第四章 兎児爺 10

 私が広げて見せた紙を、蘭淑妃様が見つめる。


【私は口で話すのは苦手ですが、文字でなら話せます】


「あら。これなら、たくさんお話ができそうですね」


 私はまた、筆をとる。


【霊山州の食べ物を取り寄せていただき、ありがとうございます。なつかしい食べ物ばかりです】


「喜んでもらえたならよかったです。実は私、霊山州の隣のほくしゅうの出身なんです。だからこういう田舎っぽい素朴なお菓子は大好きで」


【北州のご出身だったのですね。北州では石像作りが盛んだと、祖母から聞いたことがあります】


「あら、よく知っているのね。確かに地元のびょうには石像がたくさん並んでいました。北洲には岩山が多いから、原料の石が手に入りやすいんでしょう」


 すごい。人と話せている。

 楽しい。

 私、緊張して話せないだけで、本当はこうして気の合いそうな人と気軽に話してみたかったのかもしれない。

 自分が伝えたいことを相手に伝えられるって、こんなに嬉しいことだったんだ。


「鈴雨、とても楽しそうです」


 霊気は見えないはずなのに、蘭しゅく様は驚いた顔でそう言った。


【とても、楽しいですよ】


 筆と紙さえあれば、今まであきらめていた色んなことを、あきらめずに済みそうだ。



 それから程なくして、とある日の晩、私は悪夢にうなされた。


 目の前には、短剣を手にした三人の武人たち。

 どういうわけか、夢の中の私は蘭淑妃様の居室にいる。


「きゃあああ! 誰かっ!」


 背後から蘭淑妃様の悲鳴が響き、私の体は勝手に動き出す。

 部屋の隅に立てかけてあったやりを手に持ち、武人たち三人を相手取る。


「エイッ! ヤアッ!」


 体の芯から力がみなぎり、自分でも信じられないくらいの怪力で、武人たちに槍を振り回す。


 すると背後の蘭淑妃様が飾り棚に置いてあった花瓶を手に取り、武人たちに投げつけた。

 おそらく一人で戦う私に加勢してくださったのだろう。

 投げられた花瓶からは水が飛び散り、三人の武人たちにかかった。


 すると武人たちがみるみるうちに溶けて小さくなっていき、しまいにはただのれた人形の紙切れになった。人が溶けていくその様子は、とても不気味で怖かった。


「いやああああああああああ」


 蘭淑妃様は悲鳴をあげながらぺたりと床に座り込む。恐怖で腰が抜けてしまったらしい。


 私は彼女の肩を抱く。

 ああ、なんとか落ち着かせてさしあげなければ。このお方の心は硝子ガラスのようにもろく、繊細でいらっしゃるのだから……。



 ──はっ!?


 そこで私の目が覚めた。

 夢の中で武人と闘ったせいか、全身汗でびしょ濡れになっている。


「今の、夢は……」


「鈴雨、どうかしたの?」


 突然起き上がった私の元に、毛毛が駆け寄ってきてくれた。


「うん、あの……」


 胸騒ぎがする。

 きっと私は夢の中で兎児爺の感覚を体感していた。


 過去にも、こんな感覚を味わったことがあった。昔連天村で、私の作ったラオフーが村人たちの手によって谷底に落とされ、殺された時だ。

 あの時も私は、殺された虎と感覚を共有したのだ。村人たちに罵られながら無数の木の棒で押され、谷に落ちた。あの谷から落ちる時の足がすくむような感覚まで味わった。


 魂人形を作る人形師は、作った人形が強烈な体験をしたときにその感覚を共有することがあるのだと、昔おばあちゃんが話していたことがある。


「今の、きっと感覚を共有してたんだ」


 蘭淑妃様と兎児爺は無事だろうか?

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