【SF小説】 ぷるぷるパンク 第15話 銀の卵

●2036/ 06/ 21/ 21:17/ AG-0 ポイントP3


 PFC溶液の金木犀の香りに包まれたポイントP3は、左右に延々と続くチューブ状の直線通路の途中にあった。

 足元から天井に至るカーブ状の壁面は、PFCスーツと同じように継ぎ目がなくて、明るくてさらさらしていた。この真っ白な静寂の空間が、いつもの夢を思い起こさせる。

「ここってさ、幻覚マーヤーの時にいるところみたいじゃない?」ぼくが言うとノースが頷いた。

「でもさ、昨日のマンダラとか、そうじゃないのも最近あるね。」

 ノースの言葉にぼくは「確かに」と言って頷いた。


「さっちゃんの武器はなんだろう?」サウスがノースの素粒子砲ヴァジュラを構えてはしゃいでいる。平泉寺さんとサウスが見たという曼荼羅の光は、強すぎて平泉寺さんの工場では物質化できなかったのだ。

 そしてぼくには平泉寺さんの曼荼羅が見えなかった。多分プロトタイプだからだと平泉寺さんが慰めてくれた。悔しいけれど、今はできることをやるしかない。


 平泉寺さんが視界のヴィジョンに3Dマップを表示する。ぼくらは最上階を目指し、とりあえずポイントP6で非常階段に入ることにした。エレベーターまでの通路に人影が見えたからだ。


 四人は現在P6地点、地下8階の通路にいる。

 実際のプロセスとしては後回しだったカプセル群が、途中地下6階にあることから、ぼくはまずそこに寄ることを提案した。ありがたいことに、誰も反対しなかった。


 階段に入ると、ぼくらはそれぞれ地面から少しだけ浮き上がって、クラゲのようにゆらゆらと階段の空間を上がっていった。途中双子がふざけて大袈裟に揺れて、体をぶつけてきたりしながら、ぼくらはプールからずっと続く穏やかな気分を満喫していた。


 地下6階に辿り着き、明るい壁面に隠された扉を開けると、そこに広がる空間は、まるでSF映画で故郷(地球)を捨て、あふれる希望と共に新しい惑星系を探す宇宙船の内部のような、壮大な吹き抜けで、各階に動き回る多くの人を見ることができた。


「かっこいいー。」サウスが感嘆の声を上げた。

「さっちゃん。」ノースがサウスを呼び止める。「写真。」

「あ、いいね! SNSであげようぜ。」サウスが指を立ててピースサインを作る。

ノースが、サウスに近づいて、人差し指で、ヘルメットをこつんとした。「さっちゃん、言葉遣い。」


「もうアカウント消しちゃったじゃん。はい、撮るよーフロマージュ。」ノースが立ち止まって画像をヴィジョンに保存する。すぐに共有されたのは、真っ白で壮大な空間にぽつんと佇む、誰かわからない白金色のアートマンが誇らしげにヴァジュラを抱えピースをしている画像だった。


 この写真を見て、懐かしいと思う日が来るのだろうか。いや、そうじゃない。ぼくらはその日をぼくらの手でもぎ取りに行くんだ。

 そう思うと、気が引き締まる。


「行こう!」


 外周に沿って何本もの巨大な柱がそびえ立ち、中央には何本もの長い長いエスカレーターが上に向かって伸びてフロア同士を繋いでいる。さながら大動脈といったところか。白衣を着たRTAの研究者たちが、忙しそうに往来している。


 ぼくらはエスカレーターや柱の影に隠れながら、白い壁に沿って歩き、エスカレーターの裏手にあるカプセル群に向かった。白衣の研究者が時折電動カートに乗って、壁から突然出現したりするから、ぼくらは何本もある太い柱の影に身を潜めて、それをやり過ごした。

 PFCスーツの生身で行動していたここ数日間を思うと、アートマンを纏って動けるのは相当に気が楽だった。ヴィジョンを通じて外側に声を漏らさずに話すこともできたが、その後、誰も口を開かなかったのは、きっとみんなも気が引き締まったのだろう。平泉寺さんは基本、静かだ。


