MIS合同会社 本社 02

「結婚してから追い出されたら面倒ですからね」

「堀さんは岡部さんが自殺したのではないかと言っていた」

「ああ、まだそんなことを言ってるんですね。確かに栞理と付き合っていたのに魔が差して梨緒と関係があったのは事実ですが、元々が大人の遊びです。それに梨緒は通り魔に殺されたんです」

 それにしても、と竹内氏は続けた。

「もうすぐ結婚披露パーティだというのに、情緒不安定で心配です。ぜひとも探偵さんには原因を突き止めていただきたい」

 そろそろ帰ってくれ、という意思表示だろう。康平は俺をリュックに入れると立ち上がった。ただし、俺がてっぺんから頭を出しているので前に抱えるようにして歩いている。

「明日からまたソウルに出張ですからね、今日お話しできてちょうど良かった。戻るまではこの山本が代わりにお話を伺います」

山本やまもと 裕太ゆうたです」

 俺が覗き込んだ名刺の肩書は「副社長」となっていた。他は社長の竹内氏と同様に見える。

「ソウルに最新の美容機器を見に行くんです。もちろん、一般的な医療用機器をソウル本社でも扱っていますし」

 竹内氏は康平を送り出しながら言った。

 康平を案内するように竹内氏は受付の方へと歩いていく。環境音楽が流れて静まり返っていた受付が少しざわついていた。楽器のケースを背負い、白いジャケットとベビーブルーのワンピースを着た女性が受付の女性たちと押し問答をしている。女性はすぐに竹内氏を見つけて駆け寄ってきた。

磯村いそむらさん、今日はお約束は無いはずですが?」

 竹内氏よりも先に、傍らにいた山本氏が声をかけた。

「披露パーティでの選曲を任せていただきたいと思ってお話に来ました」

「その件はコーディネーターの鶴巻さんとお話してもらえ」

「彼女の選曲はあまりに無難すぎて心に訴えません」

 なかなか生きのいい音楽家のようだ。竹内氏も社長として押しは強そうだが音楽家は竹内氏に喋らせなかった。

「にゃーん」

 俺が一声鳴くと、音楽家は康平に気が付いたようだった。スーツ姿ではない康平はここの社員ではない、と判断したのだろう。何者であれ、一般的日本人は会社を訪問する時には飼い猫を連れていないものだが。

「えっと、あなたも披露パーティの関係の方ですか? 私、バイオリニストの磯村いそむら 麻有まゆです」

「磯村さん、こちらは別件でお願いしている方です。すいません、小林さん」

 山本氏が康平と麻有嬢の間に割って入る。

「あら、すいません」

 全く悪びれていない麻有嬢に竹内氏が笑い出した。

「いいでしょう、磯村さん。就業時間後まで待っていただければあなたのコンセプトをお伺いしますよ」

「ありがとうございます!」

「いえいえ。それじゃあ、また3時間ほどしたら来てください。探偵さんは今後ともよろしくお願いしますよ」

 そんなわけで音楽家の麻有嬢と俺たちは同じエレベーターに乗り合わせることになった。

「探偵さん、なんですか?」

「ええ、一応」

「関係は無いかもしれませんけど、探偵さんからもバイオリニストの希望を優先するべきだって言ってもらえません?」

「そうですね、特に弾くべきだと思っている曲はあるんですか?」

「パガニーニのヴァイオリン協奏曲を考えているんです。弾かせてもらえるかどうかはわかりませんけどね」

「得意な曲?」

 康平の問いに対して麻有嬢は少し考え込んだ。そして少し照れたように笑った。

「大好きなんです」

 麻有嬢はエレベーターが地上階につくと「一旦学校に戻って先生に相談してきます」と言って去って行った。

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