【SF小説】 ぷるぷるパンク 第2話 変身
●2036 /06 /06 /17:26/大船
ベッドにうずくまり、薄い夏用のブランケットの中で死んだように眠る
昨夜の閃光事件が夢の中でフラッシュバックする。
途切れ途切れの記憶の断片が、ライトアップされた巨大な観音像と混ざり合い、遠近感覚と平衡感覚がぐちゃぐちゃに崩壊、その空間を落下し続ける自分が、何かに引っかかったように突然止まる。右耳を何かに引っ張られ、おかしなバランスで浮いていると、ぼくを見上げるセーラー服の黒髪の少女と目が合った。少女は静かに、その口を開く。
「くず。」
目をばっと見開き、何かが突然途切れるように目が覚めた。体中が汗でびしょびしょだった。頭を掻きむしりながらもう片方の手で枕元の眼鏡に手を伸ばす。蒸し暑い夕方の部屋は、すでにゆっくりと暗くなり始めていた。
眼鏡がないことに気が付き、ベッドの周りに手を伸ばし、ばたばたと確認する。風邪の引き始め、熱の出始めのような重たい体を無理やり引っ張り上げるように起き上がると、ぼくはベッドの端に腰をおろした。
「なんだよ、くずって。」
「うわっ」
ぼくは自分が全裸で寝ていたことに気がつき、慌ててブランケットをかぶり直した。ついでにそのブランケットで全身の汗を拭う。
どうにか昨夜のことを思い出そうとしても、光の中の黒髪の女の子のことばかり思い出される。いや、実際は閃光のこともパトカーのことも覚えている。しかし、家に戻った前後がどうにも思い出せない。
そして、なぜ全裸?
いや、どうやって帰って来た? 色々と記憶が飛んでいる。そして、取り急ぎ、眼鏡もない・・・。
「あれ〜、違う眼鏡じゃん。かっこいいよ、きんぶち〜」
居間のソファーにだらしなく寝っ転がり、缶ビール的なものを飲んでいる姉ちゃんが、部屋から出てきたぼくを目で追いながら言った。モニターには今もまだ昨日の空港の件が映っている。
「あ、大船のやつ、なんかやってる?」ぼくは昨晩のことを思い出そうと、頭をどうにか回しながら姉ちゃんに聞いた。
「おおふな〜?」姉ちゃんは、すでに酔っ払っている。ぼくが苦手な感じの姉ちゃんだ。だけど報道が気になるから我慢する。
「昨日、パトカーとかいっぱい来てたの、知ってる? 観音様の方」
姉ちゃんとぼくの暮らしは、線路を挟んで観音様と逆の側に集中しているから、姉ちゃんが昨日の閃光を知らなくても無理はない。
「あ〜、なんかお客さんが言ってたかも。閃光とか〜?」
ぼくは安堵に胸を撫で下ろす。幻じゃない。やっぱり、実際に起こっていた。
「そう。災チャでやってる空港の閃光っぽいの、大船にも来たよ」誰に報告する訳でもなく、ぼくはただ独り言のように呟いた。
「え〜、やばいじゃん、で、どうなったの?」姉ちゃんは、モニターから目を離さずに言った。
で、どうなったかと言うと・・・。
閃光が怖くて逃げ出したぼくがたどり着いた観音様の参道に、四つ目の閃光が現れて、その中からセーラー服を着た黒髪の女の子が現れて、そいつに『くず』って言われたんだよね、とか、口が裂けても言いたくない。
「でかけてくる。」と言って玄関に向かうと、姉ちゃんが突然ふらっと立ち上がった。
「ねえ、今日はちゃんと遅くなる前に帰ってよ。遅くなるなら、私のお店にきて。で、一緒に帰るから、いい?」
姉が近づいてきて、倒れ込むように抱きついてきた。この酔っ払いめ。
「昨日、帰っても部屋にいなかったから、心配したんだよ。」
ぼくの胸に顔を埋めた姉ちゃんが泣いたふりなんかをするから気が散るが、そう・・・。昨日は多分色々あって、今まさにそれを思い出そうとしている訳で・・・。
ぼくは、姉ちゃんの頭をぽんぽんと軽く叩いて、自分の体から引き剥がす。
姉ちゃんが、わざとらしく大きい胸を当ててくる。柔らかくて嫌なんだよな、家族のこういうの。
「昨日、お金、ありがとう。」
頭ぽんぽんと感謝で贈る必殺の少女漫画コンボで姉ちゃんを交わし、急いでマンションを離れた。
と言っても、行き先があるわけではないから、スケートボードのサマージ似の店員さんに会いにヒュッテに行ってみよう。彼女はいるだろうか、いないだろうな。
雨季の合間の夕暮れ時は、なんだかいつも感傷的だ。
