夕凪色音

 とてもとても広い、通常学校の十倍以上はあるであろうグラウンド、その真ん中。

 まだ慣れない特殊な隊服を身にまとった一人の少年が、緊張した面持ちで向かいに立つ人影を凝視ぎょうししていた。少年の年齢は十七、八ほど。どんな危機的状況におちいっても、思わず伸ばそうとした手を引っ込めてしまいそうなほど頼りない表情をしている。そのため、それなりに整った顔立ちが台無しになっているが、本人は気づいていない。

 対して、彼の視線の先には、二〇代後半と思われる凛とした顔立ちの女性が仁王立におうだちで腕を組み、たたずんでいる。こちらは、少年と同じようなつくりの隊服をまるで肌の一部のように自然と着こなしているうえ、その表情は引き締まっており油断も隙も感じ取れない。

 両者ともに少しも動かず、相手の出方をうかがっている。

 —―といっても、本当に窺っているのは少年のほうだけかもしれないが。

 何せこの女性には、隙が微塵みじんも見られないのだ。で、ありながら堂々と胸を張って腕を組んでいるのだから、少年に対する余裕が見て取れた。

 対する少年は、緊張した面持ちの頭の中では、様々な考えが渦を巻いて駐屯ちゅうとんしていた。自分の出方や相手の出方。それに対応する自分の動き方と、それでさらに来る相手の反撃の予想。それらの考えの所為せいで、彼は始めの合図があってから、十分も動けずにいた。

 つまるところこの少年は、先のことを余計なことまで考えすぎて、なかなか行動に移せない「優柔不断タイプ」なのであった。

 隙が無く、堂々と少年を睥睨へいげいする女性。

 無い隙を窺いながら、一歩も動けず固まっている少年。

 二人の間には、瞭然りょうぜんとした実力の差があった。経験値の差で言うなら、少年が女性に追いつくのは遥か未来の話。

 そうして沈黙の時間は過ぎていく。

 「……まだか?」

 女性の方がしびれを切らして、呆れたように尋ねた。同時に少しかしげた首の後ろでは、ポニーテールの黒髪の先が揺れた。その声はやや低く中声的で、少し威圧的でもあった。

 今にそう言われる、と半ば予想していた少年の肩がびくっと跳ねた。

 「私は君から仕掛けてくるのを待っているんだが」

 再びその低い声に言われた少年は、心の中で帰りたくなった。とはいえ、ここ以外に帰る場所もないので、もう一度、目の前の女性を見据みすえる。


 少年の名は、日野ひの琉也りゅうや。つい数日前まで少しの間だが孤児だった、十七歳の新人。

 相対するは、琉也の所属する〝特殊隊とくしゅたい〟にて、古株でありながら〈六大強者ろくだいきょうしゃ〉の次に強い——……簡単に言うならば、約五〇〇人いる異能隊員のうち六番目に強い〝数字隊長すうじたいちょう〟の中崎なかさきみなと

 ちなみに琉也の強さは、どちらかというと下から数えたほうがはやい。

 と、その時。

 様々な迷いや考えを振り払い、覚悟を決めた琉也が、中崎へと突進していった。中崎は「ようやくか」とひとち、正面から琉也を―—……。

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夕凪色音 @B30D32A02

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