女始末人絵夢

のいげる

女始末人絵夢 プロローグ 滅びの王国

 燃えていた。何もかも。

 家も建物も木も、そして人も。

 あらゆるものが炎の中で呪いの叫びを上げていた。

 煌びやかな鎧を着て光輝く剣を手にした兵士たちが街を駆け、見かけ次第に殺し、見かけ次第に燃やしていく。

 街を守る兵たちも良く戦ったが、多勢に無勢ではどうにもならなかった。

 女も子供も見境い無しに殺されて肉塊に変じていく。

 ときおり魔術師が放つ魔法の炎が鮮やかな色合いを辺りに広げる。

 そこに敵がいるとみて兵が密集するとほどなく魔力が尽きた魔術師が血祭にあげられて終わる。

 人の焼ける煙が辺りに立ち込めると、敵味方関係なく吐いた。それでも焼き討ちは収まらない。

 どの兵の目も狂気と狂喜で縁取られている。

 後にその光景はただの一言にまとめられて伝えられた。

 地獄と。



 王宮の大広間の中では王を中心にして将軍や大臣が忙しく動き回り、怒鳴りあっていた。

 偉大なる魔法王国の創造者にして聖なる魔法使いであるライド王はその騒ぎの中央でテーブルに設えられた王国の地図を睨んでいる。

 黄金で縁取られた紫の服が風もないのに翻る。抑えきれない魔力がその体を彩っている。頭上の王冠が光も受けていないのに七色の煌めきを放つ。

 目の前の地図の上では、中央に位置する王宮を取り巻く要塞のすべてに敵軍を表す駒が貼りついている。

 情勢は絶望的だ。

 最初は西の帝国だった。帝国は常日頃からこちらの王国への敵意を隠していなかったが、まさか軍を起こして侵攻を始めるとは思っていなかった。

 同盟国であった北の共和国と南の王国は帝国襲来の報せを聞いてすぐに動いた。彼らは迫りくる帝国軍を迎えうつべく進軍し、やがてこちらの王国国境に接近すると、いきなりその方向を変えて魔法王国の包囲にかかった。