子供の頃は梅雨と言って雨季は短かったものだけど、ここ10年くらいは、5月の終わりから9月まで、長い雨季が夏のイメージだ。季節は、変わる。
やっぱりあの女の子はいなかった。ぼくはくしゃくしゃのドル札をカウンターの中にいるおっさんに手渡して、水出しのアイスコーヒーを受け取ると、ため息をついて外のベンチに座った。
そして、道向かいの花屋に咲く薄い青紫の紫陽花の花の塊や大きい葉っぱの重なりが、弱い風に揺れるのを眺めた。
それにしても、『くず』って・・・。
いや、正直に言えば、『くず』って言われたことがショックだったかっていうと、そんな訳でもない。それよりも、あの美少女。あの美少女の存在こそがショックだった。
正直に言えば、めっちゃタイプ。あの子は何者なんだろう。
その子を思い出そうとすると、漏れなく付いてくるのがあのセリフ。
『くず・・・。』
「くずりゅうあらしか。」
ぼくが顔を上げると、そこには幼馴染みの
立っていたと言っても、座っているぼくと目線の高さにそんなに差はない。背の低い女子で、系で言えば萌え系、細くて柔らかい髪が自然にくりくりとしていて、犬みたいで非常に可愛らしい。
だけど、実際は芯の強い女子だ。まあ、イコールめんどくさい系の女子ってことでもある。いじめられっ子とか弱者の
「何してるの?」小動物みたいな黒目がちな瞳で見つめられると、言われもなく責められてるみたいで、ほんのりと居心地が悪い。
「
「荒鹿くん。」彼女はまっすぐにぼくを見下ろしている。高低差はほとんどないけどね。
「座れば?」と言うと、彼女はぼくの隣に腰を下ろし、ぼくはようやく彼女の黒目から解放された。
「学校行ってないって聞いたよ。」
うん。それは確かに事実ではあるけど、あんまり今は、それについて話したい気分ではない。
ぼくの隣に座りながら、小舟はスマートフォンでコーヒーを注文した。
「天気いいね。」ぼくは、学校のことから会話を逸らす。
「うん。」まったく興味なさそうに頷く小舟。注文を終えると、彼女の黒目が責めるように再びぼくに向いた。彼女にそんな気がないのはわかっていても居心地が悪い。
「何してるの? 大船で」目を合わさないようにしてぼくは言った。実際小舟は、大船なんかで何をしている? 小舟はぼくの姉ちゃんですか?
彼女はぼくよりは姉ちゃんと仲が良かったから、ぼくを弟みたいな感じで扱うのだ。彼女よりぼくが背の低い頃からお互いを知っているだけに、余計にそうなりがちである。
彼女はその強すぎる母性本能を発揮して、ぼくを見張っているんじゃないかとさえ思うことがある。
「夏休みの予備校決めなきゃいけなくて。」彼女は全く他意なさそうにそう言った。そう言うことならそうなのだろう。
だけど、やっぱり落ち着かない。小舟くらい賢くても予備校にいかなきゃいけないのか、と思うと同時に、本当はぼくを偵察するために予備校を言い訳に、なんて思ってしまう。
「鳴鹿ちゃんのとこ受けるからさ。」
ああ、そうだった。やっぱり他意はない。小舟は姉ちゃんのことが好きなんだ。ところで、ぼくは姉ちゃんを一番間近で見てて思うんだけど・・・、
「姉ちゃん多分、来年も大学にいるよ」
だがしかし、ぼくの九頭竜鳴鹿留年予想は、ストレートには小舟に伝わらない。
「え? ほんと? 院?」小舟は目を輝かせて言った。
「え、ちがうでしょ。」そんな訳はない。あの姉ちゃんから大学院なんて言葉、並行世界に行ったって出てくる訳がない。
「わけわかんない。鳴鹿ちゃん、四年生じゃん」
不貞腐れる小舟は姉ちゃんのいいところしか知らないのだ。小舟に見せてやりたいぜ。見事なまでに退廃的なあの女を。
30年代のちゃんとした若者が、今ではすっかり90年代のような、まるで世紀末の若者みたいな雰囲気を醸し出している。
ドアにかけられたチャイム代わりの竹細工がからんと乾いた音をたて、おっさん店長が店から出てきて小舟にコーヒーを渡す。
「同じ大学いきたいな」小舟はどこを見るともなく言った。
「行けるよ。姉ちゃんが行けるぐらいだから。」小舟ならいけるでしょう。絶対うちの姉なんかよりも優秀だから。ぼくがそう言うと、小舟はがっくりとわざとらしく首を下げる。
「違うよー。荒鹿くんとだよ。」色んな意味で、空気が凍る。
