第五章 噂話と過去の事件 5

 夜になってもなかなか寝付けなかった私は、工房の庭に出て、月を見上げた。一緒についてきた毛毛が、私の肩に乗る。


「化け猫は月を吸って、その力で人間に化けるんだってね」


 ふと思いついてそう言うと、毛毛は顔をしかめながら言った。


「人間になんかなりたかないよ。化け猫なんかより、よっぽど化け物じみてんだから」


「それもそうか」


 人間はみんな幸せを求めて生きているはずなのに、色んなことがわないまま、自分が幸せになるために、時には誰かを不幸にして生きている。


 毛毛みたいに単純に生きていたら、そんなことはなくなるのかな。

 いや、毛毛が二匹いても、食べ物の取り合いでけんして、結局どっちか一匹の毛毛は死んじゃうような気もする。


「人形作りって、人の心の不安につけこんだ悪徳商売なのかな」


 ふとそう漏らすと、毛毛は月を見上げながら言った。


「鈴雨、覚えてる? 昔の連天じゃあ、人形市の日はお祭り騒ぎだったよね」


「……うん、覚えてるよ」


 連天の山頂にある女神のびょうまで延びる参道で、年に数回人形市が行われていた。規制ができる前の人形市は、それはそれは華やかで、所狭しとたくさん並んだ屋台には季節ごとの縁起物の人形が並び、それを買い求めに来るお客がひしめき合っていた。胡餅や串焼きの屋台も来て、あたりにはいい香りが漂っていた。


「そっちの人形はどんなご利益があるんだい?」


「二つ買うから安くしとくれ」


「えーんえーん」


 買ってもらったばかりのラオフーの人形を、地面に落として割ってしまった男の子が泣いている。


「仕方がないなあ。坊主、もう落とすんじゃないよ。ほら、これ持っていきな」


 そう言って屋台の上に並んだ老虎を一つ取り、男の子に手渡す隣の家のおじさん。


「どうもすみません」


 男の子の母親が謝ると、おじさんは笑った。


「あんたんちはいつもうちで買ってくれるからね」


「ほら、おじさんにお礼を言いなさい」


 母親に背中を押され、うつむいたまま男の子が言う。


「おじちゃん、ありがとう」


「おう。虎みたいに強くなるんだぞ」


 おじさんの顔にはくっきりとしわが刻まれていて、いつも土をねている指は太くてゴツゴツしていて、私にはそれが美しく見えた。


 人形市は活気があって、陽の霊気に包まれていて、いつもあたたかかった。

 まだ幼かった私はその様子を、参道のそばの木の陰からいつも眺めていた。


「そこにあったものが、本当のことだよ。猫の僕には何が悪徳で何がそうじゃないのかわからないけどさ。連天の人形師は人々の願いのために人形を作ってきたし、お客さんもその人形を必要としてきたんだよ」


 毛毛はそう言って、私の肩からずりずりと、胸元まで降りて来た。


「そうだね」


 私は毛毛を抱きしめる。

 じんわりと心が温かくなる。


 私はあの人形市を見つめながら、いつか私も人形師になるんだと夢見ていた。

 私の人形で誰かが笑ったり、素敵だなと胸がときめいたり、傷ついた心に寄り添ったり。


 そういうことが、したかったんだ。

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