第9話 何人寄っても文殊の知恵


「第一回、職員会議を始めます」




ぱちぱちぱちぱち。


心にもない拍手が職員室の一角に響き、空虚な末路を予感させる。旧式のコピー機に囲まれた空間、歴史教師の趣味で物置部屋と化した部屋。金印のレプリカやら土偶やら、多種多様な年代を重ねた骨董品で埋め尽くされた物置で、今、四人の物好きが談義を交わそうとしていた。




「今回ここに集まってもらったのは他でもありません」




眼鏡の男性が会話を切り出す。その真横で丁度ポットが熱を上げ、インスタントのコーヒー袋がジャージ姿の男に取り出される。




「佐藤センセ、コーヒー要ります?」




「ええ、お願いします」




「あ、私にも」




「はいよ」




緊張感など欠片も存在しない空気感。窓際に立てかけられていたパイプ椅子に寄りかかり、それぞれがコーヒー片手に優雅なティータイムを楽しんでいる。




「さて、さっそく本題に入りましょうか」




コーヒーカップを埴輪型のトースターに置き、飽和の限界を迎えた黒い湖に小さな砂糖のピラミッドを形成する学年主任、佐藤良和。




「悟、谷崎サン、おかわり要る?」




「要らん」




早速話の腰を折った第一人者、体育教師であり親友の多々良瑞樹。


そしてもうひとり、この場において中々に珍しい人選である彼女。




「あ、私はお願いします」




空になったカップを差し出し、瑞樹に対して丁寧に頭を下げる、茶髪でボブカットの女性。薄手のカーディガンを羽織り、パンツスタイルでカジュアルな装いをしている数学教師、谷崎楓。




そして国語担当の僕、真島悟。




上司と部下の関係でありながら同僚でもある僕達は、今日このメンバーで集まること自体初めてであった。




瑞樹が谷崎先生に湯気だった容器を渡し、躊躇すること無く熱い液体を胃に流し込むのを見届けて、一人だけ立ったままの主任が再び口火を切る。




「今回は、急な召集にも関わらずお集まりいただきありがとうございます」




「いえ、こちらこそわざわざ……」




定型文を駆使して、はじまりの挨拶をスキップする。さっさと本題に入りたいのはお互いに通じ合う所である。似合わない咳払いをひとつ、それから今日の議題が発表される。




「では、さっそく本題へ……本日は、皆様のお悩みを共有し、解決に導こうという企画です」




眼鏡のフレームを人差し指で押し上げ、蛍光灯に反射する主任の青白い加工ガラス。今日の趣旨を堂々と宣言する彼、しかし何を隠そう、今回この提案は僕たってのものであった。




『一人で抱え込まないこと――――』




以前、なんの毛無しに手向けられた台詞を思い出し、駄目元で主任へ相談に行った所、あっさり意見が通ってしまったのだ。そこからはもうトントン拍子で話が進み、こうして担任を持つ教師同士での話し合いの場を設けることが可能になったというのが、事の経緯である。




「……でも、こういうのってもう少し人数集めるものじゃないんです?」




「谷崎先生、あまりその話題は……」




「集まらなかったんだろ?な、悟」




「元凶が何を言うか」




職員室で瑞樹が発した二文字のパワーワード、その影響には計り知れないものがあった。人の噂は七十五日とは言うが、シュールストレミングのようにこびりついた僕への悪評は留まるところを知らないらしい。幸いにも、生徒にまで根も葉もあまり無い噂が流出することは無かったが、未だ僕とその他大勢一般教員たちとの溝は深まったままなのである。




「すみません真島先生、私も何とか説得したのですが……」




「いえ、お心遣いだけで十分です…」




「永遠に道草食うのやめません?」




冷淡な数学教師の言葉で我に返る僕と主任。彼女が今回の会合に参加してくれた理由はよく分からないが、主だったツッコミ役不在のこの場ではまさに人間潤滑油のような存在である。




「人をヴェトヴェトしたもので例えないで貰えます?」




素直な感想が口に出てしまっていたらしい。自分自身を油で例えることはあっても、他人に形容される経験は無かったもので、想像の余地が足りていなかったようである。




「いやはや失礼しました」




「まぁ、別に構いませんが」




どうやら、酷く気まぐれな生態をお持ちらしい。気不味さから手元に視線を落とし、少しばかり冷めたコーヒーを揃って啜る。えらばった表情でお互いに見つめ合い、なんとも言えない空気がどんよりと僕の肌を撫でていく。




「……なあ、早く始めようぜ」




痺れを切らした体育教師の一言。その鶴の一声で、やけに冗長だったプロローグはやっとのことで鳴りを潜めたのであった。












レディーファーストと言う訳では無いが、トップバッターは数学の谷崎先生であった。




「谷崎先生は今回、どういった理由でこの会合にいらっしゃったので?」




「……最近、私のクラスで、数学の成績不振が顕著な子が多くて」




分かりやすく肩を落とす彼女。これは由々しき事態である。自分が担任をこなしているクラスで、生徒達が自身の担当教科でテストの平均を落としてしまっているという事実。それは自信の喪失にも繫がってしまっており、自身の教え方に問題があるのではないかと勘ぐってしまうのだという。