「ははは。無理無理。」その理由は、学力だけじゃない。到底無理。世界が違う。今となっては変わってしまったが、姉ちゃんだってあの学校に行き始めた頃は、両親から、みんなから、世の中から必要とされ、期待されていたのだ。
ぼくなんかが行こうとする学校ではない。考えるだけでもおこがましい。
「荒鹿くんと違うとこなら大学なんてつまんないよ」今度は突然空を見上げる小舟。
「私、鳴鹿ちゃんのところじゃなくてもいいよ。」小舟は真剣な表情でぼくの方に向き直った。ぼくは、それがわかっているから視線を紫陽花から逸らさない。
「いや、それはないね。」それはない。それは断言できる。
いつも小舟には友達がいっぱいいて、頭が良くて優等生で、部活だってがんばってる。水泳でインターハイとかに出るとかなんとかって、姉ちゃんから聞いている。小舟は至極ちゃんとした人間だ。
どこにいたって、誰といたって、いつだってみんなの中心にいる小舟。ぼくがいたって、いなくたって、小舟は小舟。
「だって、ほんとだよ」拗ねるように言った小舟とぼくの間に、気まずい空気が流れる。
「空港の。」
昨今誰もが話題にしているテロ事件。小舟もそれを口にした。
「怖いね。」と呟く彼女の黒目を再び避けるように、ぼくは黙って頷いた。
「荒鹿くん」彼女の大きな黒目は、逃げ出したいぼくの視線を捕まえて、ぐいぐいと割り込んでくる。
「サマージとか、違うよね・・・?」
そう、笑えばいい。小舟だってぼくのことを笑えばいい。ぼくは、ただのつまらない男。
世の中に必要とされず、世の中どころか誰からも必要とされず、未来も過去も、何もかも背負っていない、ただのつまらない高校生。「つまらない物ですが。」みたいな、つまらなさ。
誰もぼくになんか興味を持たない、ただのクズ眼鏡。
学校や部活だって何もない、それどころか、何かを背負って戦っているサマージと勘違いされるだなんて、大変おこがましい。そう思いながら脳裏に浮かぶのは、あのスケートボードの女の子。
ぼくは不戦敗の高校生。いや、そしてご存知の通り、実際は高校生とも言い切れない。
『違うよ』って言えばいいだけなのにわざわざ返事を遅らせて、小舟に対して偽りの奥行きを持たせているのは何故だろう。自問自答。
ぼくの唯一の深みである「つまらない人間」であることに対する「つまらない悩み」を小舟に知ってもらいたいのだろうか。しかし、そんなことではない、結局ちゃんとした理由なんて何もないのだ。
「・・・違うよ。」ぼくの返事を待っていた小舟は、ぼくの声に被せるように「よかった」と即答した。
「あのね、鳴鹿ちゃんにも会いたいな。」真剣な表情タイムは終わって、小舟に柔らかい笑顔が戻っていた。
「ああ、姉ちゃんも小舟に会いたいんじゃない?」
「今度、おうち、行くね? じゃあね」歩き出した小舟は、四つ角で振り向きざまに手を振ると、微笑みを残してバスターミナルへ向かう道を駆けていった。
小舟が見えなくなると、ぼくはぼんやりと振っていた右手を下ろし、ぼんやりと歩き出す。大船の駅の雑踏を抜け、再び観音様に向かった。
歩道橋から見下ろすと、昨日閃光が見えた場所にはちゃんと黄色い規制テープが貼ってあった。
やっぱりあれは、実際にあったことなのだ。歩道橋を降りて、昨日は逃げ出して近づけなかった方向に近づいてみると、川縁のコンクリートは、アイスクリームディッシャーでくるってやったみたいに抉られて、そこには球状の空間ができていた。
突如、強烈なフラッシュバックがぼくを襲う。
閃光/観音様/黒髪の美少女/そして黒い蛸。
ぼくは咄嗟に両方の手でパンツのポケットをまさぐる。そう、分かっている。蛸なんてあるわけはない。何故って、昨日着ていた服や眼鏡は無くなった。そして当たり前のようにパンツのポケットに黒い蛸は入っていなかった。
あの、黒い蛸。そう、蛸・・・!
ポケットから出した空っぽの手のひらを揃えてみても、やっぱり、そこには何もない。昨日蛸を握り潰した左手に、ほんのりと他人の体温のような熱を感じるだけだ。左手の指の筋をすべてぴんと伸ばして開いてみた。
ぷるん。
手のひらに白い光の粒がぱらぱらと銀河みたいに集まって・・・。
え? 手のひらに、蛸が、出てきた・・・。
え? えーーー!?
