20
電気のついている居間に夕也の姿はなかった。拍子抜けしつつ、音で風呂場にいるのだとは気付き、食卓に目を向けると案の定夕飯は用意されていた。一つの皿にこんもり盛られた炒飯は多い。取り皿を持ってきて取り分けながら食べていると、風呂を終えた夕也が現れた。
おれを見てあからさまに動きを止めるので、道すがら散々出した舌打ちがまた出そうになった。
「ただいま」
どうにか無難な言葉に変換した。夕也はおかえりと独り言みたいな音量で呟きながら、おれの正面の席に腰を下ろした。
じろじろ見られながら食った炒飯は一ミリも美味くなかった。卵に高菜に鮭のほぐし身と入っていて本当ならそれなりの味なのだろうが、視線が気になってどうでもよくなってきた。
食べ終わると同時に、
「なんだよ」
怒りも疑問もぶつけた。夕也は髪から垂れる水滴を拭きながら首を振った。
「……暗くなっても戻ってこなかったから、胡桃沢さんのところに泊まるのかと」
言われてちらりと覗いたスマートフォンは二十時半を指している。
「おれだって、泊まるなら連絡くらいする」
「そうか……?」
「明後日は鈴谷に話を聞きに行くんだ、余計なことはもうしない。……お前がムカつくのは変わりないけど、放火犯を探す方が重要だ。手伝ってもらってるんだから、節度は守る」
自分にも言い聞かせている台詞だった。夕也は何を考えているのかしばらく黙っていたが、やがて頷いて席を立った。
余っている炒飯を冷蔵庫へと持っていく背中を見送ってから、取り皿を流しへと持っていく。ついでに洗い始めて、そのおれの背後を冷蔵庫から離れた夕也が通り過ぎる。と、思ったが肩を掴まれた。
苛立ち半分驚き半分で振り返ると、自分の行動に困惑しているような顔を向けられた。じわじわ見開かれていく目の中が難しい色合いで揺れていた。
「なんだよ?」
「あ、いや……」
「言いたいことがあるなら、言えよ。胡桃沢と関わるのをやめろって話なら聞かないけど、それ以外なら多少は」
「なんで胡桃沢さんの話は聞かないんだ」
つい口を閉じる。夕也にどこまで説明しておくか、おれはずっと判断がついていなかった。なんせ、こいつが放火した説だって覆せてはいないんだから、おれにとってはほとんどの関係者がずっと容疑者のままだった。
でも胡桃沢は違う。あいつがこっちに引っ越してきたのは中学の頃だと知っている。それは確実だ。だからあいつが放火犯ってことはないし、お互いに頼みを聞き合う約束を交わしている。それは高校で出会ってからどっちも一度も反故にはしていない。
その説明を夕也にする必要があるのかどうか。完全に潔白だと思えるまでは、やっぱり保留にしておきたい。
二人して黙り込んでいた。止め忘れていた水道水だけが、水音を呑気に垂れ流し続けていた。
とりあえず皿洗いを済ませようと夕也の手を払い、胡桃沢には手伝ってもらっているからと、無難な事実だけを口にする。夕也は相変わらず黙ったままおれの斜め後ろに立っていた。気配の重たさを嫌でも感じる距離だった、納得していないとはわかった。
「とにかく、胡桃沢がいなくなるのは一番困る。お前に高校での交友関係まで口出しされるのは不愉快だ、もうあいつのことはとやかく言うなよ」
皿洗いを終えると同時に言い切った。夕也から離れて手早く着替えを手に持ち、逃げ込む意味で浴室にさっさと向かった。ここなら追い掛けては来ない。今までもおれが明らかに拒絶すれば深追いはしなかった。
そう思いながらシャツを脱いだところで、脱衣所の扉がノックもなく開いた。
夕也が出入り口で立ち尽くしていた。自分で開けたくせに酷い顔をしていて、呆然としたままそこにいた。
おれもまともに動けなかった。半ば混乱もしていたが、夕也の視線が剥き出しになっている火傷痕の上へと滑り落ちた瞬間に、ふっと解けた。
頭で考えるよりも先に体が動いて夕也の胸倉を引っ掴んでいた。
外に押し出すんじゃなくて中に引き摺り込んだ。なんのつもりだよなにが気に入らないんだよ、またいつもの兄貴面でもっとちゃんとしたやつと仲良くしろとか言い出すのかお前はと、力任せに壁に押し付けながら怒りをぶちまけてやったが、夕也はずっと途方に暮れた顔でおれのことを見続けていた。
だからなのか調子が狂い、胸倉を掴む手からは少しずつ力が抜けていった。
でも離し切れなかった。夕也がおれの手首を掴んでその場に留めた。殴れとか絞めろとか、今までのように言い出すかと反射で思ったけど、違った。
「凪、俺は、……お前の心配をする資格なんて、ないのかもしれないな……」
譫言のような呟きだった。夕也は視線を彷徨わせ、おれの手首を強く握った。
それから、覚悟を決めた様子で話し始めた。
夕也がまともな心情を口にするのは初めてだった。
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