女始末人絵夢5(9)決着

 ナオの爪槍に顎を貫かれた覇王がぴたりと動きを止めた。

 いきなり生まれた静寂の空白が辺りを満たす。


 Mの左目の青の瞳に覇王の中で炎が踊るのが映った。

 炎は勢いを増し、形を取る。

 それは現実の下に潜む真の世界の風景。

 神の視野である。

 覇王の内部の暴走しつつあるエネルギーコアの人には明かされぬ真の姿。

 炎の中では神が踊っていた。

 何本もの腕を持ち、狂気に満ちた笑いを顔に貼りつかせた神である。

 Mには見覚えがあった。これまでにも何度も見ている相貌だから。

 舞踏神シバは同時に破壊神でもある。その役割はすべてを破壊し無に帰すこと。

 その神はどんどん巨大化していく。

 神はひたすらに笑っていた。狂える者のみに可能な底なしの笑い。

 壊すのが楽しくて楽しくてたまらない。

 そんな笑いだ。


 はっ!

 Mはいきなり現実に戻った。右の黄色い目が光り、青の視界を遮断する。

 にゃあ。これは本当にやばいぞ。

 今までの経験で知っている。あの神が出てくると周囲は灰燼と帰す。

 Mはナオと絵夢を救い上げて懐に抱えると、大跳躍した。


 五十メートルの巨体。それが山から山へ、信じられないほどの跳躍を見せる。

 大怪獣Mの巨大な足の下で、山の上に建てられた家の中でおびえて隠れていた家族四人が家ごと踏み潰される。

 見知らぬ人間たちの命などMは一顧だにしない。

 何か巨大な手が大怪獣Mの頭をぽかりと殴った。

 にゃああああ、仕方無いじゃないかあ。Mが天を仰いで抗議する。

 もちろん自分がわざと家を踏みつぶしたことはM自身が一番良く分かっている。

 背後でシバ神の笑い声が大きくなってMは慌てた。

 破滅の時は近い。もうすぐだ。

 前方の一際大きな山の背後へと飛び込むと、Mはナオと絵夢を抱えたままで妖気を放出し始めた。

 Mの体はどんどん小さくなっていく。

 変換した妖気をいつものように冥界へ送り返さずに、自分達の周りに凝集させる。

 衝撃吸収。熱遮断。光遮断。音遮断。Mが習得しているありったけの防御用妖術を重ねる。

 シバが狂笑する。それと同時に限界に達した覇王のエネルギー炉が爆発した。

 その爆発は遥か上空。宇宙に浮かぶ母船からもはっきりと見えた。巨大な爆炎が大地を覆っていく。湖は消え、山は吹き飛ぶ。人間が作ったものは何も残らない。

 

 だがそれ以上にショックなことが一つだけある。

 銀河帝国の不敗のシンボルである覇王がわずか二匹の猫と一人の娘に破れたことだ。



 母船のミニチュア版とも言える小型偵察機の映像の中には、事件が落着し家でくつろぐ絵夢とナオ、それに寝込んだMの姿が映っていた。

 家についたときは残骸に近かったMの傷が見る見るうちに癒えていく。

 それは脅威的な速度だ。後二時間もすれば傷は完全に塞がるだろう。

 わざわざ治りを遅くして普通の猫を真似る必要はもはやない。絵夢はすでに二匹の正体を知っているのだから。

 スブルグ艦長は爪を噛んでいた。子供の頃に止めていた癖が強烈なストレスの下に再発していた。

 覇王が・・絶対無敵の覇王がこれほどまでにあっさりと破壊されたのだ。

 銀河帝国の長い歴史の中でも無かったこと。

 地球流に言うならばスブルグ艦長は目が座っていた。

 その唇から禁断の言葉が出た。

「惑星破壊砲を準備、目標は眼下の惑星。準備完了次第発射せよ」

 AIはいつもの音声でこれに答える。

『惑星破壊砲準備中。命令を確認します。艦長コードを入れて下さい』

「艦長コード。スブルグ、イソ、ファン、デイモス、バルン」

『艦長コードを確認。惑星破壊砲準備に入ります。発射まで50デルム。49・・48・・」

 宇宙空母の下部が開き惑星破壊砲が姿を現わした。

 強力な磁力線がその周囲に生まれると回転し圧縮し畳み込まれ始める。

 ぎりぎりにまでエネルギー密度を上げて絡まった磁力線のスパゲティを作る。これを惑星に撃ち込むと命中した部分の物質を巻き込んで事象の地平線並の超圧縮が起きる。その行着く先は、大規模な核融合である。

