黒色の研究

薬瓶の蓋

喧噪 01

 新宿の歓楽街にはペットショップもいくつか存在している。出勤前のホステスやキャバクラ嬢が上客を伴って仔犬や仔猫を買って貰ってから出勤していくことが多い。もちろん、店が終わったあとのアフターの場合もあるが、今は法律で犬猫の展示は20時まで、と決まっている。どちらにしろ、実際に引き取られていく犬猫は多くない。登録だ、健康診断だと理由を付けて店舗に置いている間に女性の方から買い取りキャンセルの連絡があれば店側と女性の間で金の受け渡しを行い、犬猫たちは再び展示用ケースに戻されることになる。そんなのは目も開かないうちに道端に放り捨てられて鳴き声を上げていた俺には関係ない上流社会だと思っていた。


 仕事帰りのサラリーマンたちと学生たち、観光客まで入り混じって賑やかな通りを俺の相棒は歩いている。普段は別の道を自転車で通っているが、今日は途中で野暮用があってJRで移動してきたのだ。

 俺を連れている康平こうへいは他の人々より背が高い。198センチ100キロの体格に俺を入れたリュックサック型キャリーを背負っている。

 康平がふと、足を止めた。見慣れない景色に俺は戸惑う。そのまま、近くのビルの正面にあるガラス扉を開けると階段を使って2階へと上がっていく。華奢なアイアンの造りの手すりの付けられた階段はこれから飲食店にでも続いているのか、という連想をさせる。ビル建設当時はその予定だったのかもしれない。

 2階にあるその店はペットショップの臭いがしていた。出入口には「ファーフレンズ」とピンク色と黄色の文字で書かれている。店内の細い通路にはリボンやレースの付いた小さな服や飾りが並んでいた。色とりどりの革製の首輪には一面にラインストーンが光を放っている。狭い店内でリュックが引っかかったのか、康平はリュックを下ろして手に下げた。「猫用おもちゃ」の列を眺めていたが、見つからなかったらしく、レジにいる退屈そうな店員に声をかけた。

「いらっしゃいませ」

「すいません、またたびの枝を探しているのですが、置いてありますか?」

「あー。すいません、粉末しか取り扱ってないんですよ」

「そうですか」

 男性店員の右側にはカーテンの掛けられた一角がある。左側には爬虫類のコーナーがあるようだった。康平は礼を言って店を出た。

 再び階段を通る。降りてきたところで三人の声がした。ビルのドアの内側で真面目そうな女性と男性二人が何か話している。まだ若い男性は二人とも黒っぽいベストを白いシャツの上に着ている。黒髪の方は耳や洋服のあちらこちらに銀色のチェーンを付けている。もう一人の男性は脱色した金髪だ。金髪の方は右手に飲み物の缶を持っている。床に立ててある看板からすると地階と地下はクラブやバーと呼ばれる飲食店のようなので、そこの黒服なのかもしれない。勤務中に酔っぱらっていていいのかどうかは知らないが。

「通してください」

「だーかーら、アンタみたいのがこられっとメーワクなの、わかる?」

「あなたたちに関係ないでしょう。どいてください」

「このビル、他にもお店入ってるんだからさぁ、帰ろうよ」

 ビルの出入り口としてわかりやすいのはこの三人の背後にあるガラスドアだ。康平はそのまま三人の横を通り過ぎようとしていた。

「あっ猫ちゃん! すいません、お話お伺いしてもいいですかっ」

 女性が大きな声で康平を呼び止めた。

「私、犬猫の権利活動をしている高橋といいます、2階のお店に行かれたんですか?」

「ええ、そうですけど?」

「だからメーワクだからやめろって」

 金髪の言葉を無視して高橋という女性は続けた。

「あのお店、ワンちゃんや猫ちゃんを売ってますよね、まだ展示してましたか?」

「オイ、アンタこの女の仲間か?」

「カーテンが引いてありましたよ」

 ご機嫌が悪そうな金髪の声を無視して康平が答えた。チェーン男の方が康平の顔を認識したようだ。

「直也、よせって」

「なんだよ、秀和びびってんの?」

 秀和と呼ばれたチェーン男が金髪の肩を抱いて俺たちから離れようとした。康平はそのまま出入口へ向かう。

 空中を銀色の缶が飛んできた。

 レモンの絵が描かれたチューハイの缶がリュックにぶつかって康平と女性の間に転がる。缶が当たった時に中身が零れて俺のリュックにかかった。強烈なレモンの人工香料とアルコールの臭いに俺は目が回るかと思った。

「あれェ? 当たっちゃった?」

「猫にアルコールは毒なのよ! かして!」

 悲鳴にも似た声で女性が叫び、俺はリュックから掴み出された。体じゅうを女性のハンカチがこする。横目で見ると、康平は金髪の間合いに一足で入り、拳を振り抜いていた。金髪の左顎を耳の前でとらえ、反対側の肩へ向かって殴り下ろす。金髪の顎は外れたと見て間違いなさそうだ。前かがみになった金髪の胃に康平の左拳が吸い込まれる。金髪の身体が階段の手すりに向かって飛ばされ、そのままズルズルと床に崩れ落ちていった。口から流れているのは俺にぶつけた缶に入っていたレモンチューハイと胃液だろう。

 無防備に投げ出された金髪の右手を康平の靴が踏み砕いた。

 チェーン男の方はぽかんと口を開けて見ているだけだ。

「オイ、アンタこの男の仲間か?」

「は、はいっ、あ、いいえっ、はいっ」

「病院の場所は知ってるな?」

「はいっ」

「連れて行ってやれ」

「はいっ」

 ほろ酔いの時は、気分が大きくなるのものなのかもな、と俺は女性に抱えられたままチェーン男と金髪を見ていた。

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