第一章 魂人形を作る少女 3

「とにかく急いで荷物をまとめて、しばらくはどこかに逃げなくちゃ」


 即位したばかりのみかどが何をお考えなのかはわからないが、私は都になんか行きたくない。そんな人が多くてどす黒い情念が渦巻くような場所へ行くなんて、私にとってはどぶ川に飛び込んでそこで一生暮らせと言われているようなものなのだ。


 こんな時に頼れる人がいればかくまってもらえたかもしれないが、私にはそんなことを頼めるほど仲のいい人はいない。


 私は今年で十八になるが、自分で身の回りのことができるようになった五年程前から、徐々にこの古びた工房に一人で寝泊まりをするようになった。今はもう実質、一人で暮らしているようなものだ。


 家族のことが嫌いなわけではない。だが怒りやいらちの感情が目に見えると、どうしても心穏やかではいられない。家族よりも泥人形と一緒にいる方が、気が楽なのだ。だから自然と工房にこもって暮らすようになっていき、家族との間には溝ができた。


 まあ孤独な生活と言ったって、全然寂しくはない。私は工房の棚にずらりと並んだ泥人形たちを見上げた。ここには先祖代々の人形師たちが作った大量の人形が飾られている。私はこの人形たちに囲まれて生活していれば、それで満足なのだ。


 そしてできることなら一生、この工房にこもって暮らしていきたいと思っている。

 誰とも関わらなければ、心を乱されずに済むのだから。


「とりあえず数日は山にこもろう。食料と、虫よけと……。あと焼成済みの人形いくつかと彩色の道具一式持っていこうかな。どうせ暇だから絵付け作業でも」


「そんなことしたら荷物が増えるからやめときなよ、鈴雨」


「まあ、仕方ないか……」


 そんなこんなで慌てて荷物の準備をしていたその時。

 工房の扉を叩く音がした。


「鈴雨、中にいるか? 入るぞ」


 それは村の長老様の孫、しんの声だった。智信は真面目で面倒見のい性格で、年老いて体の自由がきかない長老様の補佐役をしている。私にとっては子供の頃からよく知っている近所のお兄ちゃん的な存在で、ならば話しやすいのかと言われれば、全然話しやすくない。他の人よりはちょっとマシ、程度だ。


「すみませぇん、着替え中で……」


 バクバク暴れる心臓が口から出そうになりながらも扉ごしにそう答えると、智信のため息が聞こえてきた。


「鈴雨、帝の命を受けて来た宮廷の文官が、お前に会いたいそうだ」


「えぇ、そ、そうですか……」


 ──やっぱり、そうだったんだ!


 恐怖で足がガクガク震える。だが私の気も知らずに智信は説得をし始めた。


「お前は人と話すのが苦手だからな。気持ちはわかるが、会わずに済むわけはないぞ」


「とは、言っても」


 私が初対面の都から来たような男性と話せるわけがないことは、智信もよくわかっているはずだ。だがそれでもどうしようもないのだろう。なにせ帝のご命令だ、無理もない。


「とりあえずは会って話を聞いてみないか」


「でも、怖ぐで」


 恐怖で口もうまくまわらなくなってきた。


「長老様もいるから怖くないぞ。さあ、扉を開けて出ておいでじょう


「う…………」


 出ていかなくてはならないとわかっていても、怖くて体が動かない。

 しばらくして、自分の力ではどうにもできないと悟った智信は、私の母を連れてきた。


「全然出てこないのです。鈴雨を説得してください」


 智信にそう促され、気の弱いたちの母は困った風に「ええ……」と答える。


 母も呼び出されたって困るだろう。普段私とはほとんど話すこともないのだ。私の説得の仕方なんかわかるわけがない。

 それでも母は扉越しに、私を説得し始めた。


「ねえ鈴雨、皇帝陛下のご命令でいらっしゃったお役人様だよ。お話を聞かずに帰すというわけには、いかないでしょう」


「……でも、無理です」


「そのお役人様だって、鈴雨に会わずに帰るわけにいかないのよ。そんなことしたらそのお役人様の首が飛ぶんだもの」


「……それは、お気の毒です」


 扉越しに母の、困惑や気の重さを感じさせるどんよりとした霊気が漂ってきた。


 私ときたらせっかくの浄眼持ちなのに人との会話もろくにできず、その能力を発揮する場もなく、おまけに一生嫁にも行けそうにない。その上、こうして帝のご命令にさえ背こうとしている。母には迷惑をかけてばかりだ。


 母が放つ暗い色味の霊気を浴びていると申し訳なくなり、心が痛む。


 ……はあ、仕方がない。もう死ぬ気で工房から出るしかない。

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