その瞬間、記憶のダムが決壊した。
●2036 /06 /05 /23:06/大船(昨夜の記憶)
白く光るプレート状のアーマーのようなものに包まれて、何かに変身した荒鹿。観音様の参道から、路地向こうの大通りに走り出す、とりあえず、走る!
高さだいたい5メートル、長さだいたい10メートルの大ジャンプを何度か繰り返し、荒鹿は川沿いのパトカーの集まりに合流した。そこには観音様を背景にして、パトカーや消防・救急車両の赤色灯が作りだす夜が血のように赤く染まり、毒々しく広がっていた。
警官たちは突然現れた荒鹿に銃を向ける。荒鹿が一歩前進すると、さらにもう何人かの警官が荒鹿に銃を向けた。
彼らは口を開けて大声で叫んだ。しかし、その声はサイレンにかき消されて聞こえない。
すぐに彼らのうちの何人かが実際に荒鹿に向けて、実弾を発砲した。水蒸気のような小さな煙をあげてアーマーが銃弾を弾いた。ノーダメージ。かすり傷すらついていない。
荒鹿は咄嗟に両手を上げ「違います、他人です」というが、この状況において、そのセリフの信憑性はゼロだ。警官たちは、銃を構えて固まったまま荒鹿を見つめている。
その瞬間、川の中から閃光が走り、間欠泉のような太い水の柱が上がった。その勢いに紛れて人間のような形をした影が、視界の中で急激に川の底から飛び上がった。その影は頭上でぐるっと回転し突然勢いをつけると、吹き上がった川の水が落ちてくるよりも前に、空気を切る音とともに高速で落下、一台のパトカーの屋根に着地した。
ぶほん、ぐしゃん、そんな音がして、パトカーが盛大にぶっ潰れた。
荒鹿と同じ白く光るアーマーを纏ったその人間型の何かは、パトカーの残骸の中にすっと立ち上がった。
その人間型の何かが、首の動きで荒鹿に何かしら合図を送って見せたが、荒鹿には全く伝わらない。
「離れてください!」荒鹿は警官たちに向けて叫んだ。
次の瞬間、荒鹿はアーマー人間に向かって大ジャンプ。しかし、うまく調節ができずに突っ込んでしまった拍子に、そいつを押し倒した。(ラッキー! そして、とりあえず、タコ殴りだ。蛸だけに! あたたたたあ!)
咄嗟のことに、アーマー人間は荒鹿のタコ殴りを防御することができずに、殴られるがまま。
(このアーマー野郎の見た目は、ぼくとほとんど同じ。こいつはぼくを仲間だと思ったかもしれない。油断。)
荒鹿は、しかし、そんなことはお構いなしに殴り続けた。
荒鹿は思った。
(必殺技がいるぞ。『ローリングサンダー』とか、『水の呼吸・壱の型・水面斬り』とか、そういうやつ。でも今日は間に合わない!)
とりあえず手を高く引き振りかぶって、溜めのポーズを取る。
(必殺技! 最終奥義だ!)なんて考えていた瞬間、さっきまでのタコ殴りが効いたのか、しゅううと空気の抜けるような音がして、アーマー人間を覆うアーマーが空気の中に溶けるように消え去り、荒鹿の拳が行く宛もなく宙に留まった。そこには一人の男が裸で横たわっていた。
生まれたままの姿に戻った、というのが正しいか。しかし、肩に大きな地球環を模したようなタトゥーがあるから、生まれたままとうい訳でもない。
「え?」
最初は訳がわからず、ただ、様子を見ていた警官たちだったが、すぐに気を取り直すと、動かないでいる全裸の男に飛びついて取り押さえた。何人かの警官や消防士は、突っ立ったまま驚いた表情で荒鹿を見つめている。
「サマージです。こいつサマージです。指紋で照合取れました!」若い警官が叫んでいる。
全裸の男はぐったりしたまま、パトカーに引きずり込まれた。
「き、君、話をきかせてくれ。」上官っぽい警官が荒鹿に駆け寄り、声を掛ける。
「すいません、行くとこあるんで!」叫ぶように言い捨てて、荒鹿はその場で思い切り跳び上がった。
さっきのアーマーと荒鹿のアーマーがはほとんど同じような見た目だった。警察が荒鹿をサマージと疑わないとは限らない。荒鹿は頭上を見上げる警官たちにちらっと視線をやり、逃げるように慌てて観音様の元に戻った。
「すげえ。」
実際すげえ。荒鹿はそう思った。
(そうだ、このまま姉ちゃんに会いに行こう。これなら、姉ちゃんを安心させられる。誰がどう見たって、今のぼくは正義の味方だ。)
「もう、おれはもう、クズ眼鏡なんかじゃない!」
観音様の真下の東屋で、荒鹿は自分が纏っているアーマーを隅々まで確かめる。
(これはかっこいい。)パトカーのサイレンが止むまでの何時間も、荒鹿は飽きずにアーマーを眺め続けた。
音が消えると荒鹿はアーマーを纏ったままの格好で人気のない大船駅まで戻った。改札ゲートの横を小走りで繁華街に向けて抜ける。
改札口の正面を通り過ぎたあたりで突然全身に悪寒が襲った。武者震いのような肩首の震えとともに突然アーマーが消えた荒鹿は、どう考えても全裸だったから、とりあえず家まで走った。何も考えずに走った。とりあえず全裸で走った。
●2036 /06 /06 /19:31/大船(今夜)
「なるほど」
この蛸を使って変身ができることがわかった。なんか知らないけど、すげえ。
蛸を握り潰そうとすると、熱を帯びた蛸が手のひらから体の中に入って、その代わりに出てくる白い光の粒々が手のひらに集まり銀河になって破裂する。その光が全身に行き渡ると、背中の方から体を覆うプレートが出てきてアーマーになる。そういうわけだ。
ってことは!
