っている! そんな糸目の女、いくら公爵令嬢でも気味が悪いだろう!」ジャンルイージが叫ぶ。


(糸目糸目って、失礼ね!)


「不可能です」と反論したのは、宰相だった。

「なぜだ」とジャンルイージ。

「不可能ならば、問題ないな」とはチェザリオ。


(ん? 問題ないってどういうこと? まるで婚約を望んでいるかのように聞こえるわ?

 まさかね。言葉のあやでしょう)


「いいですか」と宰相。「エフィーリア嬢との婚約がととのったときのことを、よく思い出してください」


 その言葉に、記憶をたどる。あのとき私は八歳だった。それよりもずいぶん前、幼少期から双子の王子とは交流があった。それで、兄のジャンルイージは優しい、弟のチェザリオは意地悪だと思っていた。

 そうそう。チェザリオには、よく手にトカゲやカエルなんかを乗せられたものだ。庭園に散歩に出ると必ずだった。ひどい嫌がらせだったけれど、王子様に文句を言っていいのかわからず、ガマンしていた。


 だから陛下に、『ジャンルイージとチェザリオ、どちらかを婚約者に選びなさい』と言われたときに、迷わずジャンルイージを選んだ。あのときは彼も、喜んでくれていたのだけど。

 長じるにつれて、私の糸目が嫌いになったのね。

 確かに令嬢としての見栄えは悪いかもしれない。でも――


「思い出されましたか?」と、宰相。「エフィーリア嬢と婚約した方が王太子となるのです」


「「「ええっ!?」」」

 双子と私の叫び声が重なった。

 それに驚く宰相。

「まさか、みなさんお忘れで?」

「いや、聞いていないぞ」とジャンルイージが言えば、チェザリオも私もうなずく。


「ああ、彼らには話さなかった」

 そう言ったのは、お父様だった。ずっと離れたところから黙って私たちを見守っていたのだけど、ついに前に出てきた。

「どういうことですか、お父様」

「王子なんかよりお前のほうが価値があると、陛下が判断したからだよ」と、お父様が微笑む。

「意味がわからない!」と叫ぶジャンルイージ。


「ですから、王太子の地位にはエフィーリア嬢の婚約者がつく決まりなのです。そして」と宰相。「ジャンルイージ殿下が婚約破棄宣言をしたとき、あなたは王太子として国王代理の任にあったために、それは成立しました。けれど婚約がとかれた今、あなたは王太子ではないのです」

「父上の名代は『ジャンルイージ王太子』だ」とチェザリオが呟く。

「そのとおりです」と宰相。「ご自身の婚約宣言ぐらいは成立しますが、国王代理としての権限はもうございません。ですから、エフィーリア嬢はチェザリオ殿下と婚約をすることが決定となります」

「そんな……」


 チェザリオを見る。彼は厳めしい表情で床をにらみつけている。よほど我慢がならないらしい。

 私だって、彼と結婚なんてしたくない。ジャンルイージとどちらがマシかと考えると――。

 以前ならジャンルイージと答えた。けれど、こんな大切な場で婚約破棄を勝手に宣言する身勝手さを知ってしまうと、選ぶのは難しい。


「待て、宰相!」とジャンルイージ。「そもそも、どうしてエフィーリアに選択権があるのだ。おかしいではないか」

「私は詳細は存じません」

「あんな糸目!」叫んだジャンルイージは、特大のため息をついた。「仕方ない。とりあえずエフィーリア、婚約破棄はなしにしてやる。ありがたく思え」

「今更なにを!」


 チェザリオが叫んでジャンルイージに掴みかかる。


(どうして? さきほどまでは嫌そうだったのに)


「そんなに王太子になりたいか!」


(ああ、なるほど。私と結婚するのは嫌だけど、ふって湧いた王太子の位が魅力的なのね)


 王子ふたりが、醜い口論をし続ける。合間にジャンルイージは『可愛げのない糸目』だとか『王妃らしくない糸目』だとか『表情が読めなく気持ちの悪い糸目』だとかの悪口を挟んでいる。


(あんまりじゃないかしら?)


「お父様。そろそろ私の寛容も限界ですわ」

「そうか、娘よ。好きにしてよい」

「……よろしいのですか」

 お父さまは笑顔でうなずいた。


(では)


 私はジャンルイージの元に進み出ると、

「あなたの婚約者に戻るつもりは毛頭ありませんわ!」と告げた。「ひとの容姿をけなしてばかりいる方なんて、願い下げですもの」

 それからチェザリオに向き直る。

「あなたもです。私を嫌っているひとの妻になんてなりたくありません」


 宰相が

「それは困ります」と情けない顔をする。


「ええ。だから、どうしても二人の中から選ばなければならないというのなら」

 王子たちにむけて、にっこりとする。

「糸目には理由がありますの。そうしなさいと陛下に命じられたからですわ」


「「は?」」

「私の目、魔眼ですのよ」

 ゆっくりとまぶたをあげる。目を開いた私は、かなりの美貌のはずだけど、気がつくかどうか。彼らは世界に私だけと言われる、金色の瞳を見ることだろう。


 しっかりとジャンルイージの目をみつめる。

「とりあえず結婚して、あとで始末すればいい」

 彼の口から恐ろしい言葉が出てきた。慌てて両手で口を押さえる。

「国王は私こそがふさわしいし、でなければ父上に毒を盛った意味がない」


(なんてこと!)


