第八話

 廊下の向こうを睨んで立つ湊本の背中を見ていたら、胸の奥がじんわり熱くなった。

「み、湊本、本当に助かった。もうどうなるかと……」

 湊本が振り返る。室内に戻ってきて、床の上のドアを足で蹴って、部屋の隅にどけた。

「本当にありがとう。あと、転校してきたってどういうことなんか聞いてもよか? あと、さっき頭突きのときにすごい音したけど大丈夫やった? あとずっと聞きそびれてたけど何で博多弁なん?」

 湊本は床に膝をついて、へたり込んでいる私と目線を同じにした。

「全部一遍に言わんで、じゅんぐりに言ってくれん?」

「えっと……じゃあ、まず、ありがとう」

 順番に言うのであれば、一番先に言うべきことはお礼であろう。湊本は溜息をついたかと思うと、かっと目を見開いて私を睨んだ。

「ほんと馬鹿なんじゃないのかな、何で連れ込まれとるわけ?」

「連れ込まれてっていうか、湊本が理科準備室で待ってるって言われて」

「そんなの嘘だってわからんか?」

「わ、わからんかった……。嘘とか考えもせんやったけん」

 湊本は淡い色の髪をかきむしった。

「ああもうムカツクな、なんでそんな簡単にクラスメートを信じるの」

「いや、普通信じるやん……というか、逆になんで湊本はクラスメートを信じんと?」

「転校してきて、いじめられたから」

「えっ」

 湊本はそっぽを向いた。

「福岡の高校からこっちにきたら、言葉が変だって笑われて、それで学校では話すのをやめたらクラスで無視されるようになったんだよね。まあ俺が先に無視してたわけだけど。でも会話なしだと不便なことも多くて、方言をなおしてしゃべるようにした」

「そうやったん……」

「それなのに小宮ちゃんときたら、クラスで浮いてるのに自分を変える気が一切ないやろ。博多弁ばりばりやし。その上、いじめをやめさせようとしたりしてさ。自分を貫いてるの、本当に腹が立って、ムカついて……眩しかった」

 口元は相変わらず不機嫌そうにしているのに、なぜか泣きそうな目をしていた。

「何を言われても自分を曲げなくて、俺ができんやったことをやってて、ちくしょう、負けたって思って、目が離せなくなった」

 徐々に湊本の頬が赤くなっていく。信じられない思いで見つめていたら、とうとう真っ赤になってしまった。どうしよう、可愛いと思ってしまった。湊本は咳払いをした。

「いや、いまは俺のことはよかったい。そうじゃなくて、いじめ問題からは手を引きなよ。また何かされたらどうすると。もう藻戸原には構うなって」

「それは……忠告はありがたく思う。私としても藻戸原を構う気は全然なか。あいつはクズやし、本当どうしようもない。でも、いじめはとめる」

 湊本は溜息を吐いた。

「ほんとムカツクな。まじで説得が通じん。俺は小宮ちゃんがおかしな目に遭わされるのが嫌なんたい、わかれよ」

「しかし、いじめを見て何も言わないのは、肯定するのと同じやけん。それはできん」

「できん! って何なのその無駄なカッコイイやつ。馬鹿じゃねえの、ほんと馬鹿なんじゃねえの。ああ、もう! 自分を貫きすぎやろ!」

 そう言い捨てて、湊本は走り去った。ひとり残された私は床に座り込んだまま呆然と窓のあった空間を見つめて、湊本の言葉を反芻する。

 そのとき、通りがかった担任が、理科準備室をのぞきこんで眉をつり上げた。

「小宮、おまえ、今度はドアを破壊したのか! 先生のせいか! 寂しかったのか!」

 これは面倒くさい話になりそうだ。

「待て、逃げるな」

 先生には申しわけないのだけれど、今はそれどころではないのだ。湊本が言った言葉の意味をちゃんと考え直したいのだ。湊本はどうして私にあんなことを言ったんだろう。どういう意味が込められていたのだろう。

 なぜか頬が熱い気がした。


 翌朝のホームルームで、湊本が教卓の前に立った。今朝は話し合いが予定されていて、どういう風の吹き回しか、司会役を湊本がかわってやったらしい。遊び人風の男子がクラスの話し合いを仕切るというのも、なんだか奇妙な光景だ。

 議題は夏祭りについてだ。今度うちの学校が地元の夏祭りに参加させられるらしい。ボランティア活動の一環だそうだ。今朝はその係決めの話をするはずだったのに、湊本は、「議題を変更します」と言い出した。そこで言葉を切って、私をじっと見つめる。何だろう。心なしか湊本の顔が強張っている気がする。緊張しているのだろうか。

 湊本は意を決したように、大きく息を吸い込んだ。

「これからクラス内のいじめについて話し合うことにします」

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