 ポイントT9。ノースがマスクを上げ、網膜でチェックインすると、継ぎ目のない壁の扉が上下に開いた。


 そこには、これまでとは一転して薄暗い洞窟のような陰気な空間が広がっていた。 

 見渡す限りの視界の中に無数のカプセルが乱立している。まるで不気味な墓所のようだ。


 ぼくはカプセルに近づいてその中を覗き込んでみた。湾曲したガラスの中にはその一つ一つにPFCスーツを着た人間が、目を閉じてPFC溶液の中に浮かび静かに呼吸をしていた。カプセルの内側に光る微かな緑のLEDライトにぼうっと照らされた彼らは、まるで自ら発光する死者のようで不気味だった。


 この中に大野琴がいるのだろうか。ぼくは固唾を飲み込んだ。


 平泉寺さんがヴィジョン上のマップでエリアを四等分し、それぞれが自分の担当エリアへ向けて歩き出した。ぼくの担当はエリアD、カプセルナンバー76から100。


卍[カプセルに貼ってあるQRコードを読むと、その人物の情報が出ると思う]

N[了解]

S[おっけー]

9[了解です]


 暗いカプセルの墓場を歩き回り、微かに光る死者の群に囲まれて、不意に孤独に襲われた。同じ空間に、同じアートマンのヴィジョンで繋がる三人がいると分かっていても、ぼくは一人だった。

 大野琴と出会ったあの日から、ぼくはずっと一人だった。そんな事はないと分かっているのに、孤独が重くのしかかる。


 ネガティブな気分を逸らすために、時間をかけてカプセルを確認した。そのうちの20人程については、大野琴ではないのが分かっても興味でQRを読み込んでみた。ビジョンに名前が表示されるだけで、特に面白いことはなかった。

 ぼくの担当エリアには大野琴のような人物は見当たらない。そもそも、カプセルの半分以上は空だった。そしてエリアDの最後の二つ。まずは外国人の女性。確実に大野琴ではなかったが、ヴィジョン越しに引き込まれるようにQRを読み込むと、すぐに情報が表示された。


[Tierra Rei 2024.OCT.30 < ]


『ティエラ・レイ』


 少し気になることがあったぼくは、情報を日本語バージョンで読み込み直した。


れいティエラ 2024年10月30日 < ]


 やっぱり・・・。そんな予感がしていた。どことなく双子に似ている。

 体が熱くなり、心拍数が急激に上がったのが自分でもわかった。


N[クズリュウ?大野ちゃんいた?]

9[あ いや いない]

N[だいじょうぶ?]


 だいじょうぶかどうか? ぼくはどう答えればいいのだろう。


N[クズリュウ? 心拍数が上がってる だいじょうぶ?]


 ぼくは、だいじょうぶだと答えた。そして一番端にある最後の男性のQRをスキャンする。


れい木芽きのめ 2024年10月30日 < ]


 これは、確定でいいだろう。嶺夫妻、双子の両親だ。

 クリックすると詳細がわかるのだろうが、ぼくは恐怖で点滅する「<」(矢印)の先を開くことができなかった。

 平泉寺さんにDMで知らせるべきか迷ったが、それもできなかった。心拍数が下がらない。天井を見上げると、無数のケーブルが行き交い暗闇に浮かぶ未来の都市のようだった。上を向いたまま、ぼくは何度か深呼吸を繰り返す。


 打ち明けるべきか、打ち明けるならだれにどのように・・・。どんなに一生懸命考えたって何も決まらない。焦燥感だけが募る。

 ぼくが入り口付近に戻ると三人はすでに待機していた。


卍[とりあえず 最上階へ向かう]

 平泉寺さんとサウスが先陣を切って、この暗い空間を脱出した。


 立ち止まったままのノースから再びDMが来た。

N[クズリュウ? 怖いものでも見た?]

9[いや なんていうか 全部怖かった]

 ノースの優しさに、どう反応すればいいのか全く分からずに、ぼくは、ただ、悔しい。


N[手つないであげよっか?]

