第3話 腹が減ってはなんとやら


 剥き出しになったうら寂しい鉄骨、二階建てアパートの階段を登る。趣味じゃない蜥蜴の人形と、百均で揃えたワンコインの鈴が取り付けられた鍵。一歩足を踏み出すごと、掌に握ったキーホルダーが擦れ合い、凛とした音色を奏でている。




 酷い錆に汚染された二◯三号室のナンバープレート、隣に聳える漆黒のドア。石緑が侵食したシリンダーに鍵を差し込むと、ガチャリンコと解錠の合図。ドアノブをひねる作業はお手の物である。




「おかえりなさい、先生」 




扉の向こう側から、喜々とした笑みを浮かべた小柄な少女が飛び出してきた。




「ただいま、ミカミちゃん」




玄関に靴を揃え、持っていた鞄を彼女に預ける。やけに重量のあるそれをえっちらおっちら運ぶ姿は、もはや日常の象徴と化していた。足首まで伸びた白髪、手前の横髪の三つ編みが揺れる。爛々輝く青みがかった金剛石の瞳が、僕のくすんだ眼を捉えていた。




「約束通り、今日はお蕎麦」




小学校で作るような、ドラゴンの柄が刺繍されたエプロンを脱ぎ、座卓に手招きする彼女。予め用意されていた無地の緋色の座布団に腰を下ろす。




食卓には何処からか取り出した本格的なざると、ツヤのある蕎麦に申し訳程度に添えられた海苔。それから、プラスチック製の容器に注がれた水割りの甘醤油。葱はお好みで、といったふうに細かく刻まれて小皿に盛り付けられている。




「「いただきます」」




意図せずとも重なる合図を皮切りに、箸が麺へと伸びる。出汁に浸された蕎麦、滴る水滴が弾けて喉を通っていく。




「……美味しいよ、ミカミちゃん」




「茹でるだけだけどね」




「そんなことないよ、いつもありがとう」




「……えへ」




何度目か知れない台詞を吐く。再三言うが、紋切り型だろうがなんだろうが、感謝なんてのはしてもし足りない位が丁度いいのだ。




箸が何往復かして、再度大雑把に刻まれた葱を投入するタイミングで改めて彼女の方に視線を向ける。




フルレングスの下穿が覆い隠せる位に伸びた、欠落した色素で彩られた白髪。ハネた毛先はやや赤ばんで、金剛石の瞳の輝きをより一層強めている。




僕の今の日常は、文字通り彼女の色に染められていると言っても過言ではない。




部屋の半分以上の面積を占めるカーテンはパステル調のローゼカラー。壁に飾られている時計は縁取りが黒く染まっている。また、コップに関しては無色透明のガラス細工とは別に、朝の珈琲用で揃えた白妙のマグカップが収納されている。




先程の発言を少し訂正しよう。僕の今の日常は、文字通り彼女の色に染め上げられている。




―――――日常、もとい僕の愛しのマイホームは現在、大半が彼女の私物によって生活圏が構築されていた。




無論、共同で使うものは彼女と一緒にショッピングモールやらで調達するが、それ以外の小物類等は全て彼女の持ち込みで賄われている。責任の所在は私物の持ち込みを注意しなかった僕自身にもあるのだが、やけに愉快な表情をしている彼女を見ていると、止めようにもその気になれなかった。




端的に言うと、可愛くて甘やかしてしまっていた。そして、彼女はつけあがっていた。まぁ、警告する気もサラサラ無いのだが。果たして本来の彼女の家に家具と形容されるようなものは残っているのか、それは神のみぞ知る所である。












つつがなく食事は進み、食後のデザートとして帰り際にコンビニで買ってきたスーパーなカップアイスを舐る。白くて甘い。エアコンのフィルターがごうごう唸り、電波時計が鳴らすチクタク音が食後の静寂を揺らしている。




落ち着いた空気の中、人を愚かにするクッションに絆されたマヌケが二人、この部屋に怠惰の滞在をすっかり許してしまっていた。




胡座の姿勢のまま、ビーズの森に倒れ込み快楽を貪る地球人AとB。彼女は僕の腹部に背中を預け、完膚なきまでだらけきった体勢でスマートフォンをポチポチ弄っている。人間とは適応する生き物で、ついこの間までもう少しばかり距離があったはずの僕のパーソナルスペースは、空のアイスカップと圧制を掲げる彼女に悉くを略奪され尽くしていた。