「……谷崎先生の授業は、ちゃんとしてると思いますけどね」




「それで生徒達が成績を落としているなら、それはちゃんとしてはいないんですよ」




「継続的にやっていくしかないんじゃないですか?」




「それはそうなんですけど……」




僕が勤める中学校では、クラス替えの概念は存在しない。一度担任に指名されてしまえば、そのままずるずると三年間全く同じ顔触れなのである。それ故、必然的に教師と生徒間の距離感が縮まってしまうも自明の理であった。自分の教育を顧み、生徒達に本気で心配を掛けているあたり、彼女もつくづく職業病である。溜息をつくような呆れた表情の裏側には、教師然とした態度の他に、長い時間をかけて築き上げてきた子供達との確かな絆と情が見え隠れしている。




「この間だって、授業中に学級委員長ちゃんが……」




そこからは、ある意味惚気とも愚痴とも取れる発言を男三人衆でひたすらに頷きながら聞いていた。口を固く閉じ、意見せず、相手の語りを黙って聞く。時折、目配せや同意を挟んで話を聞いているアピールをするのも忘れない。こういった長話への対処法は、繰り返しによる長年の経験から培ったものである。


それから少しして、赤ばんだ横髪を揺らし、緩やかなマシンガントークをやっとの事で終える彼女。知らない国の言語を頭に叩き込まれた気分である。正直、話の内容は一ミリたりとも覚えていない。そこにあるのは全身の節々を貫く虚脱感と、目の前で肌を艶々と輝かせる、満足感に溢れた女教師の姿であった。




「……スッキリしました、ありがとうございます」




「いえ、こちらこそ…」




議論する余地はゼロであったが、彼女の気が晴れたなら結果オーライである。直立不動の主任、舌を天井に突き出して虚空を眺める親友。それらを横目に話を続けるように促していく。




「それじゃ、次は俺の番なワケね」




「……お前って悩みとかあるんだな」




「ちょっとだけな」




親指と人差し指を擦り合わせる親友。それは指ハートである。




「ぜひ、お聞かせ下さい」




薄っすらと主任に浮かぶ笑顔。先程までの戦いを経て、新しい友情の形が芽生えたような感じがする。そんな無益な事を考えていると、瑞樹が間髪入れず口を開いた。




「いやさ、転校生の少女が中々に破天荒でよ」




転校生。




「ほぉ」




感心する主任。それに追従するように僕達のレスポンスも続く。




「ああ、あの海外から来たっていう」




「……伊勢ミリア?」




「おお、正解。もしかしてコンタクト済み?」




「ちょっと一悶着あってね」




長い金髪をたなびかせる、図書室のカタコト肉食獣を思い返す。そういえば瓶底眼鏡少年の担任はコイツだったな、と今更になってその事実を理解した。準備室のそこらに落ちていた玩具の模造刀、潰された刃を弄くりながら瑞樹は続ける。




「こないだなんてよ、転校初日にいきなりクラスの男子に抱きついててよ」




「ええ……海外での常識なんですかね」




「……目に余るなら、ちゃんと注意しろよ」




僕はこれ以上強く言えない。事情が事情である。いつだって、恋する乙女は無敵なのだ。




「………あとで少し、詳しいお話を伺っても?」




「あ、はい」




おざなりな返事をする瑞樹、その先は地獄だぞ。主任の眼鏡が光っているうちは、どんな些細な問題も見逃される心配は無用である。再びいざこざに巻き込まれる瓶底眼鏡の少年を思い描き、軽く同情した。




「……さて、次は真島先生の番ですね」




そして、遂に僕のフェイズである。




「さあ先生、どうぞ」




「……僕も、生徒に関する事柄なのですが」




三上沙耶に関する相談は、これまでも悉く失敗に終わってきた。話を持ちかけ、ある程度軌道に乗ったと確信を得られはする。しかし次の瞬間、そのやりとりがまるで最初から無かったかのように振る舞われるような、散々な結果ばかりを残してきた。そこで今回、僕は策ともいえない一計を講じることにした。




「クラスでの、生徒一人あたりの仕事量が余りにも膨大でして……」




「真島先生、担当一人だけですもんね」




「ふむ………」




ぐにゃり。


うねうね。


ぐるぐる。




「「「……………」」」




来た。


突如として現れ、流れ出す空白の時間。先程までとは打って変わって僕の話から興味意欲、さらに関心態度を続々と失っていく同僚達。未知に侵され、限られた思考が急速に失われていくような、何度も経験したこの感覚。












