第19話

 塚田からの助言を得た英治は翌日には修正案を完成させ部長に提出した。その際、何やら二人で話し合っていたようだが、一応部長からのOKはもらえたようで華恋はホッとする。

 後は、他の部署からの返答を待つのみ。きっと、今度こそ大丈夫。少なくとも華恋はそう信じていた。


「森、森はいるか!」

「はい」


 いきなり総務部に入ってきて、声を荒げる副社長。

 総務部内がざわつく。副社長はあからさまに機嫌が悪そうだ。皆、いったい森は何をしたんだ。というような目を英治に向ける。華恋も心配になって英治に視線を向けた。

 けれど、英治は予期していたのか全く動揺していない。そんな英治の態度が気にくわなかったのか副社長の顔がさらに険しいものになる。


 副社長は肩を怒らせながら英治に近づくと先日提出した修正案を掲げて怒鳴り散らし始めた。


「これはいったいどういうつもりだ?!」

「どういうつもりとは?」

「私は子供達を招待するのは反対だと言ったはずだ!」

「はい。ですから修正案を」

「そもそも子供達を参加させるなと言っているんだ! はあ。やはり、君では話にならん! やっぱり従来通り社内イベントは八木君に任せるべきだ」

「まあまあ」


 そう言って間に入ってきたのは件の八木。緊迫した雰囲気に似つかわしくない笑顔を浮かべている。


「副社長、ここは俺の顔に免じて森を許してあげてください。森、後は俺に任せておまえは大人しく雑用でもしてろ。副社長、小学生以下の招待は許可しないということでいいんですよね?」

「ああ、そうだ。まったく、八木君のように融通がきかないとこの先出世はできんぞ」


 副社長は頷くと英治へと呆れた視線を向けた。八木は副社長の後ろから英治を見ている。その瞳は三日月形に歪んでいた。

 英治はそんな八木と副社長を見て口を開こうとしたが、それよりも先に我慢の限界を迎えた華恋が口を開いた。


「融通の使い方……間違っていませんか?」

「なに?」


 副社長の眉が跳ね上がる。


「か、華恋ちゃん」

「八木課長は黙っていてください」


 ぴしゃりと華恋に言われ、八木は口を閉じる。英治も華恋を止めようとしたが、華恋は無視して話を続ける。心底、腹が立っていた。八木がしているのは融通ではなく、ただの迎合だ。

「私は森さんが考えた今回の社内イベントすごく良いと思います。確かに、今までのイベントとは全く違うので不安や心配はあります。でも、それでもする価値があると思います。今回のイベントが成功すれば会社のイメージアップにも繋がりますし、今回のイベント内容なら今まで参加できなかった社員達も参加できます。社員同士の絆を深めるきっかけにもなるんです。ただ、イベントを成功させる為には『子供達を招待してもいい』という条件が必要不可欠です。……副社長は、会社の為だとしても子供達の参加に反対しますか?」

「っ」


 副社長は華恋の真っすぐな視線から逃げるように顔を逸らし、苦虫を嚙み潰したような顔で黙り込んだ。沈黙の中、ヒール音が響く。塚本が前に出てきたことで副社長が顔を強張らせた。


「私も知りたいですわね。副社長が頑なに反対するり・ゆ・うを」


 口角を上げ、目を細め、副社長を見る塚本。

「だ、誰が責任をとるんだ?!」と副社長が吠えた。

「はい?」

「子供達がトラブルを起こしたら誰が責任をとるのかと聞いているんだ! わ、私はとらんからな! 第一、修正案と言ってもただの空想論じゃないか! 何人子供がくるのかもわからない上に何人が協力してくれるかもわからない。こんな説明で私が納得すると思うのか?!」


 副社長が唾を飛ばす勢いで塚本に食ってかかる。塚本は汚物を飛ばされたような顔をした後、空中を手で払いながら一歩副社長から遠のき英治の名を呼んだ。英治が追加の資料を副社長に手渡す。受け取った副社長は険しい表情のまま渡された資料に目を通し、目を大きく見開いた。


 震える声で呟く。

「な、なんだこれは」


 英治が淡々と説明する。

「そちらは、招待する予定の子供のリストと、イベントスタッフに立候補している社員のリスト、そしてボランティアに志願してくれている社員家族のリストです」

「そ、それになぜ社長の奥様の名前が?」


 わなわなと震えながら呟く副社長に、塚本が横からつけ加える。

「参加を希望しているのは奥様だけじゃないわ。ここに載ってるのが社長の息子さん」

「な、なに?!」

「副社長もご存じの通り、私は社長の奥様とも昔馴染みですから。今回のイベントのことを伝えたらそれはもう楽しみだとおっしゃって……で? そろそろ反対する本当の理由を教えてもらっても?」


