第三章 徳妃様の瞳 6

「はあ嫌だな」


 あの一件以来、私は外に出るのがすっかり嫌になってしまった。作業に集中していると気持ちが落ち着くから、ひたすら人形作りを続けている。陛下から褒美としていただいた馬毛の絵筆はとても描き心地がい。今は皇宮に置物として献上する予定の人形の焼成を終え、彩色をしているところだ。


「今日も食堂に行かないの?」


 心配そうに毛毛がたずね、私はこくりとうなずいた。


「人に会いたくないもの。ずっとそうしているわけにはいかないって、わかってはいるんだけど……」


「鈴雨は浄眼のせいで人の霊気が見えるんだから、仕方がないよ」


 そう言って毛毛はなぐさめてくれた。私は一旦絵筆を置いて、近づいてきた毛毛を膝に乗せ、背中をなでる。毛毛をなでていると、穏やかな気持ちになれる。


「でも、魏徳妃様は浄眼をお持ちなのに、あれだけの数の女官に囲まれながら生活なさっているのよね。おばあちゃんだってたくさんの人と関わりながら暮らしていたんだし、浄眼だからって私だけひきこもりであることが許されるわけないわ」


 頭ではそうわかっていても、結局工房を出て食堂へ行く気にはなれない。あの一件の後長雲様に、小麦粉や干した果実を工房へ運び込んでいただいた。最近は主に、素朴な小麦の餅を焼いて食べている。村にいた時よりも、さらにひきこもりになっている気がする。


「これじゃあ鈴雨がますます痩せちゃうね」


 毛毛は苦笑いした。確かに元々貧相な体つきが、後宮に来てからは余計にやせ細ってしまった。あの食堂で毎回食事をしていれば、きっと肉付きも肌艶も良くなるのだろうけれど。


「はあ、おなかすいたから餅を焼こうかな」


 するとトントン、と工房の扉をたたく音がした。


「えっ?」


 思わず毛毛と顔を見合わせる。


「いないのか?」


 扉の向こうから声がする。それは長雲様の声だった。


「お、おります。今開けます」


 私は猫のお面を被り、急いで扉を開く。

 するとそこには布包みを手に持った長雲様が立っていた。


「な、なにか、ご用で?」


 おそるおそるたずねると、うつろな目のまま長雲様が言った。


「腹が減っているのではないかと思ってな」


 長雲様は工房の中にツカツカと入っていき、机の上で布包みを広げた。中からは、こもの葉で三角形に包んだちまきがいくつも出てきた。


「ち、ちま、き!」


 思わずそう叫んでしまった。ついでにグーッとお腹まで鳴る。これでは腹ペコなのがモロバレだ。


「な、なんの、粽ですか」


「肉粽だ。もち米と味付けをした豚肉、なつめ、松の実が入っている」


 グーッ。


じょうの市場で買ってきたばかりだから、まだ温かい。ここの店の粽は美味なことで評判らしい、人だかりができていて買うのに苦労したよ」


 グーッ。


「……早く食べるといい」


「はい」


「僕もいただくよー」


 そう言って真っ先に粽に触れようとした毛毛を、長雲様が制止した。


「畜生の分際でこの粽が食べたいのならば『ありがとうございます李長雲様』と言って俺の足の甲に頭をすりつけ、心からの感謝を十二分に示すことだな」


「がるるるるる」


 毛毛がたっぷりとしたひげの毛を逆立てて長雲様を威嚇している隣で、私は「そっか」と床に両膝をつき、長雲様の足元に頭を下げた。


「あ、ありがとうございます、李長……」


「鈴雨、先程の言葉はお前に向けて言ったのではない。しつけのなっていない猫を教育しようと思ったまでのことだ」


「あっ、すみません。て、てっきり私も、畜生の分際なのかと……」


 顔を上げると長雲様が、残念そうな顔で私を見下ろしていた。

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