体育祭とギャンブル

第7話

体育祭

 

  1

 

生き物係だったことがある。中学生の頃だ。生き物係の子が不登校になったとかで転校初日に押し付けられた。ホウキとチリトリを持って先生に案内された飼育小屋。私は真っ白なウサギに邂逅する。

「ウサギのウーちゃんよ。仲良くしてあげてね」 

 ちょこんと猫背で真っ黒いビー玉のような眼、一定のリズムを刻むモゴモゴと動く口。ウーちゃんは耳を倒してこちらの様子をじっと観察していた。

「どう? 可愛いでしょ? 学校のアイドルなの」

 私は先生に曖昧に返事をしてウーちゃんを凝視していた。性別不明の「それ」は警戒を解いたのか十秒ほど経つと首を傾げて、そそくさとラビットハウスに戻っていく。膝を曲げて手を伸ばすと、鼻をヒクヒクと指にくっつけてきた。

その日から「それ」は、毎日の暇つぶし相手になってくれていた。

たくさんお世話をした。ウサギは寂しいと死んじゃうって噂を信じ切ってなるだけ多くの時間を一緒に過ごした。餌やりも掃除も一人でこなして、先生にも用務員さんにも褒められた。動物思いの優しい子と絶賛されたのだけれど、実をいうとクラスに居場所が無かっただけなのだ。転校早々にやらかしたから。

転校二日目。新しいクラスメイトのごにょごにょ話に耳をそばだてながら文学少女のフリをして時間を潰していると、ドン! って机が叩かれた。驚いて顔を上げる。

「仲真さん! 私、高坂蜜柑って言うの! 転校生で分からないことも多いでしょ? 何でも聞いてくれていいからねっ!」

 この時、高坂さんは気を遣って話しかけてくれたのだ。そして、私に要求されていたのは、気遣いに相応な丁寧なリアクションだった。

当時の私には、周囲に溶け込もうって意志が浅薄だった(というか溶け込むって発想を持ち合わせてさえいなかった)。そのため彼女のスマイルに鬱陶しい以外の感想を抱けず、

「……」

無視。そんな私の態度に目を丸くしつつも彼女は笑顔で話しかけ続ける。

「うちの学校、中学校なのにローファーで登校ってヤバいよね! 私達成長期で足のサイズがどんどん変わっちゃうのにさ」

「……」

 無視の継続。視線も小説に戻す。しばらくすると、いたたまれなくなった彼女は「なんか、ごめんね」って掌を合わせて机から離れていった。私は一言も発さなかったし顔もほとんど見ていないのだけれど、最後の一瞬の彼女の物凄く冷ややかな目だけは見逃していなかった。あと、彼女の笑顔は造花みたいに自然だなって漠然と思った。


別に友達が欲しいのではない。人間関係を上手く保てないのは分かり切っている。

ただ、それは腫物みたいに扱われても構わない、と同義ではない。留意はする。

「マイネーム、イズ、アズサ・ナカマ、アイムファイン、センキューエンデュ」

ウーちゃんを撫でながら、四時間目の復習。ウーちゃんの下には私が自腹を切ったひんやりマット。左脚にピンク色のギプスを巻いた「それ」は、目を細めてのんびりとした表情を晒す。骨折した脚は痛んでいないようだ。

ウサギの骨は軽く脆い。飼育小屋アスファルトは飼育に適していない環境なのだ。骨折を観測して以来、戯れる時はより一層気を遣うようになった。

「アイ、マイ、ミー、マイン。ユー、ユアー、ユー、ユアーズ」

チャイムが鳴り響いて休み時間が終わった。立ち上がって飼育小屋を後にする。

「イット、イッツ、イット」

午後は国語だった。昨日提出した感想文を基に話し合いを行うって授業。

話し合いのテーマはヘルマン・ヘッセの『少年の日の思い出』、ラストの主人公の「私」が蝶を潰すシーンについて。先生は私と高坂さんの感想文を対立させ、それぞれに演説を強いた。

高坂さんはエーミールへの償いと述べた。クジャクヤママユを壊してしまったことへの謝罪であり、蝶を大切に扱えない自分には収集家の資格がないという事実を突き付けられたための破壊であった、と主張した。

