第六話

 教室に二人きりになった。私は頭を抱えて呻いた。

「なんなん、これ。本当になんなん。なんで私がいじめをやってるなんて藻戸原は嘘を吐くと。そんなことして何になると? お仕置きとかお詫びとか、藻戸原の言ってることってめちゃくちゃやん。私に恨みでもあると?」

 湊本は嘲るように短く笑った。

「小宮ちゃんは本当になんもわかっとらんねえ」

「えっ」

 今のは博多弁? 驚きのあまりまばたきも忘れて、湊本を見上げた。非難のこもったまなざしが返ってきた。

「小宮ちゃんは藻戸原に狙われとうぞ。あいつは目的のためなら自分のいじめまで利用する気たい。このままやったらあいつに何されるかわからん。それもこれも全部小宮ちゃんが自分でまいた種やけどな」

 返す言葉もなかった。さっきの藻戸原は、加害欲に満ちていて、それでいて自分を被害者だと信じて疑わないような目つきをしていた。思い出すだけでぞっとする。

「藻戸原みたいな危険な男に近づいてどげんすると。あいつに話は通じんぞ。もう金輪際いじめの話には首を突っ込まんで、藻戸原のことは無視しとけ。それが身のためたい」

「でも……でも! 私はいじめを見て見ぬ振りなんかしたくないとよ」

 湊本は顔をしかめて舌打ちした。

「ほんと小宮ちゃんを見とるとイライラする」

 湊本は私の鞄を持つと、そのまま教室から出ていった。

「ちょ、ちょっと待って、私の鞄!」

 私は慌てて追いかける。わけもわからずに湊本を追いかけるのは、もう何度目だろうか。階段の踊り場で湊本に追いついた。


「鞄返して」

「駅に着いたら返す」

「駅? どういうこと?」


 何も言わなくなった湊本とともに校門から外に出た。吐き出す息のほうが冷たく感じるぐらいの熱気に包まれる。オーブンの中を歩くような気持ちで、歩道を黙って歩いた。

 静かな住宅街を抜けて、銀杏並木の小道に足を踏み入れた。日向から日陰に入ったせいで目の前が暗くかすむ。背の高い木々に日差しが遮られ、気温が少し下がったように感じられた。

 銀杏並木は、公園と墓地に挟まれるようにして駅のほうへとまっすぐ伸びていた。墓地には野良猫が住み着いているので、ここを通るのは私にとっては登下校中のちょっとした癒やしポイントだ。しかし、薄暗くて人気のない並木道と墓地が、今は怖いもののように感じられた。藻戸原がどこかに潜んでいたら……。そんな嫌な想像をしてしまう。湊本がいてくれてよかった。湊本なら信用できる。そこで、はっと気づいた。


「もしかして、なんやけど」

 隣を歩く湊本を見上げる。

「心配だから駅まで送ってやる、みたいなことなん?」

「はあ?」

「鞄も持ってあげるよ、みたいなことなん?」

「なんかもううるさいし、自分で持ったら」

 湊本は鞄を突き返してきた。

「正直きょうはここを一人で通るのは怖かったとよ。ありがとう」

 返事はない。どうやら湊本はお礼には返事をしないタイプのようである。照れ屋さんなのだろうか。

「本当助かった……。あれ? あそこにおるのって……」

 並木道を抜けた先の日向に、こちらを向いて立っている男がいる。膨らんだ髪に猫背の男子高校生。藻戸原だ。両腕に鳥肌がたつのを感じた。陽炎の中に佇んでいる。あそこは交差点のあるあたりだろうか。

「あいつはバス通学やったよね。バス停は校門前にあるのに、なんでこんなところにおるん……」

 怖い。ゆるみかけていた気持ちが一気に緊張モードに切り替わる。

 湊本が一歩前に出た。

「俺のそばを離れるんやないぞ」

「う、うん」


 少しずつ歩みを進める。靴が地面を踏む音がやけに耳につく。並木道の終点に近づくにつれ、藻戸原の顔がはっきり見えてくる。藻戸原の口元は笑っていた。でも、目は笑っていなかった。忌々しげに私たちを凝視している。

 思わず目をそらした。地面だけを見つめながら歩く。でも、視線を感じる。つま先から頭のてっぺんまで、じろじろと見られているのがわかる。粘つくような視線が全身に絡みつくようで、不愉快というよりおそろしさを感じた。


 並木道が終わり、日向に出た。容赦ない直射日光がうなじに突き刺さる。足早に進む。でも、藻戸原の横を通り過ぎるとき、つい顔を上げて湊本のほうを見てしまった。湊本は藻戸原のほうに顔を向けていたから、首筋しか見えなかった。湊本の白い首越しに、藻戸原と目が合った。藻戸原は口を四角くあけた。笑っているようにも見えるし、威嚇しているようにも見える奇妙な表情だった。気味が悪くて、早く通り過ぎてしまいたかったのに、信号が赤になってしまった。信号無視はできない。仕方なく立ち止まる。湊本は、視線を遮るように私と藻戸原の間に立っている。

 誰も何も言わない。じりじりとした時間が流れた。


 信号が青になった。フライング気味に歩き出す。

「男にモテるんですアピールか」

 藻戸原の言葉は、タイミングも内容も、あまりにも唐突だった。

「思わせぶりなことして俺にやきもちを焼かせたいんだろ。そういう駆け引きをする女って、俺の好みじゃないんだけどな」

「何を言って……」

 私が振り返って言い返そうとすると、「無視しろ」と湊本が鋭く制止した。しかし、ここははっきり言っておいたほうがいいのではないか。勘違いを放置するほうが良くないと思う。目でそう訴えたが、湊本は首を振った。

「あいつは言ったところで理解できないって。逆に抗議すればするほど、話しかけられたから好かれてるって勘違いが悪化するやつだから無視したほうがいい。一切構うな」

 湊本は私の腕を掴むと、大股で横断歩道を渡った。


 信号が再び赤になる。藻戸原は横断歩道を渡らなかった。私たちはほんの数メートルしか離れていないけれど、車道で隔てられている。そんなことでもほっとした。

 湊本は私の腕から手を離すと、「手、つないで」と言い出した。

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