侍エルフ~300年、剣を振り続け天下無双の剣豪となる~
なつも
第1話「晴天の霹靂」
「洗濯物を干して掃除が済んだら、木の実を取りにいくんだ。わかったね、グズ!」
まだ朝靄が立ち込める中、リイニャはいつものように一人早く起きて近くの川で一家全員分の服の洗濯を済ませ、水汲みをして帰ってきた。
すると家に戻るや否や、リイニャは継母のフィフィに木の皮で作られた籠を投げつけられた。
「その籠をいっぱいにするまで帰ってくるんじゃないよ!」
吐き捨てるようにそう告げたフィフィは、また大きな欠伸をして寝室へと戻っていった。
リイニャは文句も言わず、洗濯物を木々の間に張られたロープにかけて干すと、汲んできた桶の水を瓶にうつし入れた。
そして濡らしてから固く絞った雑巾で、台所や居間、トイレを磨き、家の前に積もった落ち葉を箒で掃いてから籠を拾って背負うと、また木の実を探しに森の中へと戻った。
リイニャたちエルフ族の暮らすエコーテの森は、アファーリア大陸を南北に分断し、大陸の総面積のおよそ二割を占めると語られているほどに広く深く、古代から変わらぬ原生の姿を残している。
「いつか絶対にあんな家、出て行ってやる…!」
我が家から十分に離れ、ようやくリイニャはそう一人小さくつぶやいた。
リイニャが暮らすエルフの里は、エルフ族のリシャルカ氏族の三百人ほどが集まって暮らす里であった。
リイニャの実母は、リイニャを出産する際に亡くなったと聞かされていた。
実父であるサリエリは風魔法を得意とし、里の警備兵として働いているが、エルフ族でありながら魔法の才能がからっきしと判定された娘のリイニャを落ちこぼれとして扱い、関心を払うことはなかった。
そしてサリエリの後妻となったフィフィは、リイニャをまだ幼い頃からまるで家の奉公人として扱い、サリエリとフィフィの間に生まれた二人の腹違いの弟たちもまたリイニャを姉とは認めず、いじめの対象にしていた。
家から一刻程歩いて、木の実をたくさん実らせた木々が群生する湖のほとりまでやってきたリイニャは、しゃがみこんで水面に映る自分の姿を見た。
母親譲りだという銀糸のような髪と、翡翠に似た深緑の瞳の色は気に入っていた。
だが、自分の右耳をそっと撫でると思わずといった様子でため息を漏らした。
「やっぱり変だよね」
去年、弟の一人に投げつけられた石が右耳に当たって、先だけ折れて形が変わってしまったのだ。
美しい長耳はエルフの誇りだというのに。
その耳を継母や弟たちにからかわれることが最近は一番辛い。
じっと右耳を見ていると思わず涙がにじんできた。
「っダメだダメだ! 弱音ばかり吐いてちゃ! この森を出て冒険者になるためにも鍛えないと!」
弓矢や剣の腕を磨き、森を出て人族の国で冒険者として生きていく。
それがリイニャの夢だった。
昔、エルフの里を訪ねてきた行商人の護衛の女性に教えてもらった冒険者という職業。
護衛から傭兵の真似事、ダンジョン攻略、ペットの捜索から下水道の掃除までその職域は多岐に渡る何でも屋であり、必要であれば人族の国やエコーテの森、魔族の国すら渡り歩く根無し草だという。
『碌なもんじゃないよ、冒険者なんて』
自身も冒険者である護衛の女性はそう言ったけれど、その日からリイニャは冒険者の自由な生き方に憧れを抱き続けてきた。
十六歳になったばかりのリイニャは、長命なエルフ族からしたら子供どころか赤子同然の年齢であったが、一日も早く独り立ちして冒険者になるため、日々の雑務の隙を見ては木の棒を使って素振りの練習をしていた。
「なんか…今日は森が騒がしい?」
汗だくになりながら素振りをしていたリイニャは、ふいに気になって空を見上げた。
いつも悠然と佇む古代樹の葉擦れが、いつになく騒めいているように思えた。
次の瞬間、雲一つない晴天に一本の稲光が走り、雷が湖の中心に落ちた。
リイニャは間近で見た閃光に目をやられて、視界が真っ白に飛んでしまい、続けて鼓膜を震わす落雷の轟音に悲鳴を上げて飛び跳ねた。
しばらくするとようやく視界が戻り始め、恐る恐る雷の落ちた湖に目を向けると、たくさんの魚が湖面に浮いていた。
