第10話 新たな試練

 オフィスに入るなり、美咲は周囲の視線を感じた。いつもと違う空気が漂っている。隼人の席に目をやると、彼も困惑した表情で周りを見回していた。


「ねえ、聞いた?佐藤さんと黒川さんが付き合ってるんだって」


「えー、マジで?」


「うん、この前二人で出かけてるところを見たって」


 耳に入る同僚たちの囁き声に、美咲は顔が熱くなるのを感じた。隼人との関係は、まだ誰にも公表していなかったはずだ。どこで噂が広まったのだろう。


 昼休憩、美咲は隼人とこっそり屋上で待ち合わせた。


「どうしよう、隼人さん」


 美咲が不安そうに言った。


「落ち着こう」


 隼人は美咲の肩に手を置いた。


「噂は噂だ。それに、僕たちは何も悪いことはしていない。よね?」


 しかし、その日の午後、美咲は上司に呼び出された。


「佐藤君、ちょっといいかな」


 部長室に入ると、厳しい表情の上司が待っていた。


「佐藤君、君と黒川君のことで噂を聞いたんだが……本当なのかね?」


 美咲は一瞬言葉に詰まった。しかし、嘘をつくつもりはなかった。


「はい。その通りです」


 上司は深いため息をついた。


「君たちの私生活に口を出すつもりはない。しかし、仕事に影響が出るようなことがあってはならないぞ」


「はい、分かっています」


 美咲は真剣な表情で答えた。


「仕事に支障が出ないよう、しっかりと気をつけます」


 部長室を出た美咲は、胸を撫で下ろした。しかし、これで終わりではなかった。


◇◇◇


 翌日、隼人が美咲の元へ近づいてきた。


「美咲、大変なことになった」


「どうしたの?」


「僕、別のプロジェクトへの異動を依頼されたんだ。こっちのプロジェクトは離れてほしいって」


 美咲は驚きのあまり、言葉を失った。


「え?なんで?」


「正確な理由を聞いたけど、僕が必要だからとしか言われなかった。でも、別のプロジェクトは建築と無関係なことはわかっている。だから、僕たちの関係が影響しているのかもしれない」


 隼人の表情は暗かった。

 美咲は胸が締め付けられるような感覚を覚えた。やっと築き上げた関係なのに、こんな形で距離ができてしまうなんて。今進めているプロジェクトも終盤とは言え、品質をあげる段階になっている。ここで隼人が離脱するのはプロジェクトとしても辛い。


「でも、美咲」


 隼人が美咲の手を取った。


「これは乗り越えなきゃいけない試練なんだろう。僕たちの関係が本物かどうか、試されているんだと思う」


 美咲は隼人の真剣な眼差しに、少し勇気をもらった。


「そうね……そうよね。私たち、頑張らなきゃ」


◇◇◇


 その日から、二人の新たな日々が始まった。別々のプロジェクトで忙しく、顔を合わせる機会も減った。しかし、二人は隙間時間を見つけては連絡を取り合い、互いを励まし合った。


「今日のプレゼン、上手くいったよ」


 隼人からのメッセージに、美咲は心が温かくなった。


「よかった!私も頑張るね」


 オフィスでは、周囲の視線を感じながらも、二人は冷静に振る舞った。仕事中は徹底してプロフェッショナルな態度を貫き、私的な会話は慎んだ。

 しかし、同僚たちの反応は様々だった。


「佐藤さん、黒川さんといい感じなんでしょ?」と、からかうように言う同僚もいれば、「職場恋愛は良くないわよ」と冷ややかな目を向ける人もいた。

 美咲は時折、心が折れそうになった。しかし、そんな時は必ず隼人が支えてくれた。


「大丈夫、僕たちは間違ったことはしていない」


 隼人の言葉に、美咲は何度も救われた。


◇◇◇


 一方で、意外な支援者も現れた。


「佐藤さん、黒川さん、応援してるわよ」


ある日、先輩の女性社員が二人に声をかけてきた。


「私も昔、社内恋愛で苦労したの。でも、今は幸せな家庭を築いているわ。あなたたち、頑張って」


 その言葉に、美咲と隼人は勇気づけられた。


◇◇◇


 週末、二人は久しぶりにゆっくりと話す時間を持った。


「最近、辛くない?」


 隼人が心配そうに尋ねた。


「うん、正直キツイときもある」


 美咲は素直に答えた。


「でも、隼人さんがいるから頑張れるの」


 隼人は美咲を優しく抱きしめた。


「僕も同じだよ。美咲がいるから、毎日頑張れる」


 二人は互いの目を見つめ合った。そこには、困難を乗り越える強い決意が浮かんでいた。


「私たち、絶対に負けないわ」


 美咲が力強く言った。


「ああ、一緒に乗り越えよう」


 隼人も頷いた。


 その夜、美咲は日記を書いた。


『今、私たちは大きな試練の中にいる。でも、この試練を乗り越えることで、きっと関係はもっと強くなるはず。隼人さんと一緒なら、どんな困難も乗り越えられる。そう信じている』


 隼人も自宅で、美咲とのこれからを考えていた。


「仕事も恋も、どちらも大切だ。でも、美咲との関係は、かけがえのないものになっている。これからもプロフェッショナルとして仕事に励みながら、美咲との関係も大切にしていきたい」


◇◇◇


 翌週月曜日、美咲と隼人は新たな決意を胸に出社した。周囲の視線は相変わらず感じるが、二人の表情は凛として美しかった。


「おはようございます」


 互いに挨拶を交わす二人の姿に、同僚たちも少しずつ理解を示し始めているようだった。

 これからも困難は続くかもしれない。しかし、美咲と隼人は互いを信じ、支え合いながら、一歩ずつ前に進んでいく。それが、二人の選んだ道だった。

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