第10話 赤と白
領地の権力者たちは概ね、新しい領主として君臨することになったネイト・ガーランドという男を受け入れたようだった。
今後の計画や会議の開催時期などがネイトの口から発表された後は懇親会の時間となり、皆が若い領主を取り囲んで親しみを込めて接していた。
気持ちが落ち着かないマリーの腕が引かれる。
見上げるとマイセンが鼻息荒くネイトの方を見ていた。
「僕たちも出遅れるわけにはいかない。あんな男でもこの土地では権力者だ。早く挨拶に行こうじゃないか!」
「待ってください、まだシャンパンが……」
マリーは手に持ったグラスを通り掛かった給仕係に渡して、慌てて夫の後ろを着いて行く。
「ガーランド伯爵!」
マイセンの大きな声を聞いてネイトがこちらを向いた。
「………これはこれは。ハワード小男爵」
「僕のことをご存知なのか!これは嬉しい!」
「もちろんですよ。前任のバルンガ伯爵からもハワード家のお話は伺っています。特に息子であられる小男爵は領地経営の知見が深いそうですね?頼りにしていますよ」
「そっ、そう言われると悪い気はしないなぁ…!」
「何分僕はまだこの辺りに疎いですから。どうぞ右腕となって力を貸してください」
「領主様は鼓舞するのがお上手だ!」
ガハハッと笑いながらまんざらでもない表情を浮かべるマイセンを横目に、マリーはネイトを観察していた。
彼はマリーがあの日酒場に居た女だと気付いていないのだろうか。確かに酒に酔っていたし、ネイトのように毎晩女たちに囲まれる人には分別が付かないかもしれない。
そんなことを考えていたら、ネイトの青い瞳が一瞬だけマリーを見た。驚いて瞬きをするとすでに視線はマイセンに移っていたので、ドキドキしながら下を向く。
「そうだ!ガーランド伯爵にプレゼントがあるんです。手ぶらでご挨拶に伺うのも、と思いましてね。ほら、マリー、ワインをお渡しして……」
「あ、はい……」
マリーがあたふたと抱えていたボトルを差し出すと、ネイトは瓶の底に左手を添えてそれを受け取った。置いたままだったマリーの手に、ネイトの手が重なる。
「ありがとうございます。美味しそうだ」
「サンプカ地方のものですからね!あの辺りは国内でも有数の葡萄の名産地です。噂では国王も毎年取り寄せているとか……!」
「へぇ。サンプカの……」
受け取ったボトルをくるりと回してラベルを読んでいたネイトだったが、どういうわけかスコンッとその手を擦り抜けた瓶は大理石の床に落下した。
大きな音を立ててガラスが砕け散る。
マリーは自分の足元に朱色が広がっていくのを見た。
「あっ、あぁ…!大丈夫ですか、伯爵様!?」
「すみません、せっかくいただいたものを。奥様のお召し物も汚してしまったようです。何と詫びれば良いか……」
そう言って身を屈めたネイトがマリーの靴に触れようとする。白いバレーシューズはつま先が真っ赤に染まっていた。咄嗟のことに身体が固くなるのを感じる。
「妻のことなど構いません!伯爵様にお怪我はありませんか…!?おい、そこの君!すぐに片付けて……!」
マイセンはメイドの一人を呼び寄せて、足元に飛び散ったガラスの破片を指差す。
周囲がザワザワして何事かと首を伸ばしている。
マリーはこれ以上注目を浴びることに耐えられず、痛む頭を押さえながら「大丈夫です」と小さく溢した。しかし、ネイトは聞こえないのか、なかなか顔を上げない。
「良ければうちのメイドたちに手伝わせて汚れを落としましょうか?」
「そんな必要はありませんよ!ちょっと染みが付いたぐらいで妻は気にしませんから。さぁさ、あちらに腰掛けて話の続きでも……」
その時、マイセンが親しくしているファルコス小侯爵が人混みの向こうから名前を呼んだ。マイセンは取り入るべき領主と、自分を贔屓にしてくれている男の間で悩むような顔を見せる。
「ハワード小男爵、ここは大丈夫です。どうぞご友人のもとへ行ってください」
「しかし………」
「ちょうど良い。少し奥様をお借りしてメイドに預けます。良いですか、奥様?」
マリーは青い目を見て小さく頷いた。
ドレスを摘んで先を歩くネイトの後を追い掛ける。マイセンはネイトの言葉を聞くや否や感謝を示してすぐに小侯爵の方へと飛んで行った。
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