改めて空を見上げても、雲一つない青空がひろがっているばかりで、先ほどの謎の雷に不気味さを感じながらも、せっかくの機会だからと浮いた魚を回収するために服を脱いで湖に入った。
「えっ、人!?」
湖を泳ぎながら十匹ほど魚を回収して戻ろうとしたリイニャは、湖面に浮かぶひときわ大きな影が気になって近づいてみると、それはどうやら人の背中であった。
「助けなくちゃ!」
素潜りをして魚突きでもしていて、雷に撃たれたのかもしれない。
呼吸ができるように口だけ湖面から出させて、どうにか岸まで運び上げたリイニャは、服を着てから改めてその男の容貌を観察した。
「人族の男…? なんでこんなところに? それに見たことない不思議な服…」
歳の頃は四十くらいか。
髪は黒曜石のごとく漆黒で、ひげも手入れをしていないのかぼうぼうと伸び散らかっている。
服は麻布でできているようで、男なのにスカートのようなものを履いている。
そして、腰には大小の剣を差しているが、これも見たことのない反りを持つ風変りな剣であった。
剣士なのだろうか。
たまにエルフ族の里を訪ねてくる人族の行商人とも、まるで違う容貌であった。
興味本位で男の剣に手を伸ばそうとした瞬間、男が目を覚まして、ギロリとこちらを睨みつけた。
「ぎにゃあああ!!!」
リイニャは思わず尻餅をついて後ずさりした。
男はそんなリイニャに構わず、ゆっくりと立ち上がると、物珍しそうに辺りを見回し始めた。
「おい、娘。ここはどこだ?」
「えええエコーテの森! 私たちエルフのリシャルカ氏族の縄張りだよ! 人族の男がこんなところで何をしているのさ」
「ふむ、いずれも知らぬ名だ。某は弥勒山の山中にいたはずなんだがな。時に娘、変わった耳をしておるな。こんな耳が長いものは初めて見たぞ」
「エルフを見るのも初めてなの?」
「うむ、そのエルフというのもわからぬ。娘、この場所について知ることを教えよ」
その後も会話を重ねていくと、その男の余りの無知さにリイニャは困惑した。
だが、男が嘘をついている様子はない。
請われるままに、リイニャは地面に枝で図を描きながら丁寧に説明をしていった。
アファーリア大陸はエコーテ大森林によって南北に隔てられており、大陸の南側には人族が治める複数の王国が存在し、一方の北側では魔族が強大な統一帝国を築いていること。
人族が「底無しの森」と恐れ、魔族は「深淵なる森」と敬うエコーテの森にも、そこを住処とする多種多様な種族が存在すること。
森の中で炭坑や鉱山を拓き、鍛冶仕事を得意とするドワーフ族。
顔や身体は獣や爬虫類、昆虫の特徴を持ちながらも、二足歩行をして人族に劣らぬ知性を持つ蟲人族。
森の木や花や石に憑依し、実体と意思を持ち自然の秩序を保つ森の番人・精霊族。
そして耳長で魔法の扱いに長け、長寿の命を持つエルフ族などなど。
彼らは人族にも魔族にも与さない種族であり、自らを森族と自称する人々であった。
そんなこの大陸で生を受けたものならば、どんな幼子でも知っている話に、男は目を丸くしながら耳を傾け続けた。
「――ふむ、どうやら某は異界に迷い込んだらしい」
一通りの説明を聞き終えた男は顎髭を撫でながら、そんなことをつぶやいた。
「異界って、貴方はどこから来たの?」
「日ノ本という島国だ」
「ヒノモト?」
リイニャが聞いたことのない人族の国の名であった。
エルフ族の伝承で、ごく稀に異界からの来訪者がやってくるとことがあると伝えられていた。
世界の福音にも災厄にもなりうる存在だと。
先ほどの不思議な雷や男の珍妙な恰好、話しぶりから、リイニャは目の前の男が本物の異界からの来訪者であるということを薄々信じ始めた。
「私はリイニャ。リイニャ・リシャルカ。貴方の名は?」
「ふむ、変わった響きの名だな。某は伊藤影久。人は一刀斎などと呼ぶがな」
「イットーサイ…貴方は剣士なの?」
「某は侍だ」
「サムライ? その変わった剣で戦う戦士?」
「うむ、これは刀という」
そういって一刀斎は腰の刀を抜いた。
冷え冷えとするほどによく研がれた刃と、美しい刃波のうねり、そして星空のごとき玉鋼の煌めきにリイニャは息をのんだ。
