女始末人絵夢5(7)女始末人絵夢出陣す

 TVの画面はMの腹に巨大ロボットのビームが当った直後に消えた。ライブ中継をしていた報道ヘリが砲撃の衝撃ですべて墜落したのだ。

 絵夢が立ち上がる。

「Mを助けなくちゃ!」

 慌てて服を着替え始める。今回は上から下まで黒い服だ。こうすると見かたによっては貴婦人に見える。

 なお~。無理だよ~姐さん。兄貴がやられた。逃げよう。

 ナオが必死で絵夢の裾を引っ張る。

「なあに、ナオ。邪魔しないで」

 さっさと服を着ると、これも黒いスカーフを首に巻いて、絵夢は表に飛び出した。

 手に財布を握って。

「タクシー」

 絵夢が手を振る。

 ようやくテレビの報道が事実だと分かり、外はいち早く逃げようとする人々と車でごった返している。

 誰も気づいてはいなかったが、巨大ロボットはまっすぐ絵夢の家の方向に進んでいる。

 それでも一台のタクシーが絵夢の前に止まった。後部ドアが開き、黒いレザー張りの座席が開く。絵夢が乗るより早く、頭のハゲたおじさんが飛び込んできた。絵夢を押しのけて座席に座る。

 どこでもいい、ここから逃げてくれ。そんな声が聞こえた。

 タクシーの反対側のドアがバタンと開くと、運転手が拳を振って、その男を外へ殴り飛ばした。

「レディ・ファースト」運転手はそう言った。

 ええ~、もしかしたら・・危ない運転手?

 絵夢は躊躇った。

 でも他にタクシーの姿はない。

 周りを見回すと分かる。街はパニックが支配している。別のタクシーが止まってくれることはまず無いだろう。覚悟を決めて絵夢はタクシーに乗り込んだ。

「あの・・怪獣の所に行って・・くれますか?」

「ええ? そりゃ無理ですよ。お客さん。逃げる人たちが反対車線まで逆行してる状態なんだから。それにあたしも命が惜しい。逆の方向なら行きますぜ」

「でも、それじゃ。Mが。判った。降ろして頂戴!」絵夢はドアに手を掛けた。

 ドアはビクともしなかった。

「駄目駄目。お嬢さん。あっちの方へ行くと判って、みすみす自殺させるような真似をしたら寝覚めが悪い。あたしにゃそんなことはできない。すぐに安全な所に運んであげるからね」

 タクシーは発進した。渋滞している車の間を強引な運転ですり抜けていく。


 え~ん、困ったよ~。

 絵夢は懐のかんざしを握り締めた。かくなる上はこの運転手を刺すしかない。

 でもこの運転手、あたしに親切にしてくれたしい。

 絵夢は座席を撫でながら、考えた。何か手があるはずだ。早くしなくてはMが・・

 撫で撫で・・・う~ん。

 撫で撫で・・・う~ん。

 撫で撫で・・・ふみい?

 なんて手触りのいい座席かしら?

 絵夢はゆっくりと指をシートに這わせて見た。

 黒い表面に細い毛がびっしりと埋まった・・ベルベット?

 この手触り確かにどこかで?

 それも身近で?

 ふにゃああ。座席が微かに震える。

 まさか・・絵夢の目が大きく見開かれた。でもMでさえ大怪獣になったのだ。だからちっとも不思議ではない。

 女性の直感?

