2-1 同居のはじまりとベレニス事件
♧
「更に詳しく話を聞きたいところだけど」
クロードはまじまじとティナを見た。
「まず風呂に入った方がいい。さすがに寝ている君の身体を洗うことはできなかった。今の君ははっきり言って不衛生だ」
ティナが自分の身体を見下ろす。夜会で着ていたドレスから黒のローブに変わっていることに気づいたようだ。
ドレスから黒のローブに着替えさせたのはクロードだ。寝苦しいだろうと、手持ちの中ですっぽりと被せることができるローブを選んだのだった。
身体は擦り傷だらけで応急処置をしなくてはならなかった。それでも身体のあちこちに泥が残っている。
「言っておくが、着替えさせたときに身体は見ないようにしていたからな」
「ふふ、ありがとうございます」
小さく笑みをこぼしたティナにクロードは咳払いする。
「ふん、風呂はこっちだ」
物が多い部屋から出ると、洗面所と浴室がある。
魔道具が普及しているこの国では浴室の機能も充実している。ハンドルを回せば温水が出てくるし、不便なことはない。しかし。
「貴族の君は一人で風呂など入ったことがないんじゃないか」
「実はそうです……」
見るからに貴族であるティナは見てクロードはこれからの生活に一抹の不安がよぎる。この国の貴族は魔道具が発展してもなお、旧来の貴族のように、身の回りのことはすべて侍女にやらせている。
ティナは冤罪に追い込まれても取り乱すこともなく受け入れていれる冷静さはある。真面目そうな雰囲気はさすがに妃教育を受けていただけあると思ったが……生活においてはどうなのだろうか。
「まあ風呂に入るなどそこらの子供でもできる。そのハンドルをまわして、髪の毛を洗うだけだ。髪の毛や身体を洗うときはこの瓶の中身を使え。僕が調合したものだから質はいいぞ」
「ありがとうございます、やってみます」
「洗い終わったらこれで身体を拭くように」
クロードはそう言うと、洗面所を出てリビングルームに戻った。彼女が戻ってくるまで本でも読もうとかとロッキングチェアに座ったところで――。
ガシャン、ジャババババ……!
派手な音と「ひゃああ!」という小さな叫び声。
「自分の力でやってみるのも勉強だろう」
クロードは本の続きをめくった。
しかし音はなくなるどころか、濁流のような音も聞こえて「あああ」とティナの間抜けな声もする。
「…………」
結局クロードは立ち上がり洗面所に戻り、事態を把握した。
洗面所はシャボン玉だらけになっていて、床も水浸し。風呂場ではティナが吹き出すお湯を止めようと必死に手で抑えていて情けない声を出していた。
泡だらけになった床をすべらないようになんとか移動して、ハンドルをひねりお湯をとめた。湯煙が落ち着くと、そこには全身をぐっしょりと濡らしたティナがいて、当然ながら裸だったのでなんとかそちらを見ないように大きなタオルをかけてやる。
「一体なんでこんなことに」
「……も、申し訳ございません。ありがとうございます……」
たっぷりと入った瓶は空になって転がっていた。
「そうか。そこから説明しなくてはいけなかったか。これはすべて使うものではない。一滴垂らすくらいがちょうどいい」
「そうでしたか……」
「お湯の勢いも最大限強めたのか。これは勢いがいいんだ。注意すべきだったな」
しょんぼりとしたティナの髪の毛はピンク色の泡がもこもこと立ち上がっていて、元の髪の毛が見えないほどになっている。
クロードはもう一度ハンドルをひねると、彼女の髪の毛に向かってお湯を流していく。あまりにも泡が多くなかなか流されずに、浴室はたくさんのシャボン玉が舞うことになったが仕方ない。下を向くと、彼女の白い肌が目に入りそうで別の方向を向きながら乱暴に水をかけていく。
「裸を見たのは不可抗力だからな」
「はい……本当に申し訳ございません」
「どうせ髪の毛の拭き方も知らないんだろう」
浴室から出るとクロードは身体を拭くように指示してから、ローブを無理やり被せた。服の着替え方も教えてやったほうがいいのだろが、裸をさらし続けられても困る。
「ひとまずこちらに」
クロードは部屋に戻るとロッキングチェアにティナを座らせた。タオルで軽く水気を吸ってから、指の先から小さな風を起こして乾かしていく。
人と過ごすというのはなんて面倒なんだ……と悪態をつきたくもなるが、大人しくされるがままじっとしている彼女の細い肩を見ていると、猫でも飼っているような気持ちにもなってきた。
「くすぐったくて気持ちいいです」
「そうか」
髪の毛が渇いていくとさらさらとした銀色の髪の毛がクロードの指をくすぐった。それらを手に絡めて梳いていく。不思議と嫌いではない作業に感じた。