9[そうだね 帰りに手をつなごう]

N[そういうのフラグだから やめて]

9[ごめん]


 二人の会話をよそに平泉寺さんとサウスは次の目的地、最上階のドームへと向けて、すでに力強く歩き始めていた。

 ゆっくりと後を追うぼくの背中にノースが手を置いた。


 アーマーのプレート越しに、直接その温度は感じないけれど、ノースの体温を想像することができた。こうしていつもぼくを守ってくれるノースを、今は裏切っているような気がひどくした。彼女の優しさが真綿を撚った細くて鋭い系のようになってぼくの胸を締め付けた。


 あの空間に双子の両親がいた。

 なんだろう。何が起こっているのだろう。全く意味がわからない。


 突然ノースがぼくの腕を強く掴み、先を歩くぼくを引き留めた。

 立ち止まって振り返るとマスクをあげたノースがぼくを見ている。

 優しい眼差しだった。いつも吸い込まれそうになる深緑の瞳が、今はひどく遠くに見えた。

 ぼくはマスクを上げることができずに、再び前を向いて歩き出した。


N[ばか]


●2036/ 06/ 21/ 09:08/


  永平寺町管理区域内・川沿いの通り


 私の大冒険は終わった。すこやかによると、今日はおばさまの家に泊まって、荒鹿くんたちと私たちは、明朝に例のマーケットで合流するらしい。


 ノースは荒鹿くんが好きなんだろうな、と思う。

『あんなに綺麗な女の子に好かれる荒鹿くんは幸せ者だ。幼馴染み冥利につきるぜ。』なんて、あからさまな嘘を言葉にして、文字にして脳裏に流す。


 私たちを乗せた軽トラは、川を挟むように横たわる低い丘陵の合間を抜けるように走っていた。エメラルドグリーンの川面は、ノースの瞳の色だ。私の肩をぎゅっと力強く抱きしめたノースの腕を思い出す。荒鹿くんの熱い胸を思い出す。熱かったのは私の呼吸なんだけど。

 彼も私をぎゅっと抱きしめてくれた。どんなに遠くに離れようとしても、きらきら輝く地球ちきゅうがついてくる。誰も彼も、なんだかきらきらしやがって。


 思い起こせば、私は大野さんに焼きもちを焼いていたはずで、だから、鳴鹿ちゃんに弟が美女たちに囲まれてるって聞いても、それはあまり気になっていなかった。


 でも、でも、それにしてもノースは荒鹿ラブすぎるな。あの子はな。わかりやすすぎる。


 荒鹿くんは気づいているのかな。自己肯定感低いからどうだろ。でも、わかるか、流石に。それでもやっぱり大野さんなんだろうか。


 私は、自分が心底きらいになる。あの子たちは今、さっちゃんが言うように「世界を救う」ために頑張っている。恋愛なんて考えている暇はない。そんなこと、分かっているからこそ、私だってここまで来たのに。


 私はそんなことを考えながら、目の前をびゅうびゅうと過ぎていく風とエンジンの音に負けないように、過ぎていく川を、重なって流れる山の稜線を、この空気を、この夏を、この目に、そしてこの胸に焼き付けようとしていた。


 不意にすこやかが私の肩をぐらぐらと揺らした。

「小舟ぇ!」強風のなかで声を張り上げて私の名前を呼ぶ。最初は怖かったけど、今は可愛いこの地方の訛り。すこやかの大きな目は輝く地球の環を映し込んだみたいにきらきらしている。

「行きたいんやろ?」突然の質問に、真意が掴めないでいると、すこやかは繰り返した。

「荒鹿くんとこぉ!」


 私は思わず笑ってしまった。

「行きたい!」

 そうだ。私は大冒険をしてるんだ。すこやか、私たちも行こう。世界を救いに!


 車が信号で止まると、すこやかが私に耳打ちをした。

「あっこのガソリンスタンドでぇ、ガソリンを入れとる間にぃ、おばさま建物の中に行くんやってん。ほんときに逃げるで。」

 私はうんうんうんと前のめりで頷く。


「マホロらはぁ、今夜AG-0行くんやて。」一生懸命に小声で喋るすこやかが、いまはたくましく見える。って、彼は最初から私なんかより、ずっとたくましい。この奥越で生まれ育っているのだ。


「うらら(ぼくら)、AG-0の近くで夜まで潜伏せんといけんのだけど、ええね?」

 うんうんうん!