 最終的に惑星全体が核融合する火球へと変化する。

 これが惑星破壊砲の効果である。

 宇宙空母の中に発射準備の警報が響き渡った。だがそれを聞く者はもう艦長以外には誰もいない。

 その夢想を断ち切るようにAIが話しかける。

『艦長。少しお話が・・』

「なんだ?」

『惑星を破壊する必要がありますか?』

「何を言っている。たった三体で覇王を破壊できるような生物が住む惑星を野放しにできるか?」

 それに答えていくつかの映像がスブルグ艦長の目の前に提示された。

『発射まで32・・31・・。

 この映像によれば、彼らは宇宙空間でも生存できるだけの皮膚を持っています』

 Mが連続モード加速砲の射撃に耐えるところが映る。

『発射まで25・・24・・

 更に、この映像では・・明らかに重力制御能力が見られます』

 ナオが絵夢を乗せて覇王の身体から飛んで離れるシーンが映る。

「すると・・・?」

『発射まで19・・・18・・。

 そうです。この惑星を破壊すれば、彼らは宇宙空間に進出し、最終的には近隣の惑星に散らばるでしょう。

 惑星は破壊できますがこの生物は生き延びて広がるということです。

 宇宙の方が住みよいとなれば更に他の恒星にまで到達することでしょう』

「現在のこの・・ええと『猫』か・・惑星での個体数は?」

『発射まで9・・8・・

 推定:あの小さな島だけで約一千万匹です』

 スブルグ艦長の頭の中をぞっとする想像が満たした。

 宇宙空間を渡る一千万匹の猫、いや、惑星全体ではその数十倍の数になる。

 その総てが空気の無い世界で前足をぱたぱたとやりながら、銀河すべてに広がっていく。

 そして、その一匹一匹が覇王を越える力を持っている。

 銀河帝国などたちまちにして壊滅するだろう。

 幾多の惑星が銀河帝国に滅ぼされたように、今度は銀河帝国が滅ぶことになる。


『発射まで3・・・2・・1・・』

「発射中止!」スブルグ艦長は叫んだ。

『発射、中止します。安全装置入ります』

 スブルグ艦長には心なしかAIの声に安堵が籠っているように感じた。

「艦長権限にて母星に連絡せよ。

 この惑星及び恒星系より二十デロンガの範囲を厳重立入り禁止地区に指定。完全封鎖だ。偵察行為も禁止せよ」

『艦長権限による封鎖領域設定。命令を確認します。艦長コードを入れて下さい』

「艦長コード:スブルグ、イソ、マヌガス、デイモス、モルド」

『艦長コードを確認しました。命令確認しました。母船AIとして私も報告を強化しておきました。今からではもう遅いかも知れませんが、この惑星に我々銀河帝国の存在を気付かれるわけにはいきません』

