あの道端の自販機、毒蜘蛛がいるんだって
松露
通勤・通学路
あの道端の自販機、毒蜘蛛がいるんだって
「ぼろい自販機ってさ、中に毒蜘蛛がいそうで怖くない?」
突然そんなことを言われるもんだから、店の中だっていうのに周りに自販機でも置いてあるのかと見まわしてしまった。
「まあ、ちょっと分かる気がする。一時期セアカゴケグモだかが人を嚙むぞ~ってニュースになってたよなあ」
騒動当時が何年だったか、2015だか6年だったか。高校の晴れ晴れとは程遠い日々の中で、毒蜘蛛にフィーチャーされた一連の話題ははっきりと記憶に残っていた。
似たような話題でヒアリとかトコジラミなんてのもあった。日ごろから侵略的外来生物などにさして興味を持たない自分だが、自身に酷く害を及ぼすだろうモノは、妙に頭に残っている。
「特にこんな片田舎だとさ、草むら近くの自販機なんて触れたもんじゃないだろ。毒蜘蛛どころか、虫のオンパレードだな」
「で、なんでそんな話をし始めたんだよ」
「いやさ、確かに草むら近くの自販機は虫が凄いんだけどさ、そうじゃなくても虫の量が半端ないのがあるんだよ」
「この通りの近くにあるんだけどさ」
2人してずるずると蕎麦をすする。普段通る道に位置しているのに、入った事がなかったし、自販機の話にしても、そんなものがあったかなと。意外な発見をしたもんだと内心驚く。
「草むらが近くにないのに大量に湧く虫と蜘蛛……これってさ、もしかして」
友人が箸を置く。
「自販機の中から産まれてるんじゃないか?」
あまりに真剣にこちらを見つめてくるもんだから、思わず夢中になっていたそばすすりを止めてしまった。
「いやまあ、自販機の中に巣食うぐらいあるだろうけど……」
「違う違う、自販機が虫を産んでるんだよ。あいつは新手の有機生命体で、自販機に擬態してるんだ」
「それ、ミミックじゃん」
鼻で笑いながらエビの天ぷらをかじる。こいつが最近、俗にいう死にゲーにハマっているのを良く知っていたから、多分そういう妄想をしていたんだろうと。
「さっき言った自販機、コイン入れてもすぐ出てきちゃうし、ラインナップも全然変わらないんだ」
「業者がたまにいるけど、ドリンク入れてるわけでもないんだよな。不思議にもほどがあるんよ」
なんとなく、話の流れが読めてきた。
「今から見に行こうってか?毒蜘蛛探しに?」
ちょうど、テレビから今日の最高気温は38℃だなんてのが聞こえてきた。友人も、炎天下で脳が茹ったのだろうか。
「いや、流石にこの暑さでほっつき歩きたくないわ……」
流石に良識はあったらしい。心の中でちょろっと謝罪する。
「夜になったら涼しくなるじゃん?研究室帰りに寄ってみようかなって」
「ふーん、いいんじゃない。今日は合成でしょ?終わるの21時くらいだろうし」
一服して、荷物の準備をする。
「まあなんでもいいけどさ、夜更かししすぎて明日のゼミと再履修には遅れるなよ。代返しないからな」
また炎天下に戻る必要が出てきたのかとうんざりしてしまうが、2人で席を立った。パチンコで勝ったというので、今日の飯は友人からのおごりだ。
「つづきまして、結三市内連続不審死事件につきまして、本日さらに……」
引き戸に手をかけた時、店内の小型テレビがそんな風なことをぼそぼそと呟いていたのが耳についた。物騒な話が続くものだと感じたが、吹き込む熱風でそんなことを考える暇はなくなった。
――――――――――――――――――――――――
飲食店のバイトはこれだから困る、サビ残を平気で強いてくるものだから、労基署に駆け込んでやると鍵垢で毎回愚痴っている。それでも駆け込まないのは、億劫とか臆病とか、そういう感情が堰き止めているからだろう。きっとそうだ。
スマホを取り出してみると、23時を示していた。昼間の蕎麦屋どころか、商店街はどこも暗く、シャッターの雑然とした落書きを揃えるばかりだ。
「やべ、水がなくなった。蒸し暑すぎる……」
もはや足取りはペットショップのアカミミガメで、家に付けばコリドラスのように地に這いつくばることが予想された。一人暮らしの男子学生を飼ってくれるお姉さんはいないのだろうか……。