 私は、もっともっと前のめりで頷いた。


 うららも、世界を救いに行こう! (うららって可愛い。)


●2036/ 06/ 21/ 21:40/ AG-0 最上階


 ぼくらは暗く冷たい立方体の中にいた。道中に敵らしき存在は現れなかった。拍子抜けのまま、ぼくらは最上階にたどり着く。

 そこは真っ暗で何もない立方体の部屋だった。壮大な建物の外見や、これまで見ていたワイヤーフレームとはイメージが違っていた。こんなものだろうか。


 壁に触れながら歩いていたサウスが偶然見つけた網膜センサーが無ければ、ここが最上階のドームだと勘違いをしてしまうところだった。小さな電子音がなって網膜センサーがサウスの瞳のスキャンを終えると、浸透プールの底に到着した時のように、その部屋自体が分解され、6枚の正方形の板になって床面に収納された。


 ぼくらは目の前に突然開けた壮大なドーム状の空間の端に、ぽつんと立ち尽くしていた。

 その空間はぼくの想像を尋常じゃないほどに軽く超えて、高くて広かった。暗いドームの内部で、壁面に沿って整然と並ぶ何千本もの細いラインが、薄暗い空間を微かに照らしているが、まるで遠近感が掴めない。


 突然、空間自体が侵入者の存在を察知したかのように、整ったライン状の照明がその規則を崩し、ざわざわと繋がったり離れたりしながらランダムに動き始めた。それはまるで呼吸をする宇宙のようだった。

「すごい。」呼吸をするドームの天井を見渡しながらノースが感嘆の声を漏らす。ヴァジュラを抱える腕に力がこめられたのが分かる。

「有機ディスプレーみたいな感じだ。」僕も天井を見ながら言った。圧倒的に巨大なプラネタリウムみたいだ。

「あれだね。」

 サウスが静かにドームの中央を指差した。そこには平泉寺さんが言った通り、それが在った。特に装飾とかがあるわけではなく、それが在った。鎮座しているとか、仰々しくとかではなく、ただ、そこに、ふと存在していた。


「曼荼羅の特異点。」黒い立方体キューブを見つめて平泉寺さんが呟いた。

 平泉寺さんを先頭にしてぼくらはゆっくりと歩き出した。恐る恐る、しかし堂々と。

 立方体キューブから10メートルくらいの距離まで近づくと、彼女は振り返ってサウスを見て頷いた。 平泉寺さんを確認したサウスは頷くと、すぐにふわっと2メートル程の中空に浮き上がった。


 サウスが必殺技の金色の閃光を、立方体キューブに向けて打ち付ける。立方体キューブがそれを跳ね返し、ぼくを襲う。大野琴が現れる。それが最初の段取りだ。


 宙に浮いたサウスは一度両手を大きく広げると、両方の手のひらを胸の前で合わせ、技業わざの構えをした。サウスの手のひらの間から、その体を貫いて金色の地球環のようなリングがぱっと広がり、彼女を中心にゆっくりと回転し始めた。

 それに呼応するようにドームの壁面の光が、鼓動さながら速くそして雑に脈打ち始め、周辺の空気がぴりぴりとして、何かが焦げるような匂いが辺りに漂った。


 刹那、サウスの周りを回転する地球環がぶわっと崩れ、それを構成していた何億もの光の粒が、ものすごいスピードでサウスの周りを自由に動き回りはじめた。そして霧状の光の粒子がサウスの背中で翼のように広がった。

 その姿はまるで、圧倒的に宗教画。ZENを司る原始トゥルクの預言者のようだった。


 その翼が大きく羽ばたくように動くと、それを構成して動き回る金色の光の粒の集合が、銀河の星雲のようにランダムに集まりだして収縮し、サウスを包みこんだ。


 これがサウスの武器? 防具? とにかく新しい装備なのだろうか。


 ぼくらは・・・。いや、他の二人がどんな表情をしているのかは分からない。でもぼくは、ただ口を馬鹿みたいに開けて、それを見ていた。


 突如としてその翼を構成する光の塊から一瞬閃光が走り、それが落ち着くと大きく明るい銀河のように膨らみはじめた。

 ドームの空間中に充満する空気という空気から、見えない光の粒子を集めて膨らんでいた光の膨張が止まると、今度は逆にゆっくりと収縮を始め、密度を高めながらその明るさを眩いばかりに増幅させる。


