世界のカケラ4

henopon

第1話 魔女

 ガレオン船はメインマストを中心に前と後ろに一本ずつ、合計三本のマストで構成されていた。帆を支える水平なヤードに複数の帆がわずかに風をはらんでいた。両舷に数十門の舷側砲を備えているので、僕には戦艦にしか見えないのだが。

 僕たちを乗せた教会の船は数日以内にブスレシピの湾に入ると教えられた。珍しいことにマストの上に風の眷族が、いつも毛づくろいをしていているらしく、ずっと僕たちの旅は順調のように思われた。

 あてにはならない。

 夜、僕は目を覚ました。同時に砲撃の音とともに船が揺れた。船が揺れた後に目を覚ましたのか、近頃は何かが起きる前に目が覚める。しかし撃ったのか撃ち込まれたのか考えていると、扉が激しく叩かれた。

「海賊に襲われたみたい」

 ウラカが冷静に伝えてきた。いつもは右往左往しているくせに珍しいなと思いつつ、僕はシャツとズボンを着てサスペンダーに腕を通しながら二本のハンドアックスを手にして廊下に出た。僕たちの前には黒髪を結わえたウラカが華奢な肩には粗い網目のガウンを掛けていた。

 整列させられた僕たち三人は一応起きてはいるが、頭は寝ていた。レイはだらしなく垂れた金髪の下、シャツのボタンを互い違いに留めながら砲撃など知らないと呟いた。彼女は起こされると不機嫌になる。ラナイはウラカ弟子らしく、剣と盾を備えていた。寝ぼけているのは二人だ。ラナイも怪しい。

「ラナイ、二人をお守りするのよ」

「了解です」

 ラナイは気味が悪い。いつ暴発するかわからない味方ほど怖いものはない。それにしても守られるなんて初めてのことじゃないかな。

「レイ、アレやれよ」

「いつもわたしじゃん」レイはむくれた。「ズボンどこ?」

「部屋だろ。ちゃんと履いて来いよ。しようがない。僕がやるか。前よりはできるかもしれんしな」

 僕が上部に続くはしごを上がろうとしたとき、レイが足を掴んだ。はしごにしこたま頭を打ちつけた。

「痛ぁ」

「冗談よ。わたしがやるわ」

「人を止めるとき足をすくい上げるのはよくない。僕は自分で自分を守らなければならない」

「シンはわたしが守る」

 レイに引きずり降ろされた。首が外れるくらいなら、わたしがやると駆け上がろうとした。すかさず僕は足首を掴んで引きずり降ろした。

「ズボン履いて来いよ。パンツ丸見えじゃないか。はしたない」

 そうこうしていると、ラナイとレイが駆け上がった。二人とも一気に敵を殲滅してやろうという勢いがある。言い換えれば勢いしかない。

「ちょっと待ちなさい!」

 止められるはずのない二人にかけられたウラカの声が虚しい。僕はゆっくりとはしごを上がった。

 頭が痛いわ。

 二人は甲板へと繋がる小部屋へと入っていた。ひとまず覗いてみようということだ。身を低くして甲板へ通じる扉を少し開いた。僕も二人の上から覗いた。霧が濃くて見えないな。しかし戦っているような靴音や剣の触れる音が聞こえてはくる。

「気配ないな」

 僕が言うと、レイが僕へ首を傾げた。くっつけると共有できる。レイの額の眼にも何も見えていないようにも思える。支給品の剣を手にしたラナイは早く突撃させろと答えた。

「手っ取り早いわな」

「そうだ。片っ端からやる。わたしは右、レイは左だ。行くぞ!」

「もうこんなところに」ウラカが文句を言いつつ「突っ込んだの?」

「僕も行くか」

 ウラカは僕の足首を掴んで後ろに引きずり込んだ。さっきからずっと引きずられている気がする。

「これから突撃しようかとしてるのに何してくれてまんねん」

 ソプラノの歌が聞こえた。

 ウラカは「まさか」と呟いた。

「きれいな歌声だな」

「グレイシアの子供のことは聞いたことある?」

「異世界から来た僕が知るわけないこと、さらっと聞いてくるよね」

「冷静に話しましょう」

「あんたがな」

 起こされてからずっと冷静でいるつもりだと答えた。グレイシアはムウリトナの街の山にあるが、グレイシアの子供たちとは、この海域に出てくる海賊の総称らしい。海賊とはいうものの、本来の職業も持っているなパートタイム海賊だ。村々が協働して海賊行為を行うこともある。