 ここに来て魔法王国は三つの国すべてに包囲されることとなった。

 この王国の防御の要となる守護魔神たち。一柱にして他国の軍を一つ丸ごと相手にできる無敵の魔神たちは、魔人たちの長の妹の婚礼の宴に出かけて留守であった。

 そのわずかな隙を突かれたことになる。

 守護魔神がいなくても王国とその同盟国の軍勢だけでたいがいの事態には対処できるはずであった。


 聖なるライド王は頭を抱えた。

 帝国はともかく残りの同盟国の裏切りはその兆候すら無かった。

 決して油断していたわけではない。どの国にも多くの諜報員が派遣されている。軍隊が出動するとなれば気づかぬわけがない。

 諜報組織自体が腐敗していなければ。それとも大規模な魅了の魔法でも使われたのか。いずれにしろライド王の監視の目を潜るのは至難の技のはずであった。

 ライド王は叡智の王だ。その頭蓋骨の奥で今までに集めた数々の報告を照らし合わせる。

 蛇のせいだ。

 そう結論が出た。

 ある一人の男がこれらすべての裏で暗躍している。蛇と呼ばれている正体不明の男だ。

 だが只者ではない。

 慎重派の帝国を唆し、信義に厚いはずの二国を裏切りへと導いた。

 蛇はライド王の執拗な探索の網を潜り抜け、ここまで悟られることなく戦乱の炎を巻き起こしたのだ。

 敵の進撃のあまりの速さに、王国を守るはずの砦も要塞も次々と陥落し、炎の中に敢え無く消え去った。


 こうなれば王国民を可能な限り船に乗せて、東の港から避難させるしかない。

 王国の肝は高度に教育した臣民だ。人間さえ無事ならば王国はまた創り上げることができる。

 この国を作り上げるのには五十年かかった。

 何もない不毛の地に作物を植え、灌漑の機構を作り、人々を集め、教育し、新しい文化を磨き上げた。

 その経験を持つ国民さえいれば次はもっと短い時間でできるだろう。

 覚悟を決めて避難命令を出そうとしたときに、伝令が駆け込んで来た。

 東の諸島連合の船が王国の港の船という船をすべて焼き討ちしているという報告が絶望と共に語られる。

 将軍たちは崩れ落ち床に頭を打ち付けている。宮廷魔術師たちは何かこれを逆転させる魔法の秘術がないかと魔法書を漁っている。

 だがその誰もがこの状態を逆転できるとは思っていない。すべて見せかけの行いなのだとライド王は見抜いていた。


 最後の逃げ場は失ったが、まだ最後の希望は失われていない。

 そろそろ守護魔神たちが帰還してくるからだ。

 その戦力だけで、迫りくる人間の軍隊にも十分に抗し得るはずであった。


 じわりじわりと狭まる敵国の包囲網の中で、宮廷の者たちは雄々しくも耐え抜いた。

 やがてライド王の下に待ちわびた知らせが届いた。

 守護魔神たちが帰って来たというのだ。

 彼らはそのまま侵入者の討伐に向かった。

 最初の目標はたった一体の侵入者。

 恐らくはそれこそが『蛇』。ここに来てその姿をようやく現わしたのだ。

 蛇さえ死ねば、すべては元に戻る。

 後はこの玉座にて朗報を待つのみ。


 微かな振動音を聴いて疲れ切ったライド王は玉座の上での短い微睡みから覚めた。

 その音は水晶球から発せられている。

 玉座の周りに設置された七つの水晶球の一つが割れて落ちた。

 守護魔神と魔法的に同調している水晶球が割れるということはその守護魔神が滅んだということ。

 王国の軍勢丸ごとを相手にしてもひけを取らない魔神が倒される。あり得ないことであった。

 待つほどもなく、もう一つの水晶球も砕ける。

 ・・蛇とはそれほどの存在なのか。

 ライド王の目が細くなった。

 一つ、また一つと水晶球は割れていき、ついに残る二つだけとなった。その内の一つも発する光が弱くなっている。今にも割れてしまいそうだ。

 ついにライド王は立ち上がった。ついてこようとする侍従たちを完全に無視して、自分の魔法の研究室へと急ぐ。

 研究室は意外に広い。大広間の大きさがある。部屋の中一杯に無数の謎の道具が積み上げてある。

 そこの床に刻んである基礎となる魔法陣の一つに自分のアレンジを加えてライド王は特殊な魔法陣をたちまちにして描き上げる。

 それを横から見ていた宮廷魔術師が顔色を変える。それが秘術に属する極めて高位の技だったからだ。

 ライド王は自分の腕の一部を傷つけて、犠牲を捧げるための祭壇鉢に血を垂らす。

 芳醇な魔力を含んだ実に貴重な血だ。

 立ち登った煙の中に未来の光景が映る。本来は命ある者は決して見てはならない秘密。

 その偉大なる魔法の行使を知って背後についてきた宮廷魔術師たちが一斉に床にひれ伏す。それを覗き見たい欲望と見れば死なねばならないのではないかという恐れの間で心と体が揺れている。

 だがそんなことは一顧だにせず、ライド王はそこに示された未来にすべての意識を注ぎ込む。

 十年先の未来。蛇は死なない。

 蛇の周りは無数の魔法の霧に包まれてしかとその姿は捉えられない。

 それは蛇自体が魔法使いであることを示していた。魔法による欺瞞。偽装。阻害。

 ライド王はより深く腕を傷つけて、もっと多くの血を祭壇鉢に垂らした。高濃度の魔力を含んだ血が燃え上がる。

 百年先の未来。蛇はまだ死なない。あらゆる凶兆を身にまとい存在し続ける。

 もっとだ。より深くナイフを腕に刺しこみ血管を切断すると、血をだらだらと垂らす。

 千年先の未来。蛇に死の兆候すら見えない。

 ライド王の口から何かの呟きが漏れ出た。

 右手に持ったナイフに魔力を込める。たちまちにしてその小さなナイフはあらゆるものを切断する魔界の鬼剣へと変じる。

 慌てる侍従たちの制止も聞かずに、己が左腕を肘から切り落とした。まるごとの左腕が祭壇鉢に落ち、凄まじい煙が上がった。

 この潤沢な贄を受けて、時の邪神は狂喜し、その総ての力を解放した。

 巨大な魔力の波が時空連続体の中を広がる。あらゆる可能性分岐点が探索され、いつもは闇の中に沈んでいる未来が明るい洞察の光で照らしだされる。その中を黒々と蛇の存在だけが頑として立ちはだかっている。

 一万年。まだ邪悪なる蛇は生き延びている。それが滅ぶ兆候はどこにもない。

 そうしてようやくライド王は悟った。蛇の正体を。


 災厄の化身。


 台風を止めることができるだろうか?

 津波を鎮めることができるだろうか?

 地震を抑えることができるだろうか?

 大波を消すことができるだろうか?

 災厄の化身は世界を構成する諸力の一つ。ゆえに不滅。なにものも抗し得ない。


 だが・・だからと言ってこのまま大人しく滅びるべきだというのか。


 侍従たちに切断した腕の治療を受けながら、ライド王はぎりぎりと奥歯を鳴らした。痛みに苦しんでいるのかと勘違いした侍従たちが後ずさりをした。


 ライド王が故郷のリムを追い出されてまで求めた楽園の創造。すべてを捨てて挑んだこの偉業。

 誰も犠牲にすることなく、誰もが幸せに生きることのできる楽園。人間の昏い闇の部分を抑え、希望を中心に練り上げた人類が常に乞い求める魂の故郷。

 その実現までもう一歩のところにま出来ていた。

 それを蛇のちょっとした気まぐれですべて滅ぼされるのだ。

 どうしてこれを許すことができよう。

 蛇が我が望みを消し去るのならば、蛇もまたこの世から消えねばならない。それだけの代価を払わせるのだ。

 またもや噛みしめた奥歯がぎりぎりと鳴った。


 ライド王が左腕と引き換えにして得た洞察の中にただ一つだけ、勝機があった。

 一つの因果が果て、次の因果が始まるわずかな瞬間。そのときだけが不滅の蛇を滅ぼせる唯一の機会となる。

 千年も先に起きる、わずか数秒の隙。

 しかもそれを成すために払わねばならない犠牲は大きい。

 そう、とても大きい。

 あまりにも高価なのでライド王にさえ払えるものではない。これは己が左腕如きを差し出すのとは訳が違うのだ。

 諦めるべきだ。まともな頭をした人間ならば。


 だが・・何かが王の耳元で囁いた。

 姫を生贄に捧げよと。

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