 サウスを包む光の周辺の空間が歪み、その中にいるはずのサウスの姿は、眩すぎて見ることができない。

 光は極限まで密度を高めながら収縮し、サウスの体を包む一枚の光の層となった。その光はするりと一瞬で彼女の手のひらの間に収まると、ドームに闇が戻った。


 ぼくは気を取り直し、両腕を胸の前でクロスさせ、腰を低く構え、立方体キューブから跳ね返ってくるはずの衝撃に備えた。


「ゼンのコトワリ! ジョウコウ!」


 サウスの手のひらの間に集積した超高密度の光の塊から、一本の太い光の柱が弾けるようにバーストし、空間の中央に存在する黒い立方体キューブ『曼荼羅の特異点』に向けて真っ直ぐに打ち込まれた。


 その瞬間立方体キューブは、なんていうか、爆発するように、黒くてやわらかい光のチューブみたいなものを四方からぶちまけて、サウスの技業わざを相殺して飛び散った。その様は、まるで、アートマンのタコ、プラークリットのようにも見えた。

「タコ・・・。」頭上のサウスが力無く呟いたのが聞こえた。


 想定していない事態が起こっている。

 サウスの「会心の一撃」にも大野琴は出現せず、さらに立方体キューブはダメージを受けるどころか、意思を持つような動きを見せた。ついでに言うと、階下のカプセル群にも大野の実体は存在していなかった。


 ぼくたちは『大野琴ならびに曼荼羅奪還作戦』⑥以前の『大野琴合流』プランを全てスキップし、⑦『曼荼羅の停止』に移行するしかなくなった。


 結果はどうあれ、たどり着くのは⑧『その後のことは、その後のこと。』


 だけど、だけど・・・。

 大野琴ありきで立てられたプランが崩れ、これから起こることは全てが想定外になる。


 まじすか、平泉寺さん! 


「禅のことわり住劫じゅうこう。」


 目を閉じた平泉寺さんが顔の正面で手を合わせ両方の人差し指と親指でダイヤの形を作ると、瞬時に金色に光る半球が現れ、四人を繭のように覆った。繭の表面にはシャボン玉の泡のように光の粒々が有機的に流れていた。

 その半球状の光の繭はバリアとなって、黒い立方体キューブから飛び散った不気味な黒い光の雨にかんかんと打たれ、ダメージを吸収しながらその度に少しづつ小さくなった。


「ごめん、みんな! もろもろ想定外。フレキシブルにお願い!」平泉寺さんは、顔の正面に指で形作ったダイヤから視線を動かさずに、彼女らしくない大声を出した。


「おっけーーー!」双子が即答した。やっぱりみんな、場慣れしている。ぼくはと言えば、かなり冷や汗が出てきた。足を引っ張らないようにしなければ・・・。


 すぐにノースが構えたヴァジュラ砲にありったけの力を込め出した。

「はあああ!」彼女の腕を通して、眩い閃光のような金色の光がどくどくとヴァジュラに注入されている。PFC溶液に浸かったからか、サウスの身体からは金色の光が導き出されている。


「うおりゃあああああああああ!!!」

 ノースの周囲に薬莢のように細かい光を撒き散らすヴァジュラの砲身が、その銃口から閃光となった光の粒子の塊を、まるでマシンガンのように立方体キューブに向けて連射した。


 ヴァジュラ砲から打ち出された大量の閃光は、空間に破線状の放物線を描きながら立方体キューブに直撃を続けるも、弾き返され続ける。

 不意に黒い立方体キューブから、発せられたにゅるにゅるとした一本の太くて黒いチューブが、川を登る魚のようにヴァジュラが描く光の放物線を、物凄いスピードで逆流し光の繭に襲いかかる。