 にっこり微笑んだ塚本を見て、青ざめる副社長。

 口を真一文字に閉じた後、踵を返す。


「もういい! 勝手にしろ! 俺は何が起きてもしらんからな。帰る!」


 皆止めようとはしない。英治が最後に口を開いた。

「では、このまま進めますね。ああそれと、


 副社長の足が止まる。後姿だけでもぷるぷる震えているのがわかる。結局、副社長はそのまま無言で去っていってしまった。八木がその後を慌てて追いかける。しばらくして、副社長の怒鳴り声が聞こえてきた。何か言い合っているようだがよく聞こえない。

 戸惑ったままの人達を代表して塚本が疑問を口にした。


「ねえ森君。さっきのってどういう意味?」


 英治が言っていいものかという顔でちらりと部長の顔を窺う。部長は困ったように微笑むと、皆を手招きした。皆が集合すると部長は内緒話をするように片手を口横に添え「ここだけの話なんだけどね」と語り始めた。


「皆、今まで八木君が企画した社内イベントを覚えてるかい?」

「ええ。確か、旅館で宴会、スキー、カラオケ大会、ホテルの会場を貸し切ってのパーティー……どれも八木君らしい派手なイベントばかりだったわよね」


 塚本の言葉に皆頷く。


「そう。そのイベント全てに共通点があるんだけどわかるかな?」

「共通点? 何かあったかしら……」

 皆がうーんと悩んでいると、華恋がふと思いついたことをそのまま口にした。

「毎回泊まりでしたね?」

「そうよ! そのせいで小さな子供がいる社員は参加できなかったんだから!」


 確かにと皆が顔を合わせ、いっせいに部長に視線を向ける。

 部長は正解だというように頷いた。

「そう。八木君はそうやって毎回彼らにとって都合の良い環境を整えた上でコレもあてがっていたんだ。仕事の評価を対価にしてね」


 コレと小指を立てる部長に皆目を見開く。しかし、驚愕の暴露話はまだ終わらない。


「実は、昔僕もお誘いを受けたことがあってねぇ。あ、もちろん断ったけどね。だからねぇ……今回のイベントも何となくこうなる気がしてたんだ。彼らからしたら森君には成功してもらいたくないだろうからね。森君は八木君のように相手ではないから」

「それであいつら森君に難癖つけようとしていたの?! 最低ね!」


 塚本の言葉に華恋も頷く。部長は苦笑した。


「まあ、森君が釘を刺してくれたから今後は大人しくなると思うよ」

「それはどうかしらね? ああいう輩は忘れた頃にまた同じことをやるのよ。まあ、その時は私も黙ってないけどね!」

「いや~塚本君はたのもしいね~」

「そう思うなら部長が最初から何とかしてくれてもよかったんですけど?」


 塚本から圧のある微笑みを向けられ、部長が冷や汗を垂らし始める。


「い、いや、そんなこと言われてもね〜。ほら、僕はしがない部長だから~」

「そんなことないです。少なくとも俺は助けられました。ありがとうございます部長」


 英治が部長に頭を下げると、部長は慌てて首を横に振った。

「森君やめてよ! 森君が僕に感謝する必要なんてないんだから。むしろ、今まで申し訳なかったよ。塚本君が言うとおり、僕がもっと早く動いていれば八木君があんなに大きな態度をとるようにはならなかっただろうから」

「ええ、本当にね! あんな顔だけの男に役職を奪われていたなんて……はらわたが煮えくり返るわ!」


 華恋はふと塚本にも昇進の話があったという噂を思い出した。つまり、そういうことだったのだろう。


「そうだよね。塚本君もごめんね」


 心底申し訳なさそうな部長にさすがの塚本もバツが悪そうに口を閉じる。

 代わりに、英治が口を開いた。

「部長。俺、知ってますよ」

「え?」

「八木課長……八木さんが俺に押し付けようとしていた仕事を部長が今まで色々理由つけて代わりに片付けてくれていたこと。そのことも含めて感謝してるんです」


 部長の目がぱちぱちと瞬きを繰り返す。そして、そっかあと微笑んだ。

「気づかれないようにしていたつもりなんだけどねえ。さすが森君だ。まあ、でも気にしないでいいよ。それだけ僕の手がいつも空いていたってことなんだから」


 あははと笑っているが、その言葉通りに捉えている人はここにはいない。皆、部長が仕事ができる人間だということはよーく知っている。


「やっぱり部長は最高ですね!」


 腰に両手を添えうんうんと頷く華恋を見て、まるで愛娘に褒められた父親のように部長が相好を崩す。


「華恋ちゃんにそう言ってもらえると僕は嬉しいよ~」


 まるで仲良し親子のような二人を見て、つられて全員の顔がほころんだ。

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