対して、私は「そうか、そうか、つまり君は」とエーミールに嘲られたのに屈辱を覚えたためであり、主人公の「私」の感じた取り返しのつかなさとは美しかったはずの、宝物の蝶が美しく感じなくなってしまったのだと反駁した。

チクチク言葉を片っ端から暗記した今なら、私の発言には一々棘があったって分かる。自分の解釈に固執し本文を引用し、高坂さんの読解を徹底的に否定した。彼女を泣かせてしまった。

彼女のすすり泣きの後、私はクラス投票によって誤った解釈の烙印を押され奇妙な転校生から腫物にランクアップを遂げる。

そして六時間目の社会の授業で江戸時代の士農工商が扱われ、私はクラスメイト達から士農工商の下の、人に非ずの身分を授与される。人に非ずだの、飼育小屋にいつもいるから動物と同じだの、資料集を引用され陰口をたくさん叩かれた。


 まあ、打ちのめされた。繰り返しになるけれど腫物扱いをされたくはないのだ。焦燥感に駆られた私は、早急な現状の打開を図って翌日、朝のホームルームの前に飼育小屋からウーちゃんを連れ出して教室に連れ込んだ。

 ウーちゃんは学校のアイドルらしいから教室に連れて行けばクラスでの立場が回復すると考えたのだ。私は何をするでもなくウーちゃんを膝に抱えてじっとしていた。私の席を横切る時、誰もが二度見をしてきた。二度見をしてそれから距離をとっていく。薄々失敗を悟りながら手持ち無沙汰に「それ」を撫で続けた。

 朝の会の終了後、担任の先生に引きずられて飼育小屋。ウーちゃんを開放し飼育小屋の前で尋問にあった。一時間目のチャイムもお構いなしに問い詰められた。

「どうして勝手にウーちゃんを連れ出したの? ウサギに教室のフローリングは負担が大きいから良くないっていうか……いや、それよりも……何て言うか本当にどういうこと?」

 つっかえながら言葉を紡ぐ先生。私はそんなに変に映るのだろうか。

「ウーちゃんは学校のアイドルだと聞いたので、連れて行けば関係の修復に繋がるかと」

 間を置いて逡巡の様子を示し、やがて合点がいったって風に口を開く。

「あ! もしかして、いじめられているの?」

「いや、そういう訳では無いと思います。ただ、このままだと人に非ずなので」

 陰口を叩かれたけれど、それだけでいじめと判断するのは短絡的な気がした。

「うーんとね、よく分からないんだけれど、友達ができなくて悩んでいるってこと?」

 それもまた違うのだが上手く説明できる気がしないので頷いてみせる。途端に先生の目に光が灯る。彼女は手を打ち合わせて、

「そういうことならね、仲真さん。あなたは休み時間に飼育小屋にいるでしょ? いや、お世話自体は素晴らしいのだけれどお友達が欲しいならとにかくクラスにいないと。私の言いたいこと分かる? 伝わっている?」

「ウーちゃんは邪魔ということでしょうか」

「邪魔とかじゃなくてウーちゃんとの時間を減らしてクラスにいる時間を増やしたら? ってこと。ウサギ小屋にいてもウサギのウーちゃんしか友達はできないでしょ? 人間の友達を作るには人間の空間にいなきゃ。……分かった?」

 至極道理だし先生の言うとおりだ。確かに飼育小屋に行くのは逃避目的だったし、逃避を続けていてはクラスに馴染める訳がない。腫物のレッテルを取り除ける訳がない。

「はい、分かりました。そうしてみます」

 あまりにも当たり前の事実だけれど私には目から鱗だった。霧の晴れた思いだ。思い当たる節がたくさんあったし、それらへの根本的な解法を見いだせたような気さえした。

「ねえ、怖いんだけれど本当に分かった? 本当に私の言いたいこと伝わっている?」

「はい、本当に伝わっています。今日から実行してみます」

「本当に分かった?」「本当に分かりました」の押し問答を何度か繰り返して、私は教室に舞い戻る。全て上手くいく、そう信じて止まなかった。

言行一致。この日から文学少女気取りの時間を増やした。

するとなんと、持ち物が次々と神隠しに遭い始めた。移動教室、体育の授業……その度に何かしら無くなっていく。主犯が高坂さんなことには驚かされた。転校すぐに声を掛けてくれた時の天真爛漫さ。もう私に対しては鳴りを潜めるようになっていた。