「そういえば、この道の先、自販機があるんだっけ」
友人の話を思い返す。発展性のない片田舎にとって、自販機の一つとっても貴重な社会インフラであるから、こういった情報は人命にかかわる貴重なものだ。重たい体を引きずりながら、道沿いに進んでいく。
すると、遠目に白色LED特有のぼやっとした明かりが確認できた。これ幸いと駆け出す自分が、まるで光に寄り付く虫のようで滑稽に思えた。
自販機の前に辿り着く。
外れとはいえ住宅街が近くだというのに、普通より虫が多いように感じる。あいつの言っていたことは本当だった。
「そういえば、インディージョーンズに虫の巣に手を突っ込むシーンがあったよな」
そんなことを思い出すレベルだ。
ただ、背に腹は代えられない。自身の脱水と苦手を天秤にかければ、もはや悩むことすら馬鹿らしい。財布から金を取り出す。
「あ、嘘だろ、これ新500円玉じゃないか……!」
ここに来て最大の障壁が立ちふさがる。新500円に対応する田舎の自販機など、天然記念物レベルだ。
「頼む、入ってくれ!!」
虫を払い、投入口にねじ込む。
チャリン
入った、奇跡かもしれない。急いでスポーツドリンクのボタンを押す。ゴスンという鈍い音と主に、スポーツドリンクが取り出し口に落ちていた。
現代の利器に最大の敬意を示し、今週は善行をより積もうと決心した。具体的に言うと、研究室の放置していた試薬棚の整理をする。やっぱ無理かも。
取り出し口に手を伸ばし、中のドリンクを持ち上げようとする。
「いたっ」
鋭い痛みが指先に走る。驚いて手を引っ込めるが、勢いで何かが宙を舞った。どうも、噛んだのは蜘蛛らしい。
「昼間の話通りかよ、本当にいるとは思わねえじゃん」
一人で悪態をつく。幸い、毒蜘蛛のような見た目ではなかったから、そのまま血を拭って止血する。
その時、ふと何かが取り出し口に詰まっていることに気付く。そっと口を開いてそれを取り出すと、スニーカーであることが分かった。
「あれ、これってあいつのと同じスニーカーだよな」
あの話の信ぴょう性を持たせるために、いたずらで中に仕込んでおいたのだろうか。凝った事をするな、明日会う時に返してやろう。
だけれども、この日を境に、友人と会う事はこれっきりなかった。
――――――――――――――――――――――――
友人が消えて、一週間経った。
あの日から、LINEメッセージを送ったり、あいつの家に行ったりしてみたけれど、忽然と姿を消してしまった。
「もしかして、車両で某国に連れ去られた…?」
「いや、もしかするとお告げがあって旅とか、山籠もりを始めたとか」
「俺の予想は借金だな、パチで負け過ぎて闇金に手をつけてた説」
ゼミの人間と適当な憶測をしまくる。ただ、大学生が限界を迎えて突然飛ぶというのは、よくある話だ。まあ何にせよ、一か月後には見つかるだろう。
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研究室はこれだから困る、長時間居残りを平気で強いてくるものだから、大学事務に駆け込んでやると鍵垢で毎回愚痴っている。それでも駆け込まないのは、億劫とか臆病とか、教授のせいで単位が危ないとか、そういう感情が堰き止めているからだろう。きっとそうだ。
スマホを取り出してみると、23時を示していた。例の蕎麦屋どころか、商店街はどこも暗く、シャッターの雑然とした落書きを並べるばかりだ。
「やべ、水がなくなった。蒸し暑すぎる……」
もはや足取りはペットショップのリクガメで、家に付けばプレコのように地に這いつくばることが予想された。一人暮らしの男子学生を飼ってくれる敏腕美人社長はいないのだろうか……。
「そうだ、あの自販機で水でも買うか」
我ながら学習性能が高い。発展性のない片田舎にとって、自販機の一つとっても貴重な社会インフラであるから、こういった情報を記憶する事は、人命にかかわる貴重なものだ。重たい体を引きずりながら、道沿いに進んでいく。
