ある動物園のはなし
伊田 晴翔
ある動物園のはなし
小汚い調理室で、人参やらキャベツやらの野菜をざく切りにしながらテレビを見ていると、ニュースでは他県の動物園に先月来園したパンダの話題を取り上げ、盛り上がリを見せていた。
「いいですね、パンダ。うちにも呼びましょうよ」
若い女性スタッフは、動物園の経営についての苦労など全く関心がないようで、能天気にそんなことを言った。
「あのね、うちにそんなお金はないの。くだらないこと言っている暇があったら、お客さんを呼ぶアイデア考えてよね」
「えー。それなら、借金しましょうよ。派手なイベントやってお金使っても、お客さんが来れば元取れますよー」
本当のことを言えば、怒鳴り散らしてやりたいところだった。
何を考えているんだ、経営をなめるんじゃない、と。
しかし今の時代、少しでも棘のある発言をしようものなら、パワハラだのセクハラだのといって訴えられかねない。
そんなことになれば、私が父から託され、守り続けてきたこの動物園が潰れてしまうかもしれない。そんなことにはさせない。
ゾウ、キリン、カバ、ゴリラ、ライオン、他にもたくさん。現在、我が園の動物たちはたくさん、いる。
食費は月、数百万とかかるし、スタッフへの人件費も馬鹿にならない。
私は園長として何としてでも、この動物園を守らなければならないのだ。
「そういえば、昨日来てた若い刑事さん。あれ、どうかしたんですか?」
女性スタッフが私に尋ねる。
「いや、大したことじゃない。君には関係ないことだよ」
私は適当にあしらった。
* * *
「パパ。パパ?」
幼い息子、リョウタが私に呼びかけていたようだが、すぐに反応できなかった。私の頭は動物園のことでいっぱいだったのだ。
息子の話を聞いてやらないなんて父親失格だ。
「ぼく、パンダがみたい!」
ニュースを見たリョウタは、目をキラキラさせて言った。
「そうか。じゃあ、そのうちな」
今すぐにでも、と言ってやれない情けなさを恥じた。男手一つで育てていくと決めたのに。
この子から、母親を奪ってしまったのは他でもない、この私なのだ。
「もう少ししたら、うちの動物園もお客さんが集まるようになるからな」
私は、うちのライオンに赤ちゃんが生まれれば、集客できると考えていた。
思った通りだった。
うちに若い雌ライオンを迎えた。そして、元いた雄ライオンと交配させ、二頭の赤ちゃんライオンが生まれた。
赤ちゃんライオンを見るために多くの客が訪れ、集客数は半年前より上向いた。この調子ならしばらくは持ちそうだ。
「あの、すみません」
またあの新米刑事だ。面倒くさい。
「何でしょう」
「ここで飼育員として働いていた女性スタッフの方がいましたよね。あの方はどうされたんですか?」
「どうって。辞めましたよ」
「辞めた? それはクビということではなくて?」
「いえいえ、自主退職です。何やら体調を崩したとかで」
「その方について、失踪届が出されていまして。何かご存じないですか?」
「私には分かりませんよ」
「おかしいですよね。あなたの周りでは何人もの行方不明者が出ている。あなた、何か隠していませんか」
刑事が鋭い眼差しで私を見てくる。しつこい刑事だ。
「スタッフが辞めてしまうということなら、私にも責任があると感じています。ですが、パワハラのようなことはしていませんよ。みんな頑張ってくれていますし。何せ、大変な仕事ですから、動物が好きなだけでは続けられないのでしょう。給料が安いとか、腰が痛いとかで辞める人も多いです」
「あなたの奥さんはどうですか?」
刑事が声を低くして尋ねる。
「はい? 陽子が何です?」
「もう何年も、行方不明のままですよね?」
そう。私の妻は、最愛の息子であるリョウタに何も告げることなく、ある日、忽然と姿を消した。
「はい、私もずっと帰りを待っているんです。彼女も、この動物園のために頑張ってくれていますから」
「いますから……?」
刑事が怪訝そうな顔をしたのが分かり、私は咳払いを一つして、「いましたから、ですね。失礼」と訂正する。
「あとで一度、こちらの園内を詳しく調べさせて頂いてよろしいですか」
「分かりました。そのときは一報ください」
私は週末、リョウタをパンダのいるあの動物園へ連れていくことに決めた。リョウタと過ごせる時間は、もう長くないかもしれない。
「パンダの観覧、二時間待ちでーす」
スタッフが慌ただしく、行列を整理している。私はこの光景に憧れている。忙しいことが、一番だ。
私たちは丁度、混雑のピーク時に来てしまったらしい。
「もう少しお客さんが少なくなったらまた並ぼうか」
私の提案に、リョウタは首肯した。
「それまでどうしようか」
「ゾウさんがみたい」
「そうか。よし、行こう」
リョウタはゾウが好きだ。
ゾウの姿が見えてくると、走って駆け寄っていった。
あとから追いついた私に振り返り、リョウタは首を傾げた。
「このゾウさん、なんかニセモノみたい」
「どういうことだい?」
私にはリョウタの言葉の意味が分からなかった。
「うちのどうぶつえんのゾウさんと、ちがう」
「そうか?」
私にはここのゾウと、うちで飼育しているヨウコとの違いが分からない。もしかすると、リョウタのなかで、何か勘のようなものが働いたのかもしれない。
「うちのゾウさんはずっとぼくをみててくれて、やさしそうなんだ。ぼくはうちのゾウさんのほうがすき」
私は何も言えなかった。
無事にパンダを見ることができ、リョウタは興奮冷めやらぬ様子だった。帰り際、うちの動物園にもパンダを置いてほしいと懇願された。
