一条隼人は殺せない
おじさんともお兄さんとも呼べない27歳の井ノ原という人を拘束した俺は、研究所の外で身を隠していた吾妻さんと合流して研究所の中を調べた。
「K先生がいないのは確かね」
俺と吾妻さんの私室以外の部屋が施錠されていて、俺達以外の人の姿が何処にも見つからなかった。
「吾妻君が捕まえたっていうおじさんだかお兄さんだかもいなくなってるし」
俺が吾妻さんを呼びに行って戻って来るまでに5分も掛かっていないが、その短い間にあの井ノ原という人は拘束を解いて逃げ出していた。その痕跡すら残っていないから今俺は吾妻さんから疑いの目で見られている。全てはこいつの嘘か妄想なんじゃないかと。
「とりあえず、先生が戻って来るのを待つしかないですかね」
吾妻さんの疑いを解くなら、彼女が好意を寄せているK先生に証言して貰うのが一番手っ取り早くて確実な方法だ。
俺はシャワーを浴びて万が一に備えていつでも逃げられるように準備を整える。
二階の私室からリビングに下りると、吾妻さんがソファに座ってテレビを見ていた。
ふと、監視カメラの稼働中を知らせる赤いランプが目に付いた。
「吾妻さん、晩御飯はどうします?食べに行くなら奢りますよ」
普段は家政婦さんみたいな人が食事を作ってくれる。
「えーそれじゃあ……行くかぁ、焼き肉」
(焼き肉を奢るなんて一言も言ってないですけどね)
吾妻さんの車に乗って幹線道路沿いにある焼肉屋さんに向かう。
「なんかおかしいですよね。誰からも何の反応も無いなんて」
監視カメラが動いているんだから何があったか知っているはずなのに。
「いくら電話をかけてもK先生から何の返信も無いし。嫌われちゃったのかな、私」
「何か嫌われるようなことでもしたんですか?」
「……たぶん、してない」
「断言できないってことは何か思い当たる節があるんじゃないんですか?」
「ないわよ。でも無いから無いとは言えないでしょ」
「吾妻さんが無自覚の嫌な人なら俺は飯を奢るなんて言いませんよ」
「ごめんなさい。私には好きな人がいるからあなたの気持ちには応えられないわ」
「応えるって何を?何も無いんですけど?」
「分かってる。私って罪な女ね」
「無自覚で人を侮辱するバカ女ってことですか?」
「国立大に通う大学生はバカじゃないですー。頭いいですー。バカっていう人がバカなんですー」
吾妻さんの運転する車は駅前の繁華街に向かい、そこにある4階建ての有料駐車場に車を停めた。
「何が起きてると思う?」
有料駐車場の階段を下りていたら吾妻さんが言った。
「分かりません。でも研究所が関与していると思います」
「監視カメラね」
「知っていて何の反応も無いということは、研究所が仕組んだ襲撃の可能性もあります」
「それなら研究所に誰もいなかった説明もつくし、未だに誰とも連絡がつかない説明にもなるけど。でも、何でそんな事する必要があるの?」
それが全く予想もつかない。
「黒毛家でいい?」
いいわけないだろ。一人いくらすると思ってんだ。
「二万円しか持って無いんですけど」
「じゃあそれで我慢してあげる」
我慢してあげるじゃねえよ、バカ野郎。おれが汗水流して稼いだ二万だぞ。
「とりあえず塩タンとカルビとホルモンね、特上の。三人前」
個室に案内されるやいなや俺にそういった吾妻さんは、トイレに行ってくると言って個室を出て行った。
「嘘だろ。これだけですでにもう一万円超えたんだけど」
さすがは高級焼き肉店。注文用のタブレットに表示された合計金額に俺は
「それで、これからどうするつもりなの?」
俺は首を横に振った。
「分かりません。明日になったらみんな元に戻ってまたいつも通りの一日が始まるかもしれませんし」
「でもそれだとまた同じことが起きるんじゃない?」
この状況に研究所が関与しているのなら同じ事が起きてもおかしくはない。
「吾妻さんはどうするんですか?」
俺が焼いていた特上カルビを当たり前のようにかっさらってバクバク食っていた吾妻さんの手が止まり、肩を竦めた。
「どうするって……私からすると、ただ人がいなくなって、やきにくを奢って貰えただけだから……いつも通りにするかな。あんたが言う様に明日には元に戻ってるかもしれないし。でも……なんかおかしいのは分かる」
分からないのはあなたが追加注文している品物の合計金額がいくらになるのかってことですよ。