すると、遠目に白色LED特有のぼやっとした明かりが確認できた。これ幸いと駆け出す自分が、まるで炎に寄り付く蛾のようで滑稽に思えた。
心なしか、点滅が多い。電気が切れかけなのだろうか。
自販機の前に辿り着く。
「あれ」
違和感があった。今日はなんだか虫が少ない。加えて、自販機の側面が、僅かではあるが開いていた。
「珍しい事もあるんだな」
そう思いつつ自販機に近づくと、空いた隙間の部分から、生ぬるい風と異臭が漂ってきた。これは腐臭?肉が腐った時とか、三角コーナーの臭いだ。
自販機の足元に、何かがキラリと反射したのが見えた。
かがんで拾い上げてみると、メガネだった。しかも、よく見覚えのある。
背中に激しい悪寒が走っている。これって、もしかしてヤバい状況なんじゃないだろうか。
実験室では常日頃危険が付きまとうもんだから、教育でヒヤリハットの話を嫌というほど教え込まれる。間違いなく、今この瞬間、1件の重大事故を引き起こしかねないのではないか。
けれど、ただ自販機に手をそえて、少し中を見る程度であれば。
そんなファンタジーじみたことがあるかよと、自販機が人を食うなんて。
「少しなら……いいか」
スマホのライトを点灯させる。少しだけ、少しだけ。不快な臭いと湿度に抗い、中を照らす。
中には、果てしない量の虫が蠢いていて、卵みたいなものも見えた。
思わず息をのんでしまった。外にいない分、中に入っていた?それにしては、数が多すぎる。
中を上から下へ、左から右へ走査する。虫の甲殻の煌めきとドス黒さが、とてもアンバランスに見えた。
その時、何かと目があった。
「待ってくれよ、そんな」
理解が追い付かなかった。
グズグズに崩れた人間の頭部、それも、見覚えのある顔がそこにはあった。
思わずその場から飛びのき、跳ね上がる心臓を無理矢理に押さえようと、必死に息を吸い込んだ。
「死にたくない!」
脳が思考するよりも早く、その場から脱兎の如く駆け出そうとする。
だが、翻したはずの身が一歩も動かない。
身体に、赤黒い触手が巻き付いていた。
巻き付きをほどこうともがくが、触手は一本、また一本と増えていき、次第に抗えるような力ではなくなっていた。
「誰か助けてくれ!!」
大声で叫ぶが、片田舎の人口密度ではこの声も届かないらしい。
じりじりと引きずられ、ついに、背中に生暖かい空気が感じられた。
触手のぬめりが身体を包み、ひと際強い力で引き込まれたかと思うと、ついに自販機の中に取り込まれた。
扉が閉まり、強い力で圧迫される。
ぬめりと息苦しさ、虫が皮膚を這いずる感覚がする。
「そういえば、家の換気扇止めてないや」なんて思い出したのが最後で。
それで、ぷつんと意識が途切れた。
――――――――――――――――――――――――
「先月から続く結三市内連続不審死事件につきまして、本日また……」
中古で買ったテレビが、いつもの調子でそんな風なことをぼそぼそと呟いていた。
「あの兄ちゃんたち、最近来ねえなぁ」
バシンバシンと蕎麦を打つが、暑さにやられてこれ以上継続出来る気がしない。歳だろうか。
「このままじゃ潰れちまう」
妻の反対を押し切って退職金で立てた蕎麦屋だが、鳴かず飛ばずの状況が続いていた。あの二人組の学生は、久しぶりの客だったのだが。
「あんた!そんなこと言ったってやる事やるしかないんだよ!つべこべ言わず働きな!」
仕方なく手を動かす。妻にはもはや頭が上がらないのだ。
「きゃあ!」
「どうした!」
「蜘蛛がいるのよ!」
確かに、妻の手元に蜘蛛がいる。背中が赤いので、セアカゴケグモとかそういう奴だろう。毒蜘蛛だ。特に問題なく潰した。
「はあ、このくらい軽く潰せるようになってくれよ」
「やあねえ、こういうのの退治は益荒男の役目よ」
調子の良い妻だ。
「そういえば、この赤い蜘蛛で思い出したんだけど」
妻はクルクルと布巾を回している。
「うちの近くに古~い自販機があるのよね」
「それがどうしたってんだよ」
「ぼろい自販機ってえ、中に毒蜘蛛がいそうで怖くない?」
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