第四章 兎児爺 7

 人形作りに集中していると、現実から頭が切り離される。


 特に魂人形を作る時には霊気の世界と向き合うから、まるで自分の体がなくなって、意識だけが宙に浮かんでいるような感覚になる。それが心地よい。


 霊気とは、常人には見えないもう一つの宇宙の姿なのだと、昔おばあちゃんが言っていた。


 往古来今これ宙という、四方上下これ宇という。


 昔読んだ書物にそう書かれていた。宇宙とは、この世の全てを指す。そこには人間の目に見えないものも確かに存在していて、この世に影響を及ぼしている。


 魂人形を作るために霊気の宇宙に意識をゆだねると、私が生み出すべきものの姿が見えてくる。

 絵筆の先に塗料を乗せ、すっと筆を走らせる。


「これで完成」


 最後の一筆を描き、兎児爺が完成した。

 するとさっそく、兎児爺が動き出す。


「おはよう、兎児爺。ちょうど中秋節に間に合って、よかったわ」


 私がそう声をかけると、兎児爺はかしこまってお辞儀をした。


「こんにちは、鈴雨さん。さっそくですが、私を必要としているおきさき様はどちらにいらっしゃいますか? どうかその方の元へすぐに私を案内してください。今こうしている間にも、彼女は自分が殺されるかもしれないという恐怖におびえ続けているのですから」


 兎児爺の背筋はピンと伸び、その身振り手振りはとても上品だ。


 魂人形は生まれたときから、自らに込められた祈りを知っている。

 祈りは強力な霊気を持っている。その霊気が土にこもる霊気の粒を引き寄せ、魂人形を一つの命にする。


「あなたなら、武人からも呪いからも、お妃様を守れる?」


 たずねると、兎児爺は手で胸をたたいてみせながら言った。


「もちろんでございますよ。必ずやお妃様を守り抜いてみせましょう」



 私たちはすぐに、青龍宮へと向かった。


 庭の様子もすっかり秋めいて、きんもくせいの花が咲き、甘い香りがあたりに立ち込めている。

 広間では蘭淑妃様と女官たちが、私たちと兎児爺を待っていた。


「こちらが完成した兎児爺でございます」


 長雲様がそう言うと、兎児爺は自身を覆っていた薄絹を、蘭しゅく様の目の前でふわりと取り払う。


「まあ、素敵なうさぎさんですね。それに本当に生きている。……すごいです」


 目を細めて蘭淑妃様は兎児爺を見つめる。すると兎児爺はほほみ、挨拶をした。


「お初にお目にかかります。兎児爺でございます。……もしよろしければ、今こちらで演武を披露させていただいてもよろしいでしょうか」


「ええ、もちろんです」


 蘭淑妃様がそう答えると、兎児爺は広間の中央に移動し、演武を始めた。

 時には「ハッ!」と気迫のこもった声をあげながら、武術の形を披露していく。

 そして演武の終わりには、蘭淑妃様の足元にひざまずいて言った。


「私は蘭淑妃様をお守りするために、この世に生を受けました。この身に宿る霊力も武術も、全て蘭淑妃様のものです」


「まあ……」


 蘭淑妃様は頬を染める。

 お付きの女官たちも感嘆の声を漏らす。


「すごいわね!」


「なんてかっこいいの」


「この上なく頼もしくて愛らしい……」


 蘭淑妃様は兎児爺を見つめながら言った。


「とても……素晴らしいわ。お顔は白うさぎなのに、体つきはまるで武官のように筋肉質でがっちりとして、動きは俊敏で……それでいて、知性を感じさせる話し方ですね」


 蘭淑妃様からも女官たちからも、恋のときめきに似た霊気が湧き出している。

 どうやら気に入っていただけたようではあるが、少々好かれすぎている気もする。大丈夫だろうか。

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