「できたぞ」
「ありがとうございます……! では浴室の掃除をしにいきます!」
「待て。君、掃除の仕方も知らないんじゃないか? しかも今の君は魔法も使えない」
「そ、そうでした……。教えていただいてもよろしいですか」
「子供を拾った気分だな」
その後、ティナは洗面所でつるりと滑り、すんでのところでクロードに抱きかかえられた。今まで貴族として生きてきた分、一般生活を送るには不器用なところがあるのかもしれない。
「ふむ……このままではまた風呂に入る羽目になる。先に必要なものを揃えに行くか……」
先ほどまでは猫を拾った気分になっていたクロードもげんなりとした表情になってそう言った。
♦
「わあ……!」
ティナは歓声をあげた。
家の外には湖が広がってる。水辺だからか空気が澄んでいて美味しい。少し霧がかって青く見える湖はとても神秘的に見えた。湖自体はそこまで大きくはなく、霧がかっていても向こう岸は見えるくらいの大きさだ。
こじんまりとした家の周りには野菜や薬草が生えていて、クロードが育てているのだとわかる。
「行くぞ」
あたりを興味深く見まわしているティナにクロードは声をかけた。ティナを振り返ることなく、湖の東にある森へ進んでいく。
「どこへ向かうのですか?」
「レチア村にマーサというおせっかいなばあさんがいる」
それだけ言うとクロードはずんずんと先に進んでいくのでティナは後をついていくしかなかった。
高い木が並びたつ森は暗く、動物の影も感じず静かだった。人一人が通れるほどの小さな道を抜けると、五分ほどで視界は開けた。
開けた場所には小さな集落があった。いくつかの家が点々と存在し、どの家にも大き目の畑が隣接している。
クロードはその中で一番大きな家にまっすぐ進み遠慮なく扉を開いた。
外からではただの住居に見えたが、中に入ってみると雑貨屋のような雰囲気だ。アンティークの小物から、食器類、衣類などなんでも売っているようだ。
カウンターにはパンや菓子など、飲食物が並べてあり、その奥から白髪の老婆が顔を出した。
「クロード、珍しいね。納品日でもないのに。――おや」
ピンクのカーディガンを着た優しそうな雰囲気の老婆は、ティナに気づいて目を丸くした。
「クロードが女の子を連れているだなんて……一体どうしたんだい」
「迷子猫みたいなもんだ。女性用の衣服、食器――あー、一人分の生活に必要なもの全部。支払いは次回納品分でどうだ」
「……お代はまあそれでいいけど。本当に何があったんだい。この子は?」
「できればベッドや椅子も。それはさすがに売っていないか?」
「うちに余っているのがあったから持っていったらいいよ」
老婆はカウンターから出てきて、ティナの前に立った。クロードが質問に答えないから、彼女に矛先を変えるようだ。
「あんた貴族だろ? 本当になんでこんなところに。私はマーサ。あんたの名前は?」
「ティナ・セル――いえ、ティナと申します。しばらくクロード様にお世話になります。よろしくお願いします」
「クロードがお世話!? 長く生きてるとすごいこともあるもんだね」
マーサは家具は二階にあることをクロードに告げると、棚から衣類を取り出してティナの身体に合わせていく。
「これなんかちょうどいいサイズかな。……可愛いお嬢さんだからどれも似合うね。ここに住んでいる若者なんてクロードくらいだから、どれも売れずに困ってたんだ。これはあげるよ」
さらりとした素材のワンピースたちがティナの身体に重ねられていく。ティナは身に着けているローブに目を落とすと、胸の部分に紋章があることに気づいた。
「このワンピース、ちょっと古いデザインだった? 貴族の流行りはわからんから」
じっと紋章を見つめていたティナにマーサが声を掛ける。
「い、いえ! レモン色が爽やかでとても素敵です」
「流行りというか、そもそも貴族はこんなぺらぺらの服なんか着ないだろ」
クロードが服をつまむと、マーサはそれもそうかと笑いながら、袋に洋服を詰めていった。
「これで全部かな」
ティナが生活していくのに困らないだけの日用品をマーサは詰めてくれた。
「ばあさん。風呂の入り方とか、着替えの仕方を教えてやってくれ。僕が教えるよりいいだろう」
「あんたにしては気が利くね。よし、ティナこっちにおいで」
ティナはもう一度、ローブの紋章を見つめた。間違いない、これは魔法局の紋章だ。
……クロードは魔法局の関係者なのだろうか。
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