「歌には理由があるの」

 何が言いたいんだ。よほどどうかしている人でなければ、理由もないのに他人なんて襲わないし、理由などたった一つしかない。

「交渉するかどうかよ。応じるなら殺されない」

 襲われた方は渡したくはないのは世の常だ。しかも何も悪いことはしていない。この海域を通っただけなのに交渉など納得できるか。

「欲しいもの渡せばいいの。歌はただの略奪ではないということ」

「渡すの?」

「ええ」

「教会がそう言うんなら、僕たちはどうでもいいんだけど。商船とかならわかる。でもこれは完全武装した教会の船だろう。何とかしたら?」

「あなたはグレイシアの子どもたちの力を知らないから言えるのよ。歌は力の誇示よ。この船は他の者は手を出すなという証なの」

「やけに肩持つな」

 まさかこの世界にクラーケンとかさまよえるオランダ人などいるのではないだろうな。とにかく何が出ても驚くこともないんだけど。

「でもレイもラナイも突っ込んじゃったんだし。今さら交渉なんてできるのか」

「何してるのよ」ウラカが僕をマジマジと見た。「止めてよ」

「ウラカ、起きてる?」

 僕はハンドアックスを手に立ち上がった。戦えないウラカを背に隠しながら後部甲板へと出た。

「わたしが交渉するわ。あなたは二人をお願い」

「僕が交渉するから、君が二人を止めてくれ」

「わたしに死ねと?」

 僕が甲板に出たとき、すでに戦闘は済んでいた。そしてちょうど歌声もやんで、後部マストから一人の影が飛び降りてきた。彼女は背に汗ばんだ豊かな胸を押し付けて、耳に見つけたと吐息混じりに囁いた。

「わたしの歌はどう?」

「楽しむ余裕はないね」

 レイとラナイがスカされたせいでムスッとしていた。教会船の乗組員は幻術に惑わされていたのだ。誰一人敵などいない。いざ飛び出してみると乗組員同士やり合っていた。

 ウラカは、

「レイ、ラナイは皆を止めて!」

 と叫んだ。そして歌姫と一緒にいる僕のところに近づいてきて、

「聖女教会のウラカです。交渉の準備はできています。あなたの必要なものはっ……」

 と言いかけたが、

「シン、離れろ!」

 レイが飛び込んできた。

 すでにどうしようもない。敵は一人しかいないからどうにかなるかもしれないなんて考えるな。どうか僕が人質にとられていることを忘れないように。忘れてるよね。レイの鞭が空気を裂いた。やられるぞと覚悟したとき、体が浮いた。瞬間、僕と海賊はメインマストのトップまで上がると、足の下でレイの放った鞭がしなった。下には水平のヤードと帆が揺れて見えた。

「待って!」

 ウラカは見上げつつ、

「レイ、やめて!」

 とレイに抱きつこうとして蹴られた。もうダメだ。僕は魔女にしがみついていた。高所恐怖症の僕をこんな高いところに連れて来られた以上、降ろしてもらうという責任はとってもらわないと困る。

「降ろせ!」

「自分で降りてください」

「上げたのはおまえだろ。おまえは何が欲しいんだ?」

「グレイシアの魔具です」

「ウラカ、グレイシアの魔具とやらが欲しいだとよ!落ちる前に持ってきてくれ!」僕は叫んだ後「浮かぶ術があるなら降りれるろうが」

 結局交渉も二人を止めるのも僕がしているんじゃないか?

「シン、待ってろ!」

 レイが叫んだ。

 やめろ!

 ウラカはどこにいる。どこを探しても見えない。すでに荷室に行ってしまったのか。

「ラナイ!」と僕。

「任せろ!」

 違う!

 やめさせてくれ!

 鞭がマストを砕いた。

 ほら。

「わたしのシンに触るな!」

「おまえ、責任持ってマストから手を離すなよ!」

 僕はレイに「結界を!」と命じた。しかし聞いているのか。

「ムカつく!イチャイチャしてるんじゃないわよ!」

「シン、受け止めてやる!」

 ラナイはあさっての方を見て叫んでいた。僕は飛んだ。わずかに風をはらんだ帆に打ちつけられて、どうにかして垂れ下がったロープにしがみついた。帆なんてのは、漫画のように跳ねないんだと知った。魔女も一緒についてきてしがみつかれた。

 メインマストが真ん中から軋んだかと思うと、徐々に海へと向かっていった。僕は結界の中で魔女と掻き混ぜられた状態になっていた。レイの放った無数の光の矢に貫かれた帆はメインもフォロウも破れ、あちらこちらが焦げた。

「どこ狙ってるんだよ!」

 縦帆が砕けた。

 ラナイが船尾へと走っているのが見えた。黒髪がたなびき、剣が落ちてくる木屑を払い除けた。

 急停止すると、二人戻った。

 他に誰かいるのか。

 鞭が甲板の上をしなる。

「ちょっと、二人ともまさかわたしを殺そうとしてない?」

 ウラカは逃げながら叫んだ。

 ラナイの姿が見えた。

 レイの鞭がラナイの剣を砕いたところで、ウラカは結界を結んだ。

 静けさに包まれた。

 済んだのか。

 折れたマストの尖端が海へと落ちてて、船がゆっくりと傾いた。

「レイ!転がる!」

 今度は揺り戻しにさらされた。僕と意識を取り戻した魔女は海面ギリギリで空に飛んだ。しかし結界と浮遊の術が飽和したのか、僕たちは次の瞬間、海へと叩きつけられていた。僕は沈みかけの帆にまとわりつかれて溺れそうになった。魔女は呪術の反作用か何かを食らって仰向けで半ば意識をなくしていた。

 ウラカは巻物を取り出した。

「モッシ、ズミ!」

 絵から可愛らしい少女と銀の瞳をした狼が飛び出した。そのまま一人と一匹は海へと飛び込んだ。

「あんたたち逃げたわね!」


 

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