そして、何となくこうなる気がしていた。
「私はいつも通りの毎日を送りたいの。何も無い平穏な毎日を」
そう言って吾妻さんは俺から離れて行った。
「俺もそうしたいんですけど、無理ですかね?」
「申し訳ないが、男は強制参加だ」
白に黒い縦線が入った3ピースのスーツを着た井ノ原と名乗る男が口元をニヤつかせながら言った。
「悪人を名乗るだけあってやり口が汚いですね」
「謀略は悪人の必須スキルだ」
たぶん、吾妻さんが焼肉屋さんのトイレに行った時に話をつけたのだろう。
俺を研究所に連れて帰れとか俺を裏切れとか、何を言ったか分かんないけど。
「強制参加って何にですか?」
俺の周囲を覆面を付けた男達が囲む。その背格好はバラバラで、その辺を歩いていた人に覆面を被せて連れて来たみたいだ。
「ネット動画で人気のデスゲームですか?賞金はいくらです?」
「おいおい、一条隼人。俺という悪人がいるのに何でそんな悪趣味な遊びをする必要がある」
井ノ原と名乗る男はそう言ってジャケットの内側から小さなリモコンのような物を取り出した。
「Boom!」
吾妻さんの軽自動車が爆発した。俺を囲う覆面男達の何人かを巻き添えにして。
「大丈夫ですか?お仲間さんが何人か怪我をしているみたいですけど」
「あーもう、何やってんだよ馬鹿共が。そんな所に立っていたら怪我するのは当たり前だろが」
「そう思うなら爆発させる前に教えて上げれば良かったじゃないですか」
「黙れ、一条隼人!俺のやり方に口出しをするな!」
「私の車に何してんのよおおー!」
昭和のレディースくらい短気ですぐに暴力を振るう吾妻さんが自分の車を爆破されてじっとしているなんてありえない。
井ノ原と名乗る悪人に駆け寄った吾妻さんは、見事なコンビネーションパンチを井ノ原と名乗る悪人に叩き込み、ノックダウンさせた。
「死ね!死ね!死ね!」
吾妻さんの怖い所は抵抗できない相手でも容赦なく追撃できるところだ。
「おいお前ら何突っ立ってんだよ!助けろよ俺を!早く!」
吾妻さんのストンピングやサッカーボールキックを防ぐので精一杯で何の手出しも出来ない井ノ原と名乗る悪人が、先ほどのような余裕のある声ではなく、今にも崖から落ちそうな切羽詰まった声で怒鳴った。
すると俺を囲んでいた覆面男達が一斉に吾妻さんの方へ駆け出した。
「吾妻さん!逃げて!」
俺の声で顔を上げた吾妻さんは驚きに目を見開き、ついで、威嚇するように眉を逆立て、獲物に飛び掛かる猫のように飛び上がった。
「タイガァキック!」
覆面男の一人にドロップキックを決めた吾妻さんの体がくるりと側宙をして軽やかに着地する。
「殺せ!その女を殺せええ!」
吾妻さんの背後で、痛みにもがき苦しんでいる悪人を名乗る井ノ原という男が叫んだ。覆面の男達が再び吾妻さんに襲い掛かる。
「タイガァ!」
吾妻さんの腰にしがみ付こうとした覆面男の顔面に吾妻さんの飛び膝蹴りがアッパーカットのように決まり、覆面男の頭が曲がってはいけない方向に折れ曲がった。
「やめろ!」
俺は吾妻さんを襲おうとする覆面男達を突き飛ばし、吾妻さんの前に立った。
「まだやるって言うなら、俺がやってやる!」
これ以上吾妻さんに人殺しはさせられない。
「やれよ、一条隼人」
悪人を名乗る井ノ原という男が言った。
「気にすることは無い。そいつらは一人残らず生きる価値の無いクズ共だ。遠慮なく殺せ」
殴る蹴る躱す避ける。爆破した車の破片で倒れていた軽傷らしき覆面男も立ち上がって参加する。
「どうした、一条隼人。そいつらは死ぬまでお前を襲うぞ」
「あんたは引っ込んでな!」
吾妻さんが俺の前に出て覆面男達を叩きのめしていく。
「タイガァ!」
倒れた覆面男の首を吾妻さんの足が蹴り折る。
「吾妻さん……」
「エロ本も買えないガキに人殺しなんてさせられるか!死ね。タイガァ!」
「あははは。だから悪人は止められないんだ。いいぞ、良い顔をしているぞ、一条隼人」
「黙れ。笑うな」
俺の体を熱いものが駆け巡る。
「情けなし。おなごの背に隠れるは男にあらず。腹ば掻っ捌いて無様に野垂れ死ね、一条隼人」
俺の口から俺ではない誰かの言葉が吐き出された。
「だがその前にお前達には死んでもらう」
俺の体が勝手に動く。目の前の覆面男達を殺すために。
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