そしてなにより刀を抜いた一刀斎の立ち姿の、その堂に入った在り様に見惚れてしまった。
技を見せたわけでもない。
しかし、その立ち姿を見ただけで素人のリイニャにも、一刀斎が熟練した剣の使い手であることが分かった。
リイニャは身を正し、一刀斎に向かって深々と頭を下げた。
「イットーサイ様。私は貴方にこの世界のことを教えるし、食事の面倒も見る。だから代わりに私に剣を教えてください!」
「おぬし、娘の身で剣術を習ってどうする」
「剣の腕さえあれば独り立ちできる。今の家を一日も早く出て冒険者になりたいの」
リイニャの言葉に覚悟と熱意を見てとった一刀斎は愉快気に口元を緩めた。
「ふむ、この珍妙な異界で生き抜くために、その提案は渡りに船ではあるか。ならばまず貴様の覚悟がいかほどのものかを見極めよう」
「はい!」
リイニャは巡ってきた千載一遇の好機を逃すまいと一刀斎に元気よく返事をした。
「その棒切れで斬りかかってくるといい」
一刀斎は、リイニャが素振りに使っていた木の棒を指さしてそう促した。
リイニャは素直に従って木の棒を拾い、我流の構えで一刀斎に向き直った。
「えやあああ!」
リイニャが木の棒を振りかぶって、勢いよく一刀斎の頭めがけて斬りかかると、一刀斎はひょいっと上体だけ後ろに倒してかわし、そのままリイニャの腹を蹴り上げた。
「おぎゅっえ…!」
蹴りの衝撃でリイニャの身体は浮き上がり、あまりの痛みにリイニャは意識を失った。
「起きよ」
頭をつま先で軽く蹴られたことで意識を取り戻したリイニャは、自身の吐しゃ物に顔をうずめて地面に寝転がっていることを知った。
「二度言わせるな、起きよ」
まだ吐き気が全く引かないが、一刀斎の恐ろしさにリイニャは悲鳴を呑み込んで、死に物狂いでどうにか起き上がった。
「さて、もう一度だ」
一刀斎がそう促した。
リイニャは痛みと恐怖で膝が笑ってしまうのを抑えられなかった。
だが逃げ出すことが一番の不興を買いそうだということを直感で理解していたリイニャは、木の棒を再び構え直し、今度は慎重に慎重に一刀斎へとにじり寄っていった。
今度はギリギリまで近づいてからリイニャは一刀斎の喉元をめがけて突きを放った。
それも一刀斎は軽く首をひねるだけでかわし、突き出されたリイニャの腕を捕まえると、そのまま背負い投げの要領でリイニャを地面へと叩きつけた。
背骨が砕けたかと思うほどの衝撃を全身に受け、リイニャはしばらく息ができなくなった。
「起きよ」
「ひゃ、ひゃいぃぃぃ」
自然と涙があふれていたが、全く許してくれる気配のない一刀斎が恐ろしすぎて、リイニャは再び起き上がった。
「――ふむ、今日はここまで。まずひと月、毎日この鍛錬に耐えられたならば弟子にしてやろう。明日またこの場所に来い」
そんな立ち合いが計十度繰り返され、ようやく終わりを告げられた。
その頃にはリイニャは満身創痍のずたぼろな姿となっており、体中あざだらけとなっていた。
二度と来るもんか!
と心の中で叫んだリイニャだったが、「…はぃ」と消え入りそうな声で返事をするのが精いっぱいであった。
「明日、来なければ殺す。ひと月の鍛錬に耐えられなくても殺す。某に弟子入りを志願するとはそういうことと心得よ」
リイニャの心の内を読んだのか、一刀斎はそう言って狂暴な笑みを浮かべた。
それだけでリイニャは気が遠くなりそうになった。
一刀斎と別れ、リイニャは全身の痛みに耐えながら来た時の倍の時間をかけて家に戻った。
「あんた、木の実を集めるのにどれだけ時間かかってるんだい! ってなんだい木の実まったく集められてないじゃないかい!? 何やってたんだ、このグズ!」
ボロボロになったリイニャを見て、一瞬驚いた顔を見せた継母であったが、それよりも木の実を集めてこなかったことへの叱責を浴びせかかった。
「…うるさい」
しかし疲れ切っていたリイニャは自分でも自覚のないままそう呟き、突然の反抗に固まった継母を無視してそのまま自分の寝床である家の物置部屋の一角に倒れこみ、気を失うようにして眠りに落ちた。
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