「――――なので、仕事の分担のために、代理の生徒を捻出して頂きたくてですね」




で、あるならば。それを上書きするように、此方から予め出した結論を、提案という形で出してしまえば良い。ただそれだけの、酷く単純な話である。




議論をする必要は無い。彼ら彼女らは僕一人分の叡智の結晶に一言、同意の言葉を添えればいいだけなのだ。




「……別に、構いませんけど」




「おうよ」




「はい、分かりました」




「……ありがとうございます」




呆然とした表情を浮かべ、困惑を飲み込んでイエスを返す一同。作戦は成功である。




(今の彼女には、不必要なものだし)




そも、係活動というものについて。これは生徒達の連帯感や自身の力で学級環境を豊かにする、というのが元々の名目なのだ。僕のクラスは連帯感なんて言葉から縁遠く、学級環境を悪化させる要因はもっと別の所にある。それ故、優先順位が違うのだ。今一番大切なのは、三上沙耶の負担となる無駄な障害を、少しでも取り除いてやる事なのである。




「はい、僕の話はおしまいです」




「……ちなみに、今までは?」




「厚生委員兼広報委員兼保健委員兼学習委員兼生活委員兼整備委員兼学級委員長をワンオペですね」




驚愕の事実から目を見開き、マーモットのような体勢で固まってしまう紅一点の崎谷楓。そんな彼女を尻目に、僕の方を向いてソワソワと落ち着きのない学年主任。そんな彼は消去法で、今回の無責任なオチ担当である。




似合わない咳払いを再演する学年主任に対して、模造刀に飽きたらしい瑞樹が先んじて口を開く。




「佐藤センセはどうしたんスか?」




落ち窪んだ目、睫毛の色に数本の白を覗かせる主任。意を決したように、声のトーンを数段落とした状態で話を切り出す。




「………実は最近、娘に嫌われてしまいまして」




「「「………」」」




なにか深刻な話でも飛び出すかと思いきや、モロに私事であった。後半パートから一気になんの捻りもなく、ただ単にお悩み相談コーナーと化したこの時間。なんとも言えない気持ちになる一同の感情を読み取り、立ち上がる男が一人。




「めっちゃ家庭の事情じゃないスか」




この場に集まる全ての人間の思考を代弁するかのような発言。非常に頼りがいのある男である、多々良瑞樹。




「娘さん今いくつなんですか?」




勢いよく席を立ち、畳み掛ける谷崎楓。愚痴を吐き出した後、味方になっても弱体化しないタイプの彼女に心の中で感謝する。




「十七です」




「じゃあ、来年は受験生ですか」




「私含め、皆さんも受験生を抱えていますからね……」




「僕は一人だけですけどね」




乾いた笑いは生まれなかった。大して面白くもない、そもそも見向きもされないジョークは隙間風に流されていく定めである。認識されているかも怪しい。




「……ちなみに、心当たりとかあったりします?」




「それが、全く……」




「ほら、ちょっと考えてみて下さいよ」




唸り始める主任。隙間から見える扉越しの隣の職場には、紙を捲る音、採点のため赤ペンを走らせる様子。それから教師と生徒の会話シーンが一枚のフィルムのように放映され続けている。コピー機の稼働音がけたたましく鳴り、書類を落としながら慌ただしく職員室を飛び出していく同僚達。そんな日常の光景を間近にして、既視感ばかりを覚えてしまうことに少しばかり、虚しさと寂しさを感じてしまう今日この頃である。




それから、時計の針が十二分の一程を回ったその瞬間。火花が弾けるような衝撃、学年主任が思い出したかのように掌に拳を打ち付けた音で目を覚ました僕達は、揃いも揃って不格好なステップを踏む羽目になった。




「ああ、そういえば」




「なんでしょうか」




「年頃ですし、娘の洗濯物を別にして洗ったのですが、どうにもそこから様子が可笑しくて」




「何を言ってるんです?」




谷崎先生がやけに冷淡なツッコミを入れるが、何が疑問なのか点で分からない様子の学年主任。水道代が勿体ないので、同居人に纏めて洗濯してもらっている身である僕は徹底的なノーコメントを貫かせてもらう事にした。




「……ファザコンかぁ」




「幸せな家庭っぽいスね」




「私達の関与する所じゃないですね」




「……私は一体どうすれば」




頭を抱える主任。




「取り敢えず、今まで通りに戻したらいいと思いますよ」




「それでいいんですかねぇ……」




「嫌なら嫌って、はっきり言うと思いますよ」




合点のいかないらしい主任は腕を組んで再び唸り出してしまった。しかし、しっかりとした上司のことである。なんとかなる、否、するであろう。




「……まぁ、今日はこのくらいで解散しときますか」




「「賛成」」




そうして、四人きりの職員会議は幕を閉じた。










後日、娘との関係に改善が見られたことを喜々として報告してきた主任。彼以外にも、各々持ち寄った問題に対して改善の兆しが見られたらしかった。それ故、僕の噂が収束した後も、不定期に四人きりの職員会議が行われる事になったのはまた別の話である。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る