幕間劇3 妖魔の宴

 自分の力には自信があった。

 今まで戦いで自分を負かした存在はいない。

 倒した相手はすべてその場で食い、己が力とした。


 その妖魔の名は狂呑。姿は真っ黒な顔を持たぬ人型つまりはノッペラボウである。

 山奥のケガレ沼から生まれた妖魔である。

 ケガレ沼は地元の呼び名だ。昔から多くの動物がその沼で死を迎えるという噂がある腐敗臭に満ちた悪沼である。

 時代が平成になった頃から街に住む暴力団の組が死体の捨て場に使うようになり、危険な瘴気が湧くようになった。つまり殺された人々の怨念が溜まり始めたのだ。

 そういうことが十数年続くにあたり、ついに妖力による化身変化が起きた。

 それが妖魔狂呑の誕生だった。


 何度か人間に目撃されて大騒ぎになったことで、自分が夜に行動しないといけない事と人目を避ける事を覚えた。

 元が人の意識なので、その精神の成長は早かった。

 相手が一人の場合はそのまま悪沼に引きずり込んだ。死にたての人間の新鮮な肉は舌がとろけるほどに旨かった。

 やがて狂呑は成長した。

 力も強くなり、動きも素早くなった。

 付近を通りかかった妖魔も食らった。人間よりもずっと強かったが、狂呑はなんとか制圧することができた。

 その味も格別だった。何より、狂呑自体を成り立たせている妖力を強めることができたのは驚きだった。

 あの沼には近づくな。そういう噂が人間どころか妖魔の間にも広まるにつれて、獲物は着実に減っていった。

 飢えが狂呑を苛むようになると、この棲み慣れた沼を捨てねばならないと覚悟がついた。

 悪沼の中から、自分の存在の元になっている人骨を一つ選ぶとそれを体内に納めて妖力の中心である核とする。

 沼を出て最初にやったのは街へ降りることだった。


 最初に出会った街棲みの妖魔を食らい、少し大きくなった狂呑は放浪を繰り返した。

 やがてここには妖魔よりも人間が多いことを知った。

 まさに羊の放牧場に放たれた狼である。

 だが世の中はそこまで甘くはない。

 失踪者の数の多さが噂となり、迂闊にも食い散らした人間の断片が発見されるに及んで、ついに刈り屋が動くことになった。

 まだ逃げることを知らなかった狂呑はあっさりと刈り屋に見つかってしまい戦いとなった。

 自分が逃げるべきだとは思わなかったせいである。人間とは弱いモノと学習していた。

 あながちそれは間違いではない。だが刈り屋はその例外だ。

 刈り屋の男は怪しげな技を使った。

 炎をまとった両拳で狂呑の体を殴るのだ。殴られるたびに体が焼き焦げ、削れていくことに狂呑は驚異した。

 初めて自分の死が見えた。


 体の半分を失いながらも狂呑はからくも逃れた。体内の核である骨と泥だけならば、細い排水管を抜けることができる。

 その刈り屋は後を追って来ることができなかった。力とは単純な攻撃力だけではない。狂呑の特殊な体もまた大きな利点であった。

 また一つ、狂呑は教訓を得た。

 派手に人間を食ってはいけない。刈り屋が来てしまう。

 ならばこっそりと食えばよいのだ。


 元の沼で体を復元するのには長い時間がかかった。

 危険だとは分かっていたが、それでも空腹には勝てない。

 またもや狂呑は沼を出た。

 今度は以前と逆の方向に旅をした。

 そこにあったのは新しい街に新しい顔ぶれだ。

 狂呑はこの地の者を食らうことに決めた。


 真っ黒な腕を頭上に高く上げ、自分の妖気を振りまく。

 むっとした腐敗臭が辺りに立ちこめる。

 この地に棲まう妖魔に対する挑戦状だ。

 そのまましばらく待つ。

 やがてがさりと闇が動いた。

 ごそりと地が身を震わせた。

 ぱたぱたぱたと小さな足音を立てながら、老人の小人が現れた。

 周囲が敵意ある妖魔たちに満ちると、狂呑は言葉を発した。

「我が名は狂呑。これよりここを我が地とする。異議ある者は前に出よ」

「異議などございません。主さま」

 この地の妖魔の頭らしき老人小人は土下座をした。

「貴方様の強さは一目見れば判ります。我ら一同。貴方様の支配の下に入ります。どうか命ばかりはお助けください」

 狂呑は拍子抜けした。今まで遭遇した妖魔たちはいずれも最初から喧嘩腰だったからだ。

「そうか。俺の配下になるというのか」

「もちろんです」老人小人はきいきいと甲高い声で答える。

「ただし、ただ一つだけ問題がございます」

「なんだ?」

「この地には元から居座っておるボスがおります。それほど強くはないのですが、それでも我々の誰よりも強いので逆らうことができません。それを片付けていただけますでしょうか? さすれば貴方様が我らの頭です」

