第三章 徳妃様の瞳 5

「こうりんう、と申したか?」


 そう確認してきた彼女に、何度もうなずいてみせる。特に怒っている様子はなく、むしろ慈愛に満ちたあたたかい霊気が湧き出している。なんて心地よい霊気だろう、そばにいるだけで心まで穏やかになるようだ。おかげで私は少しずつ、落ち着きを取り戻した。


「なぜ猫のお面をつけているのだ。話せるか」


 優しくたずねられ、私は必死に告げた。


「ひ、ひとが、こ、こわい、から」


 すると彼女は女官や麗冰たちに、後ろに下がるように命じた。


「私がこの者にお面を外させ、素顔を確認する。それでよいな?」


「ですが、その者は危害を加えるやもしれませぬ。お顔を近づけるなど、危険すぎます」


 そばづかえの女官は心配してそう言ったが、魏徳妃様は首を横に振った。


「大丈夫だ、この者は私に手を出してきたりはせぬ。私にはえるのだから」


 すると女官はしぶしぶ納得したように下がっていった。

 やがてみんなが傍を離れてから、彼女は私にささやいた。


「私に一瞬だけ、顔を見せなさい。済んだらすぐにお面をつけてよいから」


「……はい」


 すぅ、と深呼吸をして、私は猫のお面を外し、魏徳妃様も顔を覆う面紗を手で払いのけて私に顔を近づける。


「…………!」


 私は面紗を取り払ったそのお顔を見て、驚いた。

 魏徳妃様の瞳は私と同じように、青みがかった浄眼だったのだ。

 私に顔を寄せ、彼女は耳打ちした。


「その瞳からこの世を見るのはつらいだろう」


「…………っ」


 深い同情と哀れみの霊気に包まれる。彼女もまた、浄眼によって今までつらい思いをしてきたということだろう。

 おばあちゃん以外に浄眼を持つ人に出会ったのはこれが初めてのことだ。


「これから先は、何かあったら私を頼れ」


 細い指がお面を持つ私の手に触れる。そしてそのまま魏徳妃様は、お面を私の顔にかぶせなおしてくれた。


 顔を近づけてわかったが、彼女は想像したよりも年上の女性だった。おそらく年の頃は二十六・七といったところか。うつわの大きさと冷静さを持ち合わせたような、達観した雰囲気がある。


 私はなんだかボーッとしてしまって、しばらく動けずにいた。


「作業着を身に着けておるな。女工なのか?」


「は、はい。あ、あの、に、人形、の」


 するとその時、見知った魂の気配が近づき、私の肩に手をかけた。


「お前、なにをしている」


 振り返ると、そこには長雲様が立っていた。相変わらずの無表情だが、これで助かったと思えてホッとした。

 長雲様を見た魏徳妃様は、フフフと笑いを漏らす。


「これはこれは。李家の若仙人ではありませんか」


 長雲様は幽鬼のような目を一瞬細め、その際わずかにいらつきを感じさせる霊気を放った。手には小包を持っている。きっと絵筆を届けに来てくださったのだろう。


「魏徳妃様、この騒ぎは一体」


 ふとあたりを見渡すと、麗冰たちきゅうや魏徳妃様のお付きの女官の他にも、野次馬のような人たちが周りに集まり始めていた。


「この女工が宮妓に絡まれていたのです。怪しいお面をして、名も名乗らぬと。それで私が皆を納得させるため、素顔を確認したところです」


 すると長雲様は、麗冰たちや野次馬に聞かせるかのように声を張り上げた。


「この者がお面を被って過ごすことには陛下より許可が出ている! 今後このことで騒ぎを起こさぬように!」


 取り囲む人々が、皆一斉に私を見る。

 うわあ、やだあと思っていたら、長雲様が私の手を引いた。


「いくぞ」


「は、はい……」


 長雲様に連れられ、私は人だかりを抜けていった。

 麗冰の横を通り過ぎる時、彼女から鋭い目つきで睨まれた。

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