 いや、そもそも絵夢の辞書には常識の文字がないのだ。

「ナオっつ!」

 絵夢は怒鳴った。

 びっくりした挙句に走っていたタクシーが慌てて減速し、曲り切れずにガードレールに激突しそうになった。

 タクシーの側面からにょっきりと飛び出した大きな黒い猫の足がガードレールを蹴り、人々が見ている前で空中を羽のように舞った末に、ふわりと車は道路に着地した。

 後ろを走っていた車が、今や大黒猫の姿を剥き出しにしたナオ・タクシーに弾かれて横転する。

 続けて逃げる途中の車が何台かこの事故に巻き込まれて、次々にクラッシュした。

 この惨状の中でも、妖魔の座席に守られて、絵夢には微かな衝撃しか伝わらなかった。

 潰れた車から当然のようにガソリンが漏れ、火がついた。歪んだ車体のドアが開かなくなり、迫りくる悲惨な最後に閉じ込められた人たちが絶叫する。

 絵夢に悪意があるわけではない。ただ単に・・彼女は災厄の姫なのだ。


「やっぱりナオね。Mがあんなに変わるんなら、ナオも、なんて思ったけど・・」

 絵夢にはナオ・タクシーの外の光景はすでに目に入っていない。

 壊れた車から血だらけの人たちが這い出してくるのも無視した。髪に火がついて踊り狂う人たちからも目を逸らした。

 それを認めれば自分が悪いことになってしまう。嫌なものは見なければよい。それこそが絵夢の処世術。

「姐さん」黒づくめの運転手が振り向いて言った。

 絵夢が乗っている座席はナオの背中が化けた物だ。

「兄貴は自分がやられたら、姐さんを連れて逃げろと。何故かは知りやせんが、あの怪物の目標は姐さんだそうで・・」

「ナオ。Mの所に連れてって」

「駄目でやす。兄貴でもかなわないのに。姐さんじゃあ」

「ナ! オ!」絵夢の声は厳しかった。

「あたしは行かないといけないの! Mを助けに。なにせ、あたしはMの飼い主なんだもんね!」

「姐さん」

「あなた達。いつもあたしの後について来ていたのね。直接姿を見ることは無かったけど、カンザシには映るのよ。錯覚か何かかと思っていたけど」

「え・・」慌てるナオに、絵夢はかんざしの柄を見せた。

 かんざしの飾りの中に小さな鏡がはまっている。

 しまった。隠形の術が不完全だったな。ナオが考える。隠形の術はそこに何もないと錯覚させるものだ。鏡に映る映像も含めて術をかけないとこうしてバレてしまう。

「それに良くMやナオの鳴き声が聞こえていたもんね。何時もなんだかうまく行くと思っていたら、あなた達ね」

「ええええ・・とおお、実はそうです」ナオは腹芸が下手だ。

「だから、今度はあたしが助けるの」

「でも、兄貴はおいらが加わっても勝てないって」

「あたしも加われば勝てるわよ、きっと。あたしは正義の始末人。悪に負ける道理があるわけがぬわあああああああい!」

 最後の辺、興奮で声が上ずっている。


 ナオはしばらく考えた。確かに絵夢姐御には不思議な能力がある。

 もしかしたら兄貴を助けられるかも知れない。

 ナオにとっては初めてできた家族と一緒に生き延びる。それは魅力的な考えだった。

 もの凄く。


「判りやしたあ! 姐御」

 一声かけてからナオは変身した。タクシーから大猫へと。

 絵夢の乗る座席はそのまま大きな黒猫の背中となった。しゅるしゅるとナオの黒い毛が絵夢の周りに巻き付き固定する。

「しっかりつかまっといてくだせえ。飛ばしやす」

 ナオの筋肉がたわみ、目の前で車が大猫に変身するというとんでもない光景に唖然としている人々を残して、混乱した夜の闇の中、疾風のごとく駆け始めた。

 背後でここまで律儀に出番を待っていたタンクローリーに火が回った。夜空にまたもや赤い火球が吹き上がる。これで目撃者は誰もいない。すべてのピースは正しいところに嵌った。



 ・・覇王はじっと待っていた。自分の加速砲が作った巨大なクレーターの縁で。

 辺りを見回す必要は無い。覇王の視覚は全身の表面装甲に分布した光感受素子が受け持つ。

 つまり覇王は身体すべてが目であった。その目を逃れることのできるものはいない。

 ・・はずであった。


 敵の巨大生物は火球の中に飛び込んだ。だが、最後に撮った映像を解析した結果、あれほど高熱の火球の中でも、あの生物の毛は縮んでもいない。

 腹の大穴を除いては恐らくは無傷と思えた。

 こんな生物が存在すると信じられなかった。

 覇王のAIは決して油断していない。

 集束加速砲ビームでようやく穴が一つ開く程度だ。それがどれほどあり得ないことかはここ数百年の覇王の戦闘記録と照らし合わせても明確だった。

 敵はこの辺りに潜んでいる。覇王の戦闘知性はそう判断した。

 透明化か、擬態か。もしあれが生物に見せた機械の場合は自らを細かいパーツに分解して周囲に散らばっている可能性すらある。

 準戦闘待機状態に滑り込み、覇王は待った。

 一度の射撃で全てのパワーを出し切った加速砲は今は覇王内部の巨大エネルギーコアである疑似ブラックホールの生み出す無限のエネルギーを使って再充填中だ。

 それが済むまでは、敵はむしろ隠れていてくれた方が都合がいい。

 敵は損傷を受けている。次はその中心部に確実に撃ち込む。覇王の戦闘知性は自分の勝利を確信して一人ほくそ笑んだ。


 Mはと言えば・・覇王のすぐ足下の巨大なビルの残骸に化けて潜んでいた。

 身体の毛をねじまがった鉄骨に偽装させている。

 Mの身体は妖気エクトプラズムで構成されている。これはこの世の物質ではないので熱も音も出さないでいることが可能だ。だが妖血の流出こそ止まったものの、脇腹に開いた傷から、妖気が漏れている。これだけの傷だと修復している時間が無い。

 Mは刻々と弱っていく。

 この巨大ロボットはしつこいだろう。Mが正体を現すまで何時までも待つに違いない。

 Mは焦りながらも、何一つ打つ手が無かった。

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