便利屋ドラキュリーナは少年と共に

車田 豪

プロローグ

 逃げる少女の焦る息遣いが、狭い路地裏に反響する。誰かに助けを求めたい状況にありながら、どんどんと人気のないところに入り込んで行く。墓穴を掘って段々と本末転倒な状況に陥っていくのが、人間という種族の悪い癖なのだろうか。


 今朝降って乾いていない水たまりを踏み散らし、短く小さい足で必死で逃げる。少し離れた後ろに、血眼の男二人が迫っている。


 逃げ場を求め、助けを乞い、手を伸ばして曲がった先には、無慈悲にもコンクリートの塀がそびえ立っていた。腕を伸ばしても届く高さでなく、飛び越すことももちろん叶わない。


 怯えた表情で背後を振り返る。その先の光景に慈悲など存在しない。仕方ない。それが現実だ。


 息を切らした男二人。ようやく追い詰めた得物を前に、嫌味な笑みを浮かべている。


 「ったく、手こずらせやがって」


 息を詰まらせ、両手で胸を押さえる少女に、男の一人が手を伸ばす。節くれ立った、ごつごつとした荒くれ者の手だ。


 少女のそれとは比べ物にならない様な、力強い手。無論、彼女に成す術などない。


 ――さて、と


「少年、出番だ」


 男二人の少し後ろ。何もないはずの空間から、女の声が上がる。その声につられ、男たちが後ろを見た、その時だ。


「ラジャー、ニーナ」


 夜空から、少年が飛び降りて来た。


 少なくとも、少女からはそう見えた。実際には、隣に立っていた雑居ビルの二階の窓から飛び降りて来たに過ぎない。


 頭上からの声に、男たちが再び前に向き直ったと同時に少年は着地し、すぐさま攻撃に移る。鋭く放った右のローキックで左の男の膝を潰し、遅れて拳を振りかぶった隣の男の頬に右の裏拳を叩き込む。


 顎を砕かれ、昏倒し、男は膝を付く。少年は拳を振った勢いのまま体を右へ半回転させ、振り上げた右足で後ろ回し蹴りを男の首元へ浴びせる。男はそれをもろに食らい、隣の壁に側頭部を強打した。ノックアウト。


 もう一人の男、少年から見て左側の男が腰元から黒い物体を取り出す。拳銃。少年は臆さず男の方へ踏み込んで、強烈な左の膝蹴りを下顎へ炸裂させる。


 折れた歯が男の口から飛び出すのと同時に、少年の背中側で銃声が上がる。銃弾は地面へめり込み、男は銃を取り落として、その場に崩れ落ちる。ノックダウン。


 男たちが立ち上がって来ないことを確認し、少年は少女の方へ向き直る。ポケットに滑り込ませていたタクティカルライトを取り出し、その光を容赦なく少女に浴びせた。


「目標確保。ニーナ、彼女は――」

「少年、それは可哀そうだろうに」


 その声と共に、何処からとも無く現れた長髪の女が、ライトを握る少年の右手をそっと押し下げる。光を奪われた少女の体が再び闇に紛れ、少年と女の輪郭が再びぼやけた。


「……あなたたちは、一体……?」


 怯え、掠れる声で少女は言う。その声を聞いた女がニヤリと笑い、言った。


「さぁ、何だろう? 君を食べに来た狼だったりして――イテっ!」


 ふざけた様子で獣の真似をする女の後頭部に、少年のチョップが炸裂する。


「保護対象を怖がらせてどうする」

「なんだよ、いいじゃないか少しくらい」

「ダメです。ただでさえこんな暗くて狭いところなのに」

「だからこそ、私なりに明るく振舞おうとだな……」

 

 女が口先を尖らせたのと同時に、遠方でパトカーのサイレンが響いた。


「おっと、撤収の時間です」

「おや、もうかい?」

「えぇ、警察が来ます。ここに居合わせると厄介なことになる」

「銃声を聞きつけたか。それで? この子はどうする?」


 女は少女の方を向きながら言った。少年が答える。


「彼らに任せましょう。もう僕たちの出る幕はありません」

「そうだな。もう私たちの範疇じゃないか」


 そう言って、二人は少女に背を向ける。


「ではな、お嬢ちゃん。じき警察が来て、ママに会わせてくれる」


 手を振る彼女の背に、少女は言った。


「あの! それで、あなたたちは――」


 フフッ、と女が笑う声が響く。不敵な笑みを浮かべながら、女は答えた。


「私たちか? 私たちは、ただの便利屋さ」

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