「一刻も早くシャーリーと結婚しないとな」ジャンルイージは蒼白だけど、口は止まらない。「婚約中にほかの女を妊娠させたとバレたら、さすがにハバロネス公爵も怒るだろう。チェザリオを王太子にとでも言い出すかもしれない」

 ジャンルイージが涙目で、

「し、知らない。今の言葉は私が言ったのではない」と頭を横に振る。


 だけど、それが彼の本心なのは間違いない。

 私の魔眼は、目の合った相手が隠している本心を暴くのだ。

 これにどれほどの価値があるか。陛下が喉から手が出るほどほしがった眼であり、他国に奪われることを恐れた眼でもある。

 だから王子との結婚を強制されたわけだけど、王太子を決める権限までついていたとは思わなかった。


 衝撃的な告白をしたジャンルイージの元に近衛兵たちがやってくる。

 次はチェザリオの本心だ。結婚相手はもう彼に決まったようなものだけど、もし回避できる要因があったなら。


 呆然と兄を見つめている彼を見る。すぐに目が合った。

「この機会を逃すものか。なにがなんでもエフィーリアを手に入れる!」

 チェザリオが息をのみ、右手で口を覆った。


(これは、どういうこと?)


「エフィーリア! エフィーリア! どんなに恋焦がれてきたことか! 気が狂いそうなくらいに好きなのに!」


「え……?」

 チェザリオは真っ赤な顔をして、両手で口を押さえている。

 でもどんなに抵抗しようとも、私が眼を離さない限り、相手は私の視線からは逃れられないし、口をつぐむこともできない。


「嫌われていたって、構わない。エフィーリアが私のものになるのなら。他の男のものにならないのなら。そばにいて、みつめるだけで我慢する。絶対に、今度こそエフィーリアの婚約者になるんだ!」


 急激に顔は茹で上がったかのように熱いし、胸は痛いほどに、ドキドキしている。

「あなた、私を嫌いよね?」


 暴いた本心が偽りではないことは、私が一番よく知っている。でも、信じられない。チェザリオはずっと私を嫌っていた。


「カエルやトカゲを渡されたし」

「あれは私の宝物だった!」とチェザリオ。「喜んでくれているのだと思っていたんだ。そうでなかったと知ったのは、エフィーリアがジャンルイージを婚約者に選んだときだ。どれほど絶望したことか!」


「えええっ!? 嫌がらせではなかったの?」

「違うっ!」

「公爵令嬢にそんなものをプレゼントする王子は、世界広しといえども他にはいないでしょうな」と、お父様が笑う。

「プレゼント……」


(ちょっと待って。理解が追いつかないわ。チェザリオは私を嫌いではなかったの? むしろ……)

 いったん下げていた目を彼に向ける。


「ああ、なんて愛らしいんだ! 細い目も可愛かったが、この顔もとてもたまらない!」

 チェザリオの口から、またも信じられない言葉が紡がれる。

 恥ずかしくなって、また下を向く。


(だって、ずっと嫌われていると思っていたのよ?)

 胸がドキドキしすぎて、苦しい。

(こういう場合、どうすればいいの?)


 王妃になる教育はたくさん受けてきたけれど、好意を向けられた場合の対応は習っていない。

 と、突然チェザリオが私の前に片膝をついた。真剣な眼差しで私を見上げている。


「エフィーリア。愛している。私と結婚してほしい」

「でも、あの……」自分でも驚くほどか弱い声がでた。「私の魔眼、相手の本心を暴露させてしまうの。怖くない?」

「まったく。もう、君に知られて困ることはなにもない」

 そう言ってチェザリオは満面の笑みを浮かべた。


「エフィーリアは私の本心に心動かされるようだとわかったからな。これからは、すべて伝える。どれほど愛しているか、毎日毎時間毎分囁こう。そうしたら、君は私を好きになってくれるだろうか」

「ええと……」


(答えはわかる気がするわ! でも、こんなことを尋ねられたことがないから、恥ずかしい!)


「どのみち、もう逃がすつもりはない」

 チェザリオはそう言って私の手を取ると、甲にキスをした。


◇◇


 その後、ジャンルイージは城の地下に幽閉された。恐らく二度と、陽の光は見られないだろうとのことだ。

 国王陛下はご回復され、無事国政の場にお戻りになった。

 そしてチェザリオと私は、つつがなく婚約した。もともと拒否権はないのだ。

 ただ、政略結婚とは思えないほどの愛情と幸せがある。彼にも私にも。




 夜会に出席するため王城を訪れた私を、チェザリオが迎えに出てきた。

「今夜もきれいだ」と言って、まぶたにキスを落とす。「その糸目も可愛いけれど、金色の瞳を見せてくれ」

「あなたにはなんの意味もないじゃない」

 笑いながら、私はほぼ閉じていた目を見開く。チェザリオと、しっかり見つめあう。

「意味はあるさ。エフィーリアの視線を、私だけが独占しているとわかるから」


 かつて私が嫌っていた王子様は、魔眼を恐れず、糸目を嫌わず、そして誰よりも私を愛してくれるひとだった。

 ほんのちょっと愛が重いけれど。でも、それも幸せに感じてしまうのよね。


《おしまい》

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婚約破棄は構いませんが、魔眼を隠しているとご存じなかったの? 新 星緒 @nbtv

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