聞くところによると私の前の生き物係だった女の子もイジメが原因で不登校になったらしい。クラスに馴染めなくてウサギ小屋に避難していた私。前任者に妙な類似を感じた。

まあところで、私は持ち物が無くなって悪口を叩かれるごとに、むしろ高坂さんに関心を抱くようになった。つまりどうして他人をイジメるような彼女が、人気者の地位を固持できるのか。これが私には非常に難解な問題であった。

ずっと高坂さんのことを考え続けた。そして、ついに閃いた授業参観の道徳の授業。

結論。それは道徳的な思考が可能だから、というものだ。

授業で彼女は輝いていた。『少年の日の思い出』で見せたような明快な解釈を次々に打ち立て、それに対して先生も保護者もクラスメイト達も、彼女に惜しみのない拍手を送った。

なるほど、これだ。彼女の思考を模倣すればいいんだ!

私は彼女のインストールを試みることにした。アップデート内容は、上辺の天真爛漫さと、皆が正しいと思ってくれる道徳的な思考能力。

秋も更けてある日の帰り道。更新中の日常は突然終わりを迎えた。消失したスクールバッグが近所の小川に投げ込まれているのを三年生の兄に目撃されてしまったのだった。これを過剰に問題視した兄によって私の再転校が決定。


 転校前日の夜、私は学校に忍び込んだ。飼育小屋は閂に南京錠で施錠済みだから備え付けの窓から侵入。クレセント錠は古く、ネジは予め緩めていたので揺らすと簡単に開いた。

 ウーちゃんはラビットハウスの中で夜行性らしく眼を光らせていたのだけれど、私に気が付くと無警戒に飛び出し膝元で甘えだす。私は胡坐をかいてウーちゃんを抱き上げる。

一キロと少しの体重、トクトクトクとハイテンポな心臓の鼓動、お腹を中心にジュワーと広がる体温。初秋の夜の肌寒さにウーちゃんの熱は随分と染みる。

 幾度とその毛並みを撫でて、それからポケットのカッターナイフを取り出した。

カチカチと刃を伸ばしウーちゃんのお腹目掛けて一直線に突き刺す。刹那、胡坐の上で「キィ」って声を荒げて暴れだすウーちゃん。全身で押さえつけ、刃をさらに深く押し込む。

 爪がズボンを貫通し私の膝を傷つける。お互い血だらけだね、なんて思っていたらウーちゃんは「カッ」って鳴いた。事切れた瞬間だった。膝元に視線を下ろすとぎょろっと目を見開いて動かなくなったウーちゃん。身体はまだ暖かい。

 ウーちゃんの身体を抑えてカッターナイフを引き抜く。肉塊をアスファルトの上に置いて、そっと窓を跨いだ。窓は開けっ放しにしておく。

 校門をよじ登って校外に出ると人影に出くわす。まずいと思ったのも束の間、

「急に家を抜け出すもんだから、あずさの後を付けてきた……その血は人じゃないよな?」

 声の主は兄だった。中学生なのに、その片手にはたばこを携えている。

「ううん。人に非ず」

 静かにかぶりを振ってみせると兄は、詮索もせずに吸殻を足で踏みつけて歩きだした。一体、この人は何をしに来たのだろう。

「ごめんね。お兄ちゃんの受験が終わるまではと思っていたんだけれど」

「別に構わないさ。学校は変わっても塾は変わらないし。一般入試だから内申点も関係ないし」

「次は独立不羈を諦めてクラスに溶け込んでみる。足並みを揃えて行動してみようと思う。もう迷惑はかけないから」

 兄は何か言いかけるも、結局黙って二本目に火を付けた。

「……あずさも吸う?」

「不味いから遠慮する……ねえ、前から気になっていたんだけれど、たばこを吸う目的って何なの? 補導のリスクまで背負ってまで何の利益があるの?」

 指の間でくゆる紫煙が、夜空に立ち昇る。一吸いしてそれから、

「無利益だから吸うんだよ。本当に素晴らしいものは無利益の中にこそ存在するんだ」

「つまりお兄ちゃんはたばこを吸っている自分に酔っているってこと?」

「そういうことだ」

 兄は鼻を鳴らして煙を小さく吐くのだった。

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