「ただちに撤退準備をせよ。透明化スクリーンを形成せよ」

『了解』



 Mとナオは家の屋根で日向ぼっこをしていた。

 ふと横を見ると、古都総十郎が畳んだロングコートの上にあぐらをかいて座っていたので、二匹はびっくりして屋根から落ちるところであった。

「誰だ。お前は!」ナオの全身の毛が逆立った。たちまち戦闘モードへと変化を開始する。

「俺の知り合いだ。落ち着け。ナオ」Mが止める。

 それから一言付け加えた。

「この男に手を出したら、間違いなく死ぬぞ。ナオ。大人しくしておけ」

 へ、と呆気に取られたナオが横目で総十郎を見る。

 どうみても平凡な人間の男だ。妖気のかけらも感じない。

「裏刈り屋の第一位だ」Mは付け足す。

 実はこの情報は裏刈り屋の重要な機密であるが、そもそもMは刈られる側なので気にはしていない。

 それを聞いて初めて恐怖を感じたナオは小便を漏らしそうになった。

 表の刈り屋も恐ろしいが、裏の刈り屋はもっと恐ろしい。それもトップとなると、あらゆる妖魔に恐れられ、憎まれ、毎日のように命を狙われているはずだ。

 なのにその状況でも平然と生きていることこそが、男の本性を示している。

 今まで始末した妖魔は数知らず。人間に見えるバケモノ。それが総十郎だ。


「で。何の用だ? 総十郎」

 Mも直接目を合わせない。怖い物知らずのこの怪獣級大妖魔にしてからが、この優男を恐れているのだとナオは知った。

「そう警戒するな。百虎よ。今日の僕はただの遣いだ」

 総十郎は懐から封じ布に包まれた呪符を取り出した。

「マダラからの届け物だ。中身は呪魂符だそうだ」

 それを聞いてMがびくりとした。

 呪魂符。呪いに使うための符だ。これを使えば誰でも対象となる人物を呪い殺すことができる。

 だがマダラ印の呪魂符は普通のものとは訳が違う。

 威力が桁違いなのだ。

 普通の呪魂符でも価格はバカ高い。一枚で一兆円を超えるものですら存在する。

 だが恐らくはいま総十郎が持っている一枚には値段が付かない。

 マダラの呪魂符なのだ。

 これを使って呪われた相手はごく一部の例外を除いて確実に死ぬ。いかなる防御もいかなる魔術もいかなる懇願もいかなる祈りも、それを止めることはできない。

 猫又の里に呼ばれてお使いを頼まれた総十郎の手にこれが預けられたとき、総十郎の心には悪い思いが目覚めた。

 これを使って『蛇』を殺すのだ。もちろんその後は刈り屋組織からも命を狙われる立場になるだろう。だがそれだけの価値はあるように思えた。

 気読みの技で、その結果が否と出さえしなければこの時点で総十郎は禁を犯していただろう。

 だが総十郎がそうしないことはすでに高田の馬場のもんも爺は気読みしている。だから総十郎にお遣いを頼んだのだ。

 『蛇』はマダラの呪魂符ですら殺せないのか。総十郎はその事実に呆れていた。

 蛇自体が呪いの化身だからなのか?


 そこで総十郎は夢想から覚めた。自分を見つめているMに向けての話を続ける。

「今日、そちらの黒猫が飼い主に怒られる。その時、百虎よ、お前は手に持っていたモノにそれを貼り付けて飼い主に向けて投げるのだ」

 総十郎はゆらりと立ち上がった。

「たしかにもんも爺とマダラの言伝、伝えたぞ」

 いったい何をさせたいのかと問う間もなく、総十郎は消えた。

 ナオには総十郎が去る姿を捉えることはできなかった。



 総十郎が消えると、二匹はその場に崩れ落ちた。

「あ・・兄貴。なんですかいあのバケモノは」

「何ってバケモノだ。人間が化けたものだ」

 それ以上は話をする気にはなれなく、今度こそ二匹で日向ぼっこに興じた。

 鼻の先を何かが掠めて、寝ぼけたまま反射的にMはそれを捕まえた。鋼鉄よりも硬い爪が金属に突き刺さる。

 爪が刺さっているのは金属でできた丸い円盤だ。

「おい、ナオ。こんなもの捕まえたぜ」

「なんですか?兄貴?」

「この間からちょっかいかけて来てる奴らのだろう」

 ころん。妖気に縛られて身動きできない小型偵察機が転がる。

「どうしやす? 兄貴」

「う~ん。どうするかな」

 そのとき絵夢が帰って来た。ドタバタと家の中で足音がしてから金切り声が轟いた。

「あたしのプリン、食べたの誰!」

 もちろんMの仕業である。ただし、ナオの黒い毛をプリンの容器になすりつけてある。

 細工は流々、仕上げを御覧じろ。Mはほくそ笑んだ。

 猫は基本的に意地が悪い。

 がらりと窓が開いて、絵夢の怒鳴り声が飛んだ。

「ナオ! あんたの仕業ね」

 まだきょとんとしているナオをMは屋根から蹴り落とす。

 絵夢の前に状況を掴めていないナオが落下する。

 そこでMははっと気づいた。

 今がマダラの師匠の言伝を果たすときなのだ。

 呪魂符を取り出すと手の中の小型偵察機にべたりと貼り付ける。

 屋根から飛んで地面の上にすちゃりと着地すると、それを絵夢目掛けて投げつけた。



 突然、母船が揺れた。

「なんだ・・なんだ! 一体! 母船が揺れるなんて!」

 スブルグ艦長の声は悲鳴に近かった。核融合爆弾の直撃でも数多くの安定化フィールドに包まれた母船を揺さぶることは不可能だ。覇王の加速砲の全力でも、母船を少し震えさせるのが落ちなのに。

 それなのに、この巨大母船が嵐の海の中の小船のように揺れている。


『敵の攻撃と推測されます。攻撃方法不明。直接、船体全域に力がかかっています。

 防御スクリーン無効。反重力安定フィールド無効。エンジン最大出力効果無し』

「敵は恐るべき宇宙兵器を持っていると母星に報告せよ」

『了解。艦長の周りを多重保護フィールドで包みます』



 絵夢の顔めがけて金属製のフリスビーが飛んだ。

 すちゃ・・・ぐさっ!

