第2話「初めての贈り物」

翌朝、頬を叩かれてリイニャは目を覚ました。


「あんたなんでまだ水汲みに行ってないんだ! さっさと起きて行ってきな! そのあとは昨日サボった分まで、木の実を採ってくるんだ!」


目を吊り上げた継母のフィフィが、そういってもう一度頬を叩いてきた。


そんな継母の暴力と剣幕を日ごろから恐れてきたリイニャだったが、その日は自分の心があまり怯んでいないことに気が付いた。


昨日の異界からの訪問者、イットーサイというサムライの怖さに比べれば、継母の暴力はちっとも痛くないし、迫力だって鶏と狼ほどの差があった。


「な、なんだい、その反抗的な目は!?」


リイニャの瞳に宿った余裕を見て、継母の方が逆に動揺を見せた。


「いえ、わかりました」


目を伏せて大人しく従う振りをしたリイニャは、言われるがままに日課の雑用を終えた後、籠を背負って昨日の湖へと向かった。


「もし来なければ殺す」と語った昨日の男は、本気の目をしていた。

自分たちと同じ倫理感で生きていない異界の人族だ。

再びあの苛烈な鍛錬を受ける恐怖よりも、本当に殺されるのではないかという恐怖が上回った。


また継母にも怒られないよう湖の周辺で、エルフの主食である木の実を拾い、籠を満杯にしてから、恐る恐る湖の方を覗いた。

すると一刀斎は焚火で焼いた魚を頬張りつつ、十匹ほどの魚を煙であぶって燻製にしているところだった。


リイニャに気づいた一刀斎は、一本の木刀を放ってきた。

アカシアの木を丁寧に削って作られたもので、ずっしりと重く、持ち手には蔓が滑り止めとして巻いてあった。


「貴様の木刀だ。今後の鍛錬にはその木刀を使え」


「え、この木刀もらっていいの?」


「昨夜、某が削り作ったものだ。遠慮はいらん。昨日のような木の棒ではまともな鍛錬にならんからな」


一刀斎から渡された木刀を胸に抱き、リイニャは突然その場でぽろぽろと涙を落とし始めた。


「なぜ泣く?」


「…ごめんなさい、人からこんな立派な物をもらったことがなかったから…」


「泣くな、某はうじうじした人間が嫌いだ。その軟弱な性根も鍛え直してやろう」


そういって一刀斎は、リイニャに素振りをするように命じた。


木刀はいつも使っていた木の棒よりもはるかに重く、すぐに腕はパンパンとなった。

だが、一刀斎は一向にやめていいと言わない。

リイニャは腕がちぎれそうになるまで振るい続け、しまいには完全に握力が失われ、勝手に木刀を落としてしまった。


「拾って続けよ」


「も、もう無理です。力が入りません」


「貴様は己を殺しにかかる敵を前にも同じことを言う積りか。二度は言わん、続けよ」


総毛立つような圧をかけてくる一刀斎に、仕方なく再び木刀を拾って振るい、またすぐに落として拾って…というのを繰り返した。

そして数刻経ち、ようやく「よし」と一刀斎が告げたことには、リイニャの意識はもうろうとしていた。


「では昨日同様、某に斬りかかってこい」


昨日の丸腰とはうって変わり、何の変哲もない細い木の枝を手にした一刀斎はそう命じてきた。


「す、少し休憩を取らないと動けません」


「二度は言わん、斬りかかってこい」


いつものやり取りを繰り返し、従うしか道はないと諦めたリイニャはフラフラの状態からもどうにか木刀を構えて、一刀斎と対峙した。


昨日の教訓を経て、自分から無闇に攻めない。

少しでも時間をかせいで疲れ切った腕を休憩させようと考えた。


「時間を稼ぎ身体を休めようという狙いはよし。狡さは戦場では大事だ。だが、魂胆が見え透いている」


リイニャから仕掛けてこないと知るや否や、一刀斎は鋭い踏み込みからリイニャの木刀を持つ手を枝で打った。


ただの細い枝のはずなのに、皮膚が切り裂かれたかのような鋭い痛みが走り、思わず木刀を取り落としてしまった。

すかさず、一刀斎はリイニャのがら空きとなった頭に枝を振り下ろしてきた。

今度はこん棒で殴られたかのような衝撃が走り、視界に星が飛んでリイニャは尻餅をついてしまった。


「そんな枝でなんで!? 魔法!?」


「剣の技だ。ただの枝でもこれくらいはできる」


そんな立ち合いも計十度繰り返され、木の枝を持つ一刀斎に今日もまたリイニャは手も足も出なかった。


そして今日も今日とて満身創痍のリイニャは、ふらふらになりながら家に帰ると、家の前で継母のフィフィが目を吊り上げながら待ち構えていた。


「遅い! 昨日サボった分の木の実も採ってくるように言っただろ! 籠の木の実を置いて空にして、もう一回籠をいっぱいにしてきな!」


そういって手にしていた箒の柄で、リイニャの頭を叩いてきた。

だが、先ほどまで見ていた一刀斎の動きに比べると欠伸が出るほどに緩慢な動きであったため、リイニャはなんなくその箒の柄を手で受け止めることができた。


さすがに驚いたのか目を丸くした継母だったが、リイニャが掴んだ手を離さないと見るや、すぐに顔を怒りで赤く染めると、


「ギルス、ライオス! ちょっと来な!」と大声を出して弟たちを呼んだ。


すると家の中から、リイニャの腹違いの弟二人が面倒臭そうに出てきた。

双子の二人は、リイニャの一つ年下の十四歳であり、身長はすでにリイニャよりも頭一つ分、大きかった。


「なんだい母ちゃん、そんな怒鳴らなくても聞こえるぜ」


「どうしたんだい母ちゃん、鶏のトサカくらい顔が赤くなってるじゃねえか」


げらげらと笑いながらそんな軽口を叩く双子の弟たちだったが、リイニャを見て眉をひそめた。


「落ちこぼれがなんかしたのかい、母ちゃん?」


「それにしてもやけにボロボロだな、こいつ?」


「あたしの言うことを聞かず、反抗的な目を向けてくるのさ! 痛い目にあわないとわからないようだから懲らしめておやり!」


継母のフィフィがそう告げると、双子の弟たちは嗜虐的な笑みを浮かべながら、リイニャに近づいてきた。


「母ちゃんに頼まれちゃ、しょうがねえな~」


「おい落ちこぼれ、しっかり反省しろよ?」


そういって、双子の弟たちはリイニャに遠慮のない暴力を浴びせてきた。

疲労困憊でまともに動くこともできず、まともに鼻っ面にげんこつをうけたリイニャは鼻血を吹き出した。


リイニャが頭を抱えるようにして守りながらうずくまると、弟たちはその背中や脇腹を何度か蹴り付け、しばらくしてようやく満足したのか笑いながら家へと引き返していった。


「二度と舐めた態度をとるんじゃないよ! 今夜は野宿で反省しな!」


継母のフィフィはそう告げると、自分もさっさと家の中に戻り、勢いよく扉を閉めた。

双子から受けた暴力は痛かった。

でもイットーサイの暴力の方がもっとずっと痛い。


リイニャはゴロリと仰向けに寝転がり、空を見上げながら拳を突き出した。


「もっと…もっともっともっと…強くなろう…!」


口に広がる鼻血の味に顔を歪めながら、リイニャはそう決意を固めた。

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