これは行ける。川崎だ。サマージだ。YouTubeでもみんなが言っている。小舟だって、姉ちゃんだって、そして警官たちも誰もがみんな口にしている。
サマージが、今、熱い!
川崎に行けば、スケートボードのあの子はいるだろうか。今のぼくなら、胸を張って会える。姉にだって、小舟にだって、そしてあの子にだって。
ぼくは観音様のこの力を使って、彼女をテロ組織から救い出す。今のぼくになら、それができるはずだ。それに実際、サマージは一体撃破済み。
テロ組織に所属せざるを得なかった彼女の人生の背景はわからないけれど、踊るようにスケートボードに乗っていた彼女の笑顔は、誰かが守らなきゃいけない。
その誰かが、何故かはわからないけど、今はぼくなんだ。
「君をサマージから救い出して見せる!」観音様がくれたチャンスに違いない。
馬鹿みたいに
ぼくは、蛸を握りしめる。手のひらの中で蛸が熱くなる。
そう、この感触。全身を貫く白い閃光が走り、ぼくの体を包み込む。
「うわ、しかも飛べる!」ジャンプだけじゃねえ。
不安定ながらも、体がふわっと宙に浮いた。
「飛べる! いくぜ川崎!」
電柱のちょっと上くらいの高さを比較的ゆっくりと飛ぶ。
スピードが出過ぎないように踵に力を入れて、ブレーキをかける感じだ。つま先の方に力を入れて足をピンと張ろうとすると、急にスピードが出て怖い。
両手はとりあえず、受け身が取れるように腰あたりで、手のひらを地面に向けておく。飛ぶ高さはジャンプで届くくらいまで。だいたい5メートルくらいか。着地で勢いがついちゃって、昨日のパトカーの人みたいに地面に激突したりしそうなのも不安だった。
この恐怖感は、経験を積まないと克服できない気がする。今日はまず、これを練習してみよう。飛行訓練。何事も、練習。アニメでいう修行回。クライマックスはまだ先で大丈夫。
そんな感じで飛び方をめちゃくちゃ意識しながら練習していると、視界の隅で閃光が走った。来たな、サマージ。
閃光に向けて、ブレーキをかけるように右足で空気を蹴って、どうにか方向を変える。ブレーキで切り裂かれた空気が隙間風のような音を立てる。一瞬安定を失って、高度が下がり、お尻の辺りがひゅっとする。そのまま、踵で小刻みに空気を押さえるように蹴ってスピードを殺してなんとか着地。ぼくは閃光が見えた方向に振り返った。
その方向には、やはり、アーマーがいた。そいつはぼくの姿を認めると、昨日の人みたいに首で何かしらの合図を送ってきた。
「いざ!」
ぼくは勢いをつけて飛び上がり、昨日やったように、そいつをの正面に着地した。今回は成功。それから、そいつをタコ殴りにした。
「あたたたたたたたたあ!」
張り合いがまるでないまま、そいつの変身が解けアーマーが空気に消え去ると、そこには全裸の少年が横たわっていた。
「おれはサマージのアジトを探している。死にたくなかったら位置情報をよこせ」
格好をつけてそう言ったところで、少年は起き上がらない。よく見ればまだ子どもだ。中学生にもなってないかもしれない。こんな子どもが? 他にも子どもがいるのだろうか。スケートボードの彼女だって、言っても同年代。サマージは未成年を拐っているとかなのだろうか。
サマージへの疑念が深まる。ぼくは改めて、そして一層強く思う。
「おれが守る!」
地面に突っ伏して寝ている少年があまりにも全裸のままなので、その辺にあったボロ布をかけて、ぼくは彼が目を覚ますのを待った。
自販機で炭酸水を買うかどうか迷ったけど、このアーマーにはポケットもなければ、ポケットに入っていたはずの小銭もない。それに少年だっていつ目を覚ますのかもわからない。ぼくはとりあえず動かずその場に座り込んでじっと待った。
10分くらいすると彼は目を覚まして、びっくりしたようにぼくを見あげると、怖気づきながらも口を開いた。
「あんた、サマージじゃないの?」
少年はボロ布を肩まで引き上げながら、怪訝そうな表情をぼくに向けている。
「え、サマージだよ?」ぼくは咄嗟に嘘をついた。
「嘘だ、合図が伝わんなかった。」少年は、ぼくを見下すような視線で訝しがっている。
「いや、じゃあ、サマージに入ろっかなって。」ぼくは嘘を重ねる。
「あんた中国人?」
「え?」そういえば、確かに彼の日本語には独特の訛りがあるような気がする。
「日本人なら入れないよ。」
「え、そうなの?」どういうことだろう、ぼくは考えてみる。難民の子どもたちだろうか。
「え、違うの?」少年もよくわかっていない?