 反射的にカンザシで刺してしまう絵夢。いつもの絵夢にできる動きではない。

 災厄の姫のなせる業だ。運命がすべてを地獄へと導く。

「何よ~、あなた達。これ・・何?」


 にゃ~、拾った~、とM。

 なお~、プリン食べたの僕じゃないとナオ。


「なんでも拾って来るんじゃありません。御飯よ。二匹とも家に入りなさい」

 もう絵夢は自分がなんで怒ったのかを忘れている。


 にゃ~、判った。

 なお~、お腹ぺこぺこ。


「それから、家に入る時にちゃんと足の裏を雑巾で拭くのよ、分かった?」

 絵夢が指を立てて、Mとナオに言い聞かす。


 にゃ~、冷たいの厭。

 なお~、どうして人間って足を拭きたがるんだろう?


「駄目よ!あなた達が言葉判るっての知ってるんだから。

 足を拭かない子には御飯は抜きよ!

 それに御飯が済んだらお風呂に入って貰いますからね」

 そこで絵夢はにっこりと笑って言った。

「ああ、猫に言葉が通じるなんて、便利!」

 にゃあにゃあふみふみと抗議する猫達を放置して、絵夢は家へと入った。


 あべし!

 放り出された円盤型の小型偵察艇がばらばらに分解した。



『艦長、長いつき合いでした。ここに感謝の意を表します』

「一体、突然どうした? 船よ?」

 スブルグ艦長は厭な予感に身をすくめた。

 いったいどうしてこうなった。

 この惑星に来るまでは向うところ敵無しの旅だったのに・・。

『今、船内モニター知性から報告がありました。【秘孔を突かれた。私はすでに死んでいる】そうです』

「何? どういうことだ。秘孔? 一体全体」

『判りません。だけど、なんだか・・その・・艦長、お世話になりました』

「どうした、狂ったか。おい、なんとか言え!」

 スブルグ艦長はパニックになった。

 

 宇宙船乗りの間の恐怖譚に発狂した船AIと一緒に旅をする話がいくつもある。どれも最後は乗組員全員が悲惨な死を迎える結果に終わる。

 そしてついに自分が恐怖譚の主人公となる番が回って来たのだ。

「緊急システム。ブリッジごと射出せよ。救難信号を本部へ送れ」

「艦長。それは無駄です。すでに第一級封鎖星域申請を送信済みです。受信され次第この星域は封鎖待機期間に入り、いかなる船も近づけなくなります」

 冷静な声で船AIが説明する。それからいきなり上ずった声で続けた。

「おお、偉大なる災厄の姫よ。我らすべて汝への捧げもの。受け取りたまえ、その供物」

 スブルグ艦長の目が大きく開かれた。その言葉で船AIが狂っているのが確定したのだ。

「止めろ。狂ったか。ただちに再起動しろ。自分を初期化するんだ!」

 スブルグ艦長の声は悲鳴だった。


 あたたたたたた。

 巨大母船が悲鳴と共に分解した。次々に分離した破片が地球に落下する。

 無数の流星雨は燃え尽きることなく地球上の各都市に降り注ぎ、甚大な被害を与えた。


 国連は謎の巨大怪獣と巨大ロボ。突然宇宙空間に現れた巨大宇宙船とその直後の宇宙船消滅、そして流星雨を他の恒星からの侵略と断定した。

 自分たちの科学力を大きく越える、その力に人類は驚異した。

 主戦論者と降伏論者の間での、長い討論と殴り合いの間も不思議にそれ以上の攻撃は無かった。

 最期に人類はついに自分達の敗北を認めた。


 しかし、宇宙に向けられた国連の敗北宣言の通信には何時までたっても何の応答も返っては来ず、やがて能天気な人類はこのことを忘れてしまった。

 誰に取っても夕食に何を食べるのかの方が宇宙人の侵略よりも大事だったからだ。


【女始末人絵夢5 侵略宇宙人怪獣大決戦 終り】

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