第17話
八木の件から一ヶ月。
最初の一週間は八木課長が何かしかけてくるんじゃないかと警戒していたけど……結局何もなかった。肩透かしをくらった気分だ。
ただ、英治さんへのアタリは若干強い気がする。でも、それについては英治さんから「これくらいは想定内。そのうち落ち着くだろうから放っておいていい」と言われてしまった。
もちろん酷くなるようなら私から八木課長にガツン!と言うつもりだが……今のところは様子見。
私としても必要以上に八木課長と関わり合いたくない。せっかく八木課長からむやみやたらと話しかけられることがなくなったのだから。
英治さんとの仲は極めて順調。初めてのお付き合いは新鮮なことだらけで、日に日に英治さんへの気持ちが膨らんでいくのがわかる。
そんな中、八木がついに動き出した。
「部長~今年の社内イベントの担当、森にやってもらうのはどうですか?」
突然の発言。八木の発案はいつも突拍子のないものが多いが、今日のは過去一かもしれない。
華恋は思わず英治を見た。英治も初耳だったようで固まっている。いったいどういうつもりなのかと八木に視線を向けた。
「森君に?」
「はい! いつも俺がやってるんでそろそろ味変が必要かなぁと。森なら俺には思いつかないようなアイデアを出してくれそうじゃないですか?」
華恋の眉間に皺が寄る。八木と英治との間に何もなければ、言葉通りに受け取っただろうが……つい何か企んでいるのではないかと勘ぐってしまう。
そもそも八木は年に一度しかない社内イベントを担うことにプライドを持っていたように思う。普段の仕事では使えるモノは何でも使う人が、社内イベントに関してだけは頑なに他の社員達の手を借りようとはしなかった。
――――それなのになんで今回は英治さんに任せようとするの? 何かあるとしか思えない。
華恋の不安をよそに部長は乗り気なようで、英治を見て頷いた。
「そうだね。じゃあ、今年は森君に任せようか」
「森、頼んだぞ。もし、
そう言って胸を張る八木。英治はじっと八木を見た後、部長に視線を移した。
「わかりました。企画、考えてみます」
「頼んだよ森君」
「はい」
すんなり受け入れた英治を見て八木の表情が面白くなさそうに一瞬歪む。華恋はそんな八木の変化をしっかりと見ていた。
心配になって英治の様子を窺うが、英治はそんなことには興味ないとでもいうように、すでに思案顔になっていた。惚れた欲目か、頼もしく見える。
八木課長の魂胆はわからないけど、上手くいけば英治さんの評価に繋がるはず。
――――頑張れ英治さん!
華恋は心の中でエールを送った。
◇
「はあ」
「そんな顔しないの。しかたないでしょ?」
「それはそうなんだけど。正直……こんなに忙しくなるとは思ってなかったんだもん」
社内のイベントだからと甘く見ていた。まさか、企画する側があんなに大変だったとは。
いや、華恋はただ英治が忙しそうにしているのを見ていただけなので実際の大変さはわからないのだが。
「で? その忙しい彼氏さんと会えない寂しさを埋めるために私を呼んだわけね?」
「違います〜。久しぶりに麻友に会いたいと思ったから連絡しただけです~」
「ふ~ん? そのわりにここ最近連絡が途絶えてたけど? 私てっきり華恋から忘れられたのかと思ってた~」
「それは……いや、その、だって」
途端にしどろもどろになる華恋を見て麻友が噴き出した。華恋がむっと口を尖らせる。
「冗談に決まってるでしょ。元々連絡をまめに取り合ったりなんてしてなかったんだから気にしてないわよ」
「それはそうなんだけど……私にとって麻友は大切な親友なんだもん。そこは疑ってもらいたくない」
「はいはい」
言葉とは裏腹に麻友は嬉しそうに目を細めた。