何が何だかわからない。なんか急に色々なことが面倒になってしまった。
「きみ、悪いことするなよ、とりあえず。」
そう言い残すと、ぼくはロングジャンプをかまして、その場から立ち去った。
これで分かったのは、タコ殴りでアーマーは消えるということ。でも、あいつがまだ変身できる蛸を持っているなら、ちゃんと倒したことにはならないのではないだろうか。
(だって、蛸、手のひらから、出てきちゃう。なんか、念じる感じを醸し出すと、蛸、出てきちゃう。)
ぼくは中空を移動しながら首を捻った。
●2036 /06 /06 /23:09 /川崎
すっかり夜も深くなり始めていた。人気のない森林公園で、飛行の練習を続けていたが、そろそろ飽きてしまった。(なんとなく、思うように動けるようになってきたし、もういっちょ行ってみるか)、ぼくはとりあえず川崎を目指す。
人目を避け、しばらく住宅街を北上していると、眼下の大通りに閃光と共に暴れ回る恰幅のいいアーマーが見えた。
さあ、次の相手だ。慣れてきた飛行状態からそいつの前に急降下、正義の味方らしい登場シーンだ。
ぼくは素早く前後左右を確認する。オーディエンスはいないか・・・。しかし、そのアーマーの周りには、見るも無惨な光景が広がっていた。
あちこちに落ちている人間の頭や体の一部が綺麗に切りとられて、断面から鮮血が未だに吹き出し続けている。今さっき、上から見えた閃光の犠牲者だろうか。ぼくは無意識に身震いをしていた。
その刹那、少し距離を保った場所にいたはずのアーマーが、一瞬でぼくの目の前にまで距離を詰め、力を貯めたアッパーでみぞおちを殴りあげた。ぐへええ。息が止まる。
そして男の拳から衝撃波がぶわっと広がり、ぼくはその衝撃にのけぞったままの格好で、数十メートルを吹き飛ばされ、地面に転がっていた人間の死体のようなものに突っ込んだ。クッションになった人間の血肉が辺りに飛び散った。
ぐへえ。ぼくはよろけながら、どうにか立ち上がった。今度の相手は強い。
こちらに向かって歩き始めている男が、両腕を前に伸ばすとそこから閃光が直線状に放たれて、数十メートル離れたぼくの胸に直撃した。
え? 飛び道具もある?
しかし、閃光のビームはアーマーで弾かれ、四方に飛散した。弾かれた光がそこらじゅうに散らばる。光のかけらが当たって焼けついた地面からは、水蒸気と肉が焼け焦げるような匂いが上がった。
(やばい・・・。強い・・・。)
再び瞬間移動で間を詰めて来た男が、力を溜めて引いた右手の拳で荒鹿を殴りあげようとした瞬間、荒鹿はつま先に力を入れそいつの手の動きに合わせてハイジャンプ。
「それは知ってる! ぼくも昨日やろうとした!」
空振りになったアッパーを誘導するように、その少し先を飛び上がった。上空から見下ろすと、男は何故か空振りになった拳をぼけーっと見つめている。
「はっ。」跳躍の頂点で、思わず声が漏れてしまった。何故かじゃない! それ、狙ったぜ!
降下のタイミングで男の首を狙って脛でキックをいれるとそれが上手く直撃。男の首がぐぎっと左に90度、不自然な角度で折れた。
男の足元がふらついた瞬間、着地したぼくはそのまましゃがみ込んで、ふくらはぎに力を溜めて、拳をにぎったまま、再びジャンプ!
