仇桜

王水

三分咲き

山は笑い、川には見事な花の浮橋。

実に眩い、八千年目の春。

本来ならば、その麗らかさを尊び、宴でも開くのが筋というものだろう。


しかし、近頃の山はどうも瘴気に満ちている。何やら良くないものが紛れ込んだのだろう。

少々億劫だが、そろそろ重い腰を上げねばならん。


この山を護る者は自分だけだ。


砦としている古屋の裏に、ここで一番大きな枝垂れ桜がある。何か異変があれば、この桜の根本で瞑想をし、山に根をはる桜の木々と一体となるのだ。


脚を組み、瞼を閉じる。気を喉元に集中させ、ゆっくりと呑み込んだ。足の先から角の末端まで、感覚を研ぎ澄ませる。そうしていつしか、この体は山となり、妙な瘴気の出処も感じ取ることができた。


「…麓か。」


呟くと同時に、その場を発った。

川を辿り下流まで降りていく。

草花の生茂る美しい風景の中を暫く進むと、突然化け土竜に抉られたような穴がぽっかりと空いているのを見つけた。


その穴の中に何かの気配を感じとる。恐らく瘴気の出処はここだろう。


この山一帯の空気を澱ませるような輩だ。どんな物の怪か、はたまた巨大な獣か。どう始末するべきか気構えながら、穴の中をゆっくりと覗き込んだ。


そこには───…


「……うわぁ!」


「……。」


拍子抜け、とは正にこの事だろう。

妙な瘴気に包まれて穴の底に居たのは、短躯の小僧だった。桜色と月白げっぱくの混じったような髪を一つに纏め、淡い色の見慣れぬ洋服を着ている。角も翼も尾もない、明らかに鬼人ではない見た目をしている。いや、それどころか、俺が知っているどの生き物ともつかない気を纏っている。この世に生を受けて八千年、生まれてこのかたこの小僧のような奇妙な人種を見たのは初めてだった。


───面白い。


これ程の年月を費しても、森羅万象を知るには至らないというのか。腹の底から笑いが込み上げそうになる。しかし、このくらいのことで興に乗るほど、もう若くは無い。踊る心を鎮めながら、俺を見上げる小僧に問うた。


「……貴様、そこで何をしている。」


「は!?いや、何って、気が付いたらここに落ちてて…ここが何処かもさっぱり……っていうか、お前は!?見たことない顔だし…角…!?なんだそれ!?」


「……。」


発汗も多く瞳孔も開いているが、嘘をついているような様子は無い。己の置かれた状況を把握できていないようで、混乱の色が見える。どうやらこの穴が瘴気の出処ではあるのだろうが、この小僧は何も知らないらしい。