「それにしても……私が知らない間に華恋ってばなかなかすごい体験をしていたのね」
「ね。人生って本当何が起きるかわからない」
「華恋の初恋相手の義兄が
指を折りながらケタケタ笑う麻友に華恋は苦笑いを返した。麻友の言う通りだ。今思い出しただけでかなり濃い出来事ばかり。
麻友は歩いていた店員を捕まえて、追加でハイボールを注文した。便乗して華恋もピンクグレープフルーツのお酒を頼んだ。
頼んだお酒はすぐにきた。麻友はさっそくハイボールに口をつけ、華恋を見た。
「でも、よかったね」
「ん?」
「初恋が実って。ほら、華恋って恋愛に対して否定的だったっていうか、けっこうこじらせていたじゃない?」
「こじらせ……いや、まあ、そうだね」
「だからよかったなあって」
「麻友……ありがとう」
目頭と頬が熱い。多分、これはお酒のせいだけじゃない。
「華恋が夢中になるくらいだから、彼氏さんはきっととっても素敵な人なんだろうね」
「う、うん」
「って否定しないのかい! いや、華恋本当に変わったわ」
「だ、だって事実だし」
「あら、そうなんだ~」
「あ~なんだかここらへん熱いわ〜」とわざとらしく手で己をあおぐ麻友。華恋は何も言い返せずに口を閉じた。
「うーん。それにしても……そのしつこい上司」
「うん?」
「気をつけた方がいいと思うよ」
「え? ……やっぱり麻友も何か企んでると思う?」
前のめりになり、小声で話す。華恋にあわせて麻友も顔を寄せた。
「十中八九ね。大なり小なり何か企んでいると思う。しかも、私の経験上そういう輩は質の悪いやり方が上手いのよ。周りにバレないように立ちまわるのが上手いというか……」
「何となくわかる気がする」
「とりあえず、その彼氏さんの仕事が落ち着くまでの間は華恋が彼氏さんの分まで警戒したらいいんじゃない? ただ、その隙に華恋に近づいてくる可能性も充分あるから気をつけてね」
華恋がコクリと頷くと麻友はじっと華恋の顔を見つめた。
「何かあればすぐに私に連絡して。一人で解決しようとしないで絶対に。わかった?」
麻友の目力に圧されて何度も頷き返す。心配してくれているのだろう。ファンの子達との一件を聞いたばかりだから尚更。
「わかった。でもね例の件については、けん、ん、んんん……推しが関わっていたから言えなかっただけで、そうじゃなかったら麻友に相談してたよ」
「ふーん。……もういいの?」
「何が?」
「今更だけど、私に推しのこと教えてよかったの?」
「ああ……」
華恋は頷く。
「大丈夫。裕子さん、推しの奥さんを通して確認とったから。麻友にならOKって。あ、でも一度裕子さんが私達と一緒に飲みに行きたいな~って言ってた」
「それはいいけど……華恋、彼氏さんの姉夫婦と結構交流がある感じ? もしかして、もう婚約すませた?」
「こ、婚約?! 私達まだ付き合って一年も経ってないのにそんなわけないでしょっ!」
「そっか。でも、すでに親戚づきあいしてるなら時間の問題だね」
「ま、麻友までそんなこと言う~」
顔を真っ赤にして狼狽える華恋を見てにやけ顔になる麻友。
「へ~他の人からも言われたんだ」
「それは、その……お、推しから似たようなことを」
ごにょごにょと恥ずかしそうに言う華恋を見て、麻友が目を瞬かせる。
「それで、その反応なんだ?」
「え?」
「ううん。なんでもない」
首を横に振る麻友。華恋が眉間に皺を寄せた。
「何? 気になる。言ってよ」
「別に大したことじゃないよ。華恋が彼氏さんのことめちゃくちゃ好きなんだなっていうのが伝わってきたってだけ」
「?!」
「ふふふ。ごちそうさま」
麻友は満面の笑みを浮かべ、残りのハイボールを一気にあおった。
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