しかし、その瞬間ぼくは躊躇してしまった。この男に合わせて、この戦いの中で自分の経験値が上がっているのがわかる。このアーマーがこれまでの戦いも含めて学習しているのだろうか。しかし、だからこそこのままではこいつを殺してしまう。
その瞬間、身体の表面に沿って電流のような閃光が走り、それが一瞬で全身を漲らせると右の拳に集まった。ぼくは、思いっきり右の拳を振り上げる。
敵の顎に特大のアッパーが入った。男はのけぞって後ろに吹っ飛び、並んでいた駐輪場に重なって停めてあった自転車の列にぐわしゃっんといって突っ込んだ。
ぼくはそれを見届けると、さっき男がやっていたような瞬間的な並行移動で間を詰めた。そして必殺のタコ殴り(仮)。「あったたたたたたたあ!」
男の体から力が抜け、突然反応が無くなった。ぷしゅーっと空気の抜ける音がしてフルフェイスのマスクが開いた。苦しそうに顔を歪める弁髪の若い男が現れた。男は、立ちあがろうと自転車の瓦礫に手をつこうとするも、その瞬間にアーマーも消え去り、再び自転車の中に崩れ落ちた。
ぐにゃりと変形した自転車の塊に埋もれているのは、身体中に地球環模様のタトゥーが入った全裸で弁髪の男だった。
荒鹿が改めて周りを見渡すと、弁髪の男の周りの建物には、大船の川縁にあったような抉れた球体の空間がいくつもあり、バケツでぶちまけたような血溜まりがいくつもあった。
バイクや看板だったものの破片や、砕けて散らばったガラス瓶に混じって大量の青い錠剤が散乱し、それに混じって人の腕や身体の一部のような物も散らばっている。
なんとも残酷で、そしてカラフルな、不思議な景色が広がっていた。
この男はここで閃光を使って何人も人を殺したのだ。男は変身が解けて焦ったのか、何かぶつぶつ言いながら一心不乱に地面に散らばる錠剤を拾い集めている。
にゅるっ。
不意に、ぼくの目の前で、這うように錠剤を集めている男のうなじ辺りに貼ってある基盤のようななシール? のちょっと下の首の付け根の骨の出っ張り辺りから、にゅるっと例の蛸が現れたので、ぼくはそれを男の体から雑草の根を抜くように問答無用で引っ張り出し、力を込めて握り潰した。
手のひらの中で蛸の感触が消える。手を開くとそれはキラキラした光る粉になって、ぼくの手のひらから溢れるように空気の中に消えた。
そして、時折ブレるようなデジタルノイズが男の体の表面に現れるようになった。ノイズが徐々に男の体に広がり出す。男の体はだんだんと半透明になり、やがて光の藻屑となって消えてしまった。
「消えた・・・。」パトカーのサイレンが近づいているのが聞こえた。
ぼくは弁髪のアーマー男を成敗した。
そして弁髪のアーマー男は消えた。蛸と同じように、空気の中に光の粉になって消えた。
ぼくは弁髪のアーマー男を殺したのだろうか。いや、ぼくが殺したのは、蛸だ。奴の蛸。
きっと男は、ぼくに殺されなくても死んだのだ。そう思わないと、まるで、ぼくがこいつを殺したみたいではないか。待って。ぼくが? 人を殺す? そんなことはないだろう。男は人を殺した。そして・・・。
きっとぼくじゃなくても、警察や自衛隊が殺したかもしれないし、サマージならきっと空港の襲撃で死んでいたかもしれないのだ。
この男は、どうせ死ぬ。
だって、この男はいっぱい人を殺したんだから。
よくわからないけど、それはきっと、彼の業みたいなものだ。あの弁髪や地球環のタトゥー。おそらく彼はトゥルクの信者。そして、それは彼の生き様で、生き様というのは、死に様と同じで、ぼくはちょうどそこに居合わせただけ・・・。
●2036 /06 /07 /04:06 /川崎
森林公園の方に見えた閃光を目で追っていたら三体目のアーマーを発見した。発見したというよりは発見されたという方が正しいかも知れない。
さっきの男についての心の整理がまだついていなかった。ぼくにはもう少し時間が必要だった。でも、結局これは時間が解決するようなことでは無いかも知れない。
ぼくは人を殺した。でも、彼の死体は存在しない。そして彼は光になった。そう、やはりあれは彼の業だったのだ。
彼はもともと死んでいた、あるいは、彼はまだ死んでいない。それがトゥルクのいう輪廻みたいなものなのだろう。
三体目のアーマーは向こうから近づいてきて、心の準備が整う前に手を合わせることになったが、弁髪の男に比べると全く強くなかった。
か細いローキックが荒鹿の太ももに何本か入ったが、反撃したらアーマーごと折れてしまいそうなほどにか弱かったので、どうにも反撃することができなかった。
まだ毛も生えていない少年かもしれないと思って、みぞおちに一発、寸止めの普通よりちょっと強そうなパンチをいれると、簡単に変身は解けた。
今度の相手は女の子だった。まだ中学生くらいの子どもだ。ぼくは全裸になった女の子に、咄嗟に見つけたくしゃくしゃの新聞を渡して後ろを向いた。女の子は新聞をがさがさと開いて、裸を隠した。
「ねえ、蛸を潰さなくても、君を変身できなくする方法はある?」
ぼくは、さっきの男が消えていくデジタルノイズの光景を思い浮かべながら彼女に聞いた。空気の中に、きらきらと消えていった蛸、そしてあの男。
「は? 教えないわよ、そんなの。あんたを倒せないなら、どうせ、殺されるんだし。」
殺される? サマージに? サマージって静粛とかしちゃうタイプの組織?