「パンダは、最終手段だなぁ」
私は呟いていた。
「さいしゅうしゅだん?」
「もっとお客さんを入れないとマズくなったら、パンダもありかな」
きっとリョウタには、この話はまだ早い。
あの刑事から、動物園を捜査をするという連絡が入った。上司に何度もかけ合って、ようやく捜査許可が下りたのだろう。
「どうぞどうぞ、お好きなように」
私は笑顔で応える。
心配ごとは何一つない。証拠は何もない。
証拠がないことが怪しいくらいなのだ。
ひと通りの捜査が終了した。とりわけ調理室を念入りに調べていたようだが、もちろん何も出てきやしない。
「ご協力ありがとうございました」
悔しさを滲ませた表情で、刑事が言った。
「いえいえ、何か分かりましたか」
「特には……」
何も出てこないことは私が一番、よく分かっている。
「最後に一つだけいいですか?」
若さゆえか、本当にしつこい刑事だ。
しかし、何か核心をつく質問をされるような気がして、私の体は強張った。
「何でしょう」
「単刀直入に伺います。あなたの周囲で姿を消した方々、猛獣の餌とかにしていませんよね?」
ははは、と私は思わず笑ってしまう。あまりにも見当違いな推理だ。
安心した。
この刑事は大馬鹿だ。
「刑事さんも大変ですね」
嫌味を含んだ私の言葉にイラついたようで、刑事は拳を固く握った。
「必ず突き止めますよ、真相を」
刑事の執念深さに、私は悪寒がした。
「雨垂れ石を穿つ」という言葉があるが、彼はまさに、水滴となって私の「秘密」という硬い石に、いや、固い意志に風穴を開けようというのだ。
それから十五年の月日が経った。
ヨウコが死んだ。リョウタの好きだった雌のゾウだ。
リョウタは二十歳になっていた。
悲しみのなか、リョウタが私に問うた。
「どうしてあのゾウに、母さんと同じ名前をつけたの?」
私が答えられないでいると、リョウタが続ける。
「僕、調べたんだ。あのゾウは、母さんが消えた直後にやってきた。一体これは――」
私は、人差し指を口に当て、彼に沈黙を促した。
我が動物園は、再び経営難に陥っている。
そろそろパンダが必要なのかもしれない。
我が息子である彼になら、あとのことは任せられる。
私は、リョウタに全てを話すことにした。
ことの全容を知った彼は、涙を流した。
私の最後の計画を伝えると、初めは反対した彼だったが、私の意志の固さに、最後は納得してくれた。
私からオーナー権を引き継ぐことを了承すると、「今までありがとう、父さん」と微笑んだ。
私には、人間を動物に変えてしまうという能力がある。
呪文を唱えることで発動するこの能力は、私だけが持っているものではない。私の父もそのまた父も、我が一族の総領が代々受け継いできた能力だ。
この能力を持つ人間は言わば、悪魔に等しいとして、代々、他言無用の秘匿事項とされてきた。
私は、この異能を後世に遺してはいけないと考えていた。私の計画は、私自身が動物になること。
リョウタに私の能力を引き継がなければ、リョウタはこの忌まわしき呪縛から解放されるのだ。
「幸せに暮らせよ」
「ありがとう、父さん」
リョウタは理解してくれたようだった。
私はリョウタの肩に手を添えた。
「あとは頼んだよ」
リョウタは頷いた。
他人が聞いたら笑ってしまうだろうが、私はこれから、自分の能力でパンダになる。
* * *
「すみません。あなたが新しい園長さんですよね?」
賑わう動物園の敷地内で、僕は声をかけられた。こっちは忙しいのに、と僕は露骨に嫌な表情を作った。
父さんが言っていた刑事だ。僕も小さい頃に何度か見かけたことがある。あの頃と比べるとだいぶ老けた印象だ。貫禄さえある。
「前の園長さんはあなたのお父さん、ですよね。行方が分からなくなっているようですが?」
はあ、と僕はわざとらしく溜め息をつく。
僕は、父さんと違って隠しごとが上手くない。秘匿事項だか何だか知らないが、本当のことを言ってもどうせ誰も信じない。
「いますよ」
「え?」
お客さんの歓声や、うちのスタッフの案内の声と混ざって聞き取りにくいのか、刑事は耳に手を当てて聞き返す。
「父ならいますよ。あそこに」
僕が指差した先、檻のなかにいる「それ」は、行列のせいで刑事には見えないだろうか。
「どこに?」
「あの檻のなかです」
「檻、ってあのなかにいるのはパンダだろ」
なあ、刑事さん。あなたは僕を逮捕できるのか?
「父はパンダになりました」
「は?」
刑事は絵に描いたようなアホ面を僕に向ける。
僕は咳払いを一つ、「僕がパンダにしました、か。失礼」と訂正する。
父さんは不本意だろうが、僕にも能力は使えた。
先祖代々、呪文だなんだと言ってきたようだが、能力は恐らく遺伝だ。
そして父さんは自分の能力ではなく、力試しがしたかった僕にパンダにされたのだ。
僕は父さんの子どもで本当によかったよ。ものごとの考え方も遺伝だな。
刑事の額からは、汗が流れ出す。頬を伝って顎にくると、ぽたりとアスファルトに垂れる。
こんな水滴じゃ、穿つことのできる意志はない。僕は心で嘲笑しつつ、口角を上げた。
「ただいま、パンダの観覧三時間待ちでーす」
平日にも関わらず、多くの客が父を見に訪れている。
飼育員や派遣のスタッフたちは、慌ただしく、園内を走り回っていた。
ある動物園のはなし 伊田 晴翔 @idaharuto
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