「人に名を聞く時は己から名乗れ。躾のなっとらん小僧だ。」


「こっ……小僧じゃねえ!俺は大人だ!」


顔を真っ赤にして地団駄を踏むそいつは、存外喧しい奴だった。


「ところで小僧、随分余裕そうだな。この穴とここら一体には、随分瘴気が溜まっている。あと数時間もそこに居れば死ぬぞ。」


「だから小僧じゃ……って、は!?瘴気って何だよ!?俺、死ぬの!?ていうかそんなにまずいなら見下ろしてないで早く助けろよお!!!」


「……それが人にものを頼む態度か?生憎、礼儀を重んじない者は嫌いでな。」


そう吐き捨て、踵を返すをした。


「なっ……!お、おいおいおい、待ってくれ頼む!なあ、助けてくれ!一生のお願いだ!何でもするから!」


存外たやすく棄てられた誇りを不憫に思いながらも、計画通りに事が運び、ほくそ笑む。


「ふん……では、貴様の素性を全て明かせ。ここでは得体の知れぬ者は皆爪弾きにあう。」


「え"っ、素性を…全部!?」


「嫌ならばこのままここで野垂れ死ぬがいい。」


後押しの積もりで、再び背を見せてやる。


「わ、分かった!わかったよお!分かったから早く助けてくれ!!!」


大粒の涙を溜めながら命乞いをする姿は実に情けない。こうはなりたく無いものだ。余りの単純さに半ば呆れながらも、穴から担ぎ出してやった。


「はぁ、はぁ……有難うな、助かった…。」


「ほう、真面に礼は言えるのか小僧。」


「こっ……だからあ!俺は小僧じゃないんだってば!大人なの!あと、九重っていう名前もあるんだよ!」


「……そうか、では九重。まずは俺の住む砦に来い。先の約束を果たしてもらう。」


「あ……、はい……。」


縮こまり青ざめる九重を担いだまま、大穴を後にした。

来た道を辿り、頂上の砦に着くと何やら裏にある大桜の方から声が聞こえる。この距離で何を話しているのかがはっきりと分かるほどの大声だ。


「……はぁ、七宝柑か……。」


「しっぽうかん……?誰か居るのか?」


怪訝げに俺を見やる九重。


「……丁度いい、いずれは会わせねばなるまいと思っていたところだ。叱責がてら口利きしてやろう。」


「へ?」


九重の返事を聞く前に、七宝柑の後頭部をひっぱたく。


「うおお!?花筏あ!」


「貴様、ここで花見をする時は許可を取れと何度も話した筈だが。」


「あ"っ、いやあ、山に入る時に見かけはしたんだが、随分と愉しそうにしていたから、邪魔しちゃあ悪いかと思ってなあ!わっはっは!」


「ならば花見を中止しろ。」


叱責を浴びせ、再び七宝柑の頭を叩いた。


「おい!痛いだろう!少しは加減せんか!割れたらどうする!」


「そんな使えない頭ならば割れてしまえ。」


「わっはっは!非道な爺だ!」


「まあまあ、七宝柑が悪いが、花筏ももう少し柔和になれ。毎度のことだろう。」


耳に馴染む低い声が、背後から聞こえた。


「……五色米。」


見上げると、首が痛くなるような大鬼が一匹、背後に佇んでいた。


「毎度言われておりながら此だから腹立たしいのだ。他人事のように振舞っているが、貴様も共に呑んでいたな。同罪だぞ。」


「はっはっは、ばれたか。逃げるぞ、七宝柑。」


「応!退散退散!」


「はぁ……まあ待て、不本意だが、今回は赦してやる。今日は貴様らに会わせたい者がいる。」


七宝柑と五色米は、逃げの体勢のまま振り返った後、何事かと言う顔で互いの顔を見合った。


「此奴を見ろ。」


小脇に抱えていた九重の尻に視線を落とし、七宝柑と五色米の眼を誘った。


「……おいおい、こりゃあ魂消たな。」


「わっはっは!花筏、お前小鬼を拾って来たか!白い尻だったから牝鹿でも抱えているのかと思っていたぞ!」


「最近は花筏の拾い癖もなおったかと、丁度話していたところだったが、まさかその矢先に拾ってくるとはなあ。はっはっは。」


愉快そうに腹を抱える二角。


「馬鹿者め、よく見ろ。」


尻しか見えていなかった九重を地に放り、全貌を見せつける。


「!!」


それを見るなり、七宝柑と五色米は糸が切れたように固まった。


「いっててて……何するんだよ!人を放り投げやがって……!」


「麓に瘴気の溜まり場を見つけ、中を覗くと此奴がいた。」


「おい、聞けよ!」


喚く九重を無視して続ける。


「見ての通り鬼子ではない。気付いては居るだろうが、俺ですら初めて見る気を放っている。只者では無いだろうな。……だが、無様に助けを乞うてきたので、素性を明かすことを条件に救ってやった。敵意は無いようなので、何れ貴様らとも関わることになるだろう。」


「は?鬼子って、そりゃ、俺はただの…。」


九重はぶつくさと呟きながら二角の方を見上げると、突然尻に火がついたように逃げ出した。

間髪入れず、その首根っこを掴む。


「ぐえっ!」


「何処へ行く積もりだ。まだ約束が果たされていないぞ。」


「だっ、だだだだって、お、おお、鬼!でか!浮いてる!?こ、ここは鬼の山なのかよお!?」


逃げられないと悟ったのか、俺の腕にしがみつきながら縮こまる九重。それを見て、七宝柑が。


「わあっはっはっは!如何にも!!此処は鬼の山よ、小僧!」


大口を開けて笑う七宝柑に、五色米が続く。


「鬼を見るのは初めてか。なあに、取って食おうなんざ思ってねえから安心しろ、坊主。」


扇のような掌で頭を撫でられ、少し気が緩んだのか、九重の強ばった身体が解れた。


「こっ…小僧だの坊主だの…!俺は大人だ…!九重って名前もあるん、だからな…!」


「はっはっは、威勢がいいのは嫌いじゃねえ。俺は五色米という。そして此奴が…」


「七宝柑だ!宜しくなあ、九重!!」


斯くして、九重を歓迎する宴が開かれることとなった。

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