 黒いチューブは一瞬硬化して半球に突っ込むと、ぬるぬるした光の繭を纏わり付かせながら、ノースを殴りつけ、ヴァジュラもろとも彼女をまっすぐに繭の外へ吹っ飛ばした。


「ノース!」

 ほぼ同時に、サウスとぼくが叫んだ。

 黒いにゅるにゅるのチューブは物凄いスピードで立方体キューブに戻り、そして消滅した。ぼくは咄嗟に後方に飛んで、吹っ飛ばされたノースを両腕で抱き止める。

 にゅるにゅるが抜けていった部分の繭が有機的に修復され、穴の開いていた部分からは波紋が広がりたぷんたぷんとしていた。


「ノース。」ダメージを受けたノースはそれでも力を入れ、ぼくの腕の中から起きあがろうとする。

「クズ、リュウ。大丈夫だから。」肩を上下させて息を切らすノース。


「禅のことわり住劫じゅうこう那由多なゆた。」

 平泉寺さんが呟くと、光の繭はこれまでよりも一回り大きくなり、表面を有機的に動き回っていた光の粒が凍りついたように硬質化した。

「中からは撃てない! 外から撃ってすぐに中に戻って!」平泉寺さんが技業わざの構えを崩さずにぼくらを振り返って叫んだ。


 光の翼を広げたサウスが勢いをつけて飛び上がり、ドームの頭上で技業わざの構えを出す。


「ゼンのコトワリ・ジョウコウ。ナユタ!」

 那由多、それは、芦原さん曰く、通常の技業わざの10の60乗倍とも言われるほどの密度のを持った光の技業わざ。大野琴が腰越で使っていた、ブーストの技業わざだ。

 眩いく鋭い黄金の光柱がサウスの手のひらの間からバーストするとドームの壁面が呼応して、ぱっと眩く光った。光柱は真っ直ぐに立方体キューブを貫いた。


 貫いたかのように見えた。

 しかし、立方体キューブはびくともしないばかりか、光のほとんどを吸収してしまった。弾き飛ばされた残りの光は、動き回る小さな光の粒子に戻り、霧状に立方体キューブを覆い込んだ。


 霧はしばらく立方体キューブの周りに発生した渦状の気流に乗ってぐるぐると気味悪く回っていたが、次第に薄れだした。


「ダメだ。」頭上からサウスのがっかりしたような声が聞こえた。


「ダメじゃない!」ぼくは、思わず叫んでしまった。サウス、さっちゃん。ぼくらはみんなで・・・。

「さっちゃん! みんなで世界を救うんだ!」ぼくは拳を握りしめてもう一度叫んだ。

「はは、アラシカ! よく言った!」サウスのテンションが戻りほっとする。


 しかし、ぼくらはまだ立方体キューブにダメージを与えられていない。繭の中の三人は次の一手に向けて脳を猛スピードで回転させる。


 薄れだした霧の中に、黒いシルエットの人影がその輪郭をだんだんと顕在化させていた。


 え? 人影?


 半球の中の平泉寺さんは技の構えを解くと、拳を顔の前に構えて攻撃の姿勢を取った。同じようにぼくも拳を構え、ノースはじゅうじゅうと煙を吹き出すヴァジュラを腰の前に構えた。


 光の霧が消えてしまうと、立方体キューブがあった場所には、闇を10の60乗倍くらいに凝縮したような、巨大な漆黒のアートマンがそびえ立っていた。


 繭の高さの3倍はありそうな、漆黒のアーマーを纏った巨大なアートマンがそこにいた。

 足元の霧は晴れ、そびえ立つその姿はブラックホールに吸い込まれ密度を増す重力のようにその存在感を増大し、周囲の空間を歪ませている。

 漆黒のアートマンが、ゆっくりと、しかし重厚な挙動でその両手を広げようとしていた。

 圧倒的な存在感に、ぼくは恐怖とは違う感情を抱いていた。もしかしたら諦めに近いような感情だろうか。


 漆黒のアートマンが、ぼくの死をここに連れてきたのだ。諦めとも少し違う。どちらかというと、安らぎのような気さえする。大船の観音様に対して抱いたような感覚だ。もしかすると崇拝という感覚が近いのかもしれない。


 圧倒的な宗教的体験。これが信仰と言われる感覚なのだろうか。


「ブラフマン・・・。」その姿をただ見上げていた平泉寺さんが、輪郭のぼやけた力ない声で呟いた時、ドームを揺らすようなサウスの咆哮が響き渡った。


「ぐろあああああおおおおおおああああ!」


●2036/ 06/ 21/ 22:08/ AG-0 外周正面ゲート付近


 同じ頃、AG-0の正面ゲートを見下ろす茂みでは、その影に隠れた小舟とすこやかが、身を寄せ合って潜入のタイミングを見計らっていた。


 温い風が強く吹きつけ、低く垂れ込めた重い雨雲は、夜空の縁へりを速いスピードで押し流され、いやでも嵐を予感させる。千切れながらも徐々に増える雨雲は、染み込むように夜空を覆い尽くし、あっという間に星も地球環も覆い隠した。