「なんだ。そんな簡単なことか。いいだろう、そいつを呼んでこい」

 狂呑はふんぞり返った。全身のっぺりとした黒なので表情は分からないがさぞやドヤ顔をしているに違いない。

 そのまましばらく待つ。だが狂呑はじきにしびれを切らした。

「まだか!」

 老人小人は再び平伏した。

「今こちらへ向かっておるようです」

「そうか」

 狂呑は座り直した。

「その間に贄を探してこい。人間の若い女がよい。赤子持ちならもっとよい。五人は欲しい」

「人間をそんなに殺すと刈り屋が・・」

 その瞬間、狂呑の腕が動いた。

 老人小人のすぐ横に泥の塊が打ち付けられる。

 一瞬それは刃物のように地面に突き立っていたが、含まれた妖力が発散するにつれてただの柔らかい泥に戻っていく。

「ははっ。ただちに」

 老人小人が飛びあがると、周囲の異形の妖魔たちに合図をする。

 妖魔たちはばらばらと散った。


 狂呑は心の内でにやりとした。

 五人の贄を食った後はさらに十人を要求するつもりだった。その後は百人だ。

 そこら辺りで刈り屋が動き始めるだろうが、そんなことは知ったことではない。犯行をこの地の妖魔になすりつけ、自分だけ他の地に移動すればよいのだ。

 素敵な宴になるだろう。

 狂呑はその黒一色の顔の中で目ならざる目を細めた。

 周囲を取り巻く妖魔の生垣の中で騒めきが起きた。

「元ボスが参ったようです」

 老人小人が説明する。

 妖魔の群れが割れるとそこに白い長毛の猫が現れた。長いフサフサの尻尾がピンと立って左右に揺れている。

 猫又か。狂呑は身構えた。

「百虎王さまです」

 老人小人は紹介を終えた。

 白猫は狂呑に向けてにゃあと可愛らしく鳴いた。

 何だこいつ。ちっとも強そうには見えないな。これで妖魔のボスをやっているとは・・。

 狂呑はそう思った。

 だがまあよい。こいつを倒せば楽しい宴だ。

 さっさと白猫を殺そうと狂呑は一歩前に出た。

 出たはずだった。

 狂呑の体は動かなかった。何か恐ろしい力で体の動きが封じられている。

 その動けぬ狂呑の前で、白猫の体が徐々に大きくなっていく。それに合わせて白い毛が逆立ち始め、左右の色が異なる瞳が爛々と燃え上がり、隠しきれぬ牙が唇の端からぐんと伸びる。

 やめろ、やめろ、やめろ。

 狂呑は心の中で叫んだ。

 ヤバイ。こいつはヤバイ。直感でわかる。

 顔に叩きつける妖気がまるで実体を持っているかのようだ。

 皮膚がピリピリする。体のどこか奥深い場所に氷の塊ができた。

 今や白猫の体は狂呑を見下ろす大きさになっていた。

「ぐ・・」狂呑の口からうめき声が漏れる。

 今や化け猫の本性を現した百虎王の右前足が伸びる。そこに延びた爪はまるで死神が使う鋭利な大鎌のようだ。

 狂呑の首にその爪がかかる。ここに至っても狂呑の体は動いてくれない。

 逆らう術もなく、狂呑の首は鋭い刃にゆっくりと斬り裂かれた。

 目の前の百虎王のどことなく楽しそう顔が狂呑が見た最後の光景だった。


 百虎王が妖力のほとんどを吸い取った残りの部分は、そこにいる妖魔たちへのご褒美だ。

 皆が集まって狂呑の体であった肉塊をわいわいと食っている。臭いこそひどかったが妖力を含んだ肉はそれだけでご馳走だ。これこそが妖魔の成長の糧である。

 酒がどこかから運ばれてきて、異形のモノたちがそれをガブ呑みする。

「それじゃあ、俺は行くぜ」

 百虎王が言うと、老人小人が頭を下げた。

「お館様。また獲物がかかったらお知らせいたします」


 思ったより時間を取られてしまった。

 そろそろ絵夢が眠りにつく頃だ。早く帰らねば、絵夢の横で寝る権利をナオに奪われてしまう。

 百虎王は絵夢の家目指して闇の中を一目散に走り始めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る