ぼくは後ろを向いたまま、彼女に弁髪の男と蛸の話をした。彼らがきらきらと空気の中に消えていった話だ。
しばらくの沈黙が続いた。
「分かった。」女の子は長いため息をついた後にそう言った。
振り向くと黒い蛸が二人の間に浮いている。ぷかぷかと浮かぶその姿は、なんだかコミカルで可愛らしい。
「あんたのタコに食わせな。」
ぼくは左手を開いた。アーマー越しの手のひらから出てきたぼくの蛸が、彼女のタコに飛びついて、なんていうか、むしゃむしゃ、みたいな下品な音をさせて、結構可愛くない感じ、というよりはむしろグロテスクな感じでそれを食い漁った。
「あんた、気をつけてね。双子が動いてるよ。」
「え?」と言うまもなく、彼女はいなくなっていた。空気の中に消えたのか、無事に逃げてくれたのか。わからないけど、弁髪の男の時のような光は無かった。彼女はいなくなっていた。
疲労がどっと全身を襲う。
このアーマーもかなり使いこなせるようになってきた。蛸やサマージの情報もゲットした。今日はなんか、頑張った。そういう方向で、気持ちを整理する。
ぼくは一息をつくと、真上に向かって垂直に飛び上がった。空気の層が次々と変わる。
結構な高度にまで上がって来たようだった。
首元のボタンを押すとプシューと抜けるような音と共に、顔を覆っていたマスクが上がった。空気がひんやりしていて気持ちがいい。
上空で見る地球環は、遠い赤道の東の水平線からすぐ頭上にある宇宙、そして小さな富士山よりももっと西のもっと向こうの地平線まで、くっきりとした幅のある半円のアーチに見えるから、地上から見るよりも壮大で美しい。
ゆっくりと振り向くと羽田空港の方向には、はっきり見えたわけではないけれど、確かに、空港や飛行機の残骸があるような気がした。やっぱり惨劇は現実だったのだ。
工業地帯越しの東京湾側がほんのりと明るくなり始めていた。いくつかの大きな星が輝く濃い群青色で埋め尽くされた空の下では、淡いピンクと濁った水色のグラデーションが空と海の境目を覆い始めていた。
夏の夜がゆっくりと明ける。
●2036 /06 /07 /05:09 /大船
空気の冷たい上空をふらふらと飛んで、大船に戻った。
マンションのゴミ捨て場で力を抜くと変身が解けた。予想通りの全裸だった。眼鏡もない。ぼくは急いで誰にも見られないように非常階段をのぼり、家に飛び込むとなんとかベッドに潜り込んだ。
すぐに意識が真っ白になった。あの閃光のような白さだ。
立ったまま体が宙にふわりと浮いて、飛び始めた時のような、不安定な感覚が足元を、そして体全体を襲う。
「君は誰?」黒い髪の少女がぼくに訊ねる。
不安定に浮いて、バランスを取れずにぐらぐら揺れているぼくに比べて、彼女はふわりと、それなのにしっかりと、光の中に立っている。
ぼくは彼女に触れたい。一生懸命手を伸ばそうとすると逆に、ぼくの体は動かない。
「ぼくは彼女を知っている。」
ぼくはふと、そう思った。ぼくは、まるでそれが当たり前のことのようにそう思った。
思ったと言うよりも「感じた」とか「思い出した」という感覚が近いかもしれない。
ぼくは彼女をずっと知っている。
懐かしいような、悲しいような、暖かいような、不思議な感覚が心臓のあたりから
「君は」二人の声が重なった瞬間、白い光がぶわっと広がり、右耳の後ろ側に鋭い痛みと熱を感じ、視界がホワイトアウトする。
ぼくは彼女を知っている。そんな感覚を残したまま。意識が遠のいた。
つづく
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