 遠くで雷鳴がごろごろと低く響き、空気を震わす。時折光る稲妻に茂みの奥で身を隠す小舟とすこやかが身を縮めた。

 雷鳴に混じって獣の咆哮が、二人の耳をつんざいて響き渡った。小舟がすこやかを守るように抱きよせた。


「恐竜ぅ? 何やろ。」すこやかが囁くような小声で呟き、小舟を見上げる。

「恐竜渓谷ってそういうことなの? ほんとに恐竜がいちゃったりするわけ?」小舟がすこやかの目を覗き込んで聞いた。小舟の速まった鼓動がすこやかに伝わる。

「ほなこと無いんやけどのぉ、いっつもは。」すこやかは肩に掛かった小舟の腕を握りしめ、小舟を安心させるように言った。


 不意に、金属が破裂するようながしゃん! という大きな鈍い音がすると、AG-0、銀の卵の頂点が爆発したように弾け飛び、金色の光が空に刺さる太い槍のように吹き出した。風が止み、金色の光の粒が雨のようにぱらぱらと辺りに降り注いだ。それは小舟とすこやかにも降りかかった。それは優しく暖かいシャワーのようで、今まで感じたことがないような不思議な感覚だった。


 すこやかが、光の粒を手のひらに集めて小舟に見せようとしたその瞬間、突然、小舟がすっと立ち上がり、そのままゆっくりと歩き始めた。すこやかは彼女を見上げ、手を払って集めた光の粒を捨ててしまうと、そのすぐ後を追いかける。

「小舟ぇ?」呼びかけても小舟は止まらなかった。


 すこやかが小舟の前に回り込んでも、彼女は無表情のまま歩き続ける。

「ダメやて小舟ぇ!」小舟の正面に回ったすこやかが、彼女の両肩を一生懸命手で押さえる。アキレス腱を伸ばすような姿勢で頭を下げて、ものすごい強い力で前進しようとする小舟を止めようとしているが、どうしようもなく押し込まれてしまう。


「私は。」小舟の声に頭を上げるすこやか。一瞬小舟の顔がホログラムのバグのデジタルノイズのようにブレた。


「小舟ぇ!」すこやかが、小舟を押し留めるために小舟の体に抱きついた。

 小舟が足を止めて目を閉じた。すこやかが彼女の体から離れた。

 小舟がゆっくりと目を開く。彼女の瞳の中でノイズがざーと動き、瞬きをするたびに、少しづつブレてノイズのサイズや方向が変わる。小舟の体の色々な部分がノイズに侵食され始めている。


「小舟ぇ!」すこやかが叫んだ。「目ぇ覚まし!」


 小舟がもう一度目を閉じて、ゆっくりと開くと、瞳だけではなく、白目の部分までがノイズに侵されていた。そして彼女はゆっくりと口を開いた。

「私はここにいる。私はここにいる。」壊れたAIのように繰り返し、再び目を閉じた。彼女の体を覆うデジタルノイズが次第にその面積を広げている。


「小舟ぇ! 何言うてるん!?」すこやかが小舟の両腕を強く揺する。小舟はそれを無視して喋り続けていたが、小舟の声もすでにデジタルノイズに侵食され始めて、すでに何を言っているのか分からなくなっていた。

「・・・・・。」


「小舟ぇ! 何言うてるん!?」

 すこやかが小舟を掴む両手に力を入れて抱き寄せようとした刹那、小舟の全身が大きくぶれ、その全部がデジタルノイズに変わり、消失した。


 力の入ったすこやかの両手が宙を強く掴むと、すこやかはバランスを崩して転んでしまった。その拍子に彼の手の中に現れたプラークリットが光に変わり、すこやかは光のアーマーに覆われたまま気を失った。

 アートマンになったすこやかは、しかしそれに気が付くことなく、アーマーはすぐに光の中に消えてしまった。




 つづく

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