「むむぅ」




人中を曲げ、携帯と格闘する彼女。位置が気に入らないのか、僕の薄っぺらなアンダーバストをぐいぐい頭頂部で押し上げ、自らの巣穴を作り上げていく。




ぐりぐり。ぐしぐし。どんどん。




無意識下のストリートファイトの末、遂に快適な場所を見つけたらしく、僕の喉仏のあたりまで頭を擦り寄せる彼女。猫が鍋に吸い込まれていくようにすっぽりと、質量をそっくりそのまま全身で受け止める。




まるで体重そのものを切り取られたように軽い体。自己申告では四十キロジャストを自称していたが、本当に内臓が詰まっているのか疑いたくなる位の肉体だった。




―――やや制服のシャツから浮き出した肩甲骨を布越しに感じながら、どうにも湧き出す悪戯心。




「ちょっと失礼」




「ん」




直々に許可が出たので、彼女の腹部へ遠慮なしに両手を突っ込む。




「――え?」




薄っぺらなシャツの中は子供特有の体温で満たされており、ほんのりと芯があるように温かい。怪訝な表情を浮かべ、こちらを振り向くために人間リクライニングシートを解除しようと体をよじらせる彼女。しかし彼女の誤算は、僕が思いの外、自分の欲望に正直な人間だったという一点に尽きる。僕の好奇心は留まる所を知らなかった。




彼女の腹をつまみ、いっぺん揉み上げる。




「んへっ」




変な声で喘ぐ彼女。顔をみるみるうちに真っ赤にして、思わず口を両手で抑える。見上げるようにして送られる抗議の視線。しかしそんな事を気にする暇もなく、弛んだ腹部をさらに捏ねていく。




「――ッ」




大人と子供の中間、むっちりとした中学生特有の未熟で瑞々しい肌。内臓そのものを持ち上げているような、僅かににぽっこりと突き出した腹を何度も、何度も何度も丁寧に揉みしだく。


ザマ


「あッ」




祭りの途中でポイから逃げ出そうとする和金。しかしその短い手足では抵抗もままならなず、皮膚と同化した腹肉を執拗に捏ね上げられていくザマ。




「んっ、ンッ、あ、あっ」




むくむくと高まる未知への探究心。並行して満たされていく欲望の器。中学生の生き生きとした細胞で組成された柔肌に触れ、掌を変形させながら、弾力のある下腹部をひたすらに練り上げていく。




「――――ッ!!」




心地よく、小気味よく、柔らかい。すべすべとした触り心地の臍部は指の中腹でなぞるとしっとり湿っており、へそ周りには一日中学校生活を送った証である汗がオイルのように流れ出していた。パンを捏ねるような集中力で、夢中になって現役中学生の膨らんだ腹を撫で付ける。自身の木の幹のような固い手とまるで違う感覚に、虜になってしまっていた。












長い旅路の果て、息も絶え絶えといった様子の彼女。僕がそれに気付いたのは、既に瀕死の状態の彼女が言語機能を失い、赤ん坊のクーイングの如く「あー」やら「うー」だの言う事しか出来なくなって、暫く経ってからの事だった。




「やってもうた」




現状報告と共に、突如跳ね起きる彼女の身体。口元の屈辱をぬぐい、ぬっそりと僕を見下すように立ち上がる。




「わーお……」




「……ねぇ、先生」




「はい、何でしょうミカミさん」




「なにか言うことは?」




「………ごめんなさい、調子に乗りました」




四つん這いになり、今にも地を舐めそうな距離でフローリングと見つめ合う。彼女は足を組み、僕の腰のあたりにふんぞり返って座った。玉座にしては荘厳さが足りないが、傍目から見れば豚と女王の関係性である。




「謝ったらなんでも許してもらえる訳じゃないんだよ」




最低。言葉の鞭が僕の体を打つ。生まれるのは快感ではなく屈辱であった。




「いやそのほんと、反省してますので……」 




「そうだよね、それしか言えないもんね」




「………」




待ち受けていたのは絶望のシャトルランであった。どんなに言葉を尽くしても、やらかした過去は変わらない。しかし、人間は元より罪深い生き物。今更、重ねた罪など数えてなどいられないのだ。




「良いお腹でした……」




「っ、言わなくていいから…」




「大層夢見心地でございました」




人生とは儚いものである。しかし、このままでは彼女との関係性に罅が入ってしまう。それは不味い。既に手を出してしまっているとはいえ、これ以上の愚行は許されない。誠心誠意謝り続け、彼女が呆れて許してくれるまで請い願い続けるのみである。




「……はぁ、もう良いよ」




多少の間が空いた後、溜め息がひとつ。それと同時に、砕けかけていた腰から少女一人分の質量が取り除かれる。




「謝謝……」




「今回だけだけだからね?」




「ごめんなさい」




塩漬けされた水菜のような気持ちで、萎びたまま返事をする。危なかった。彼女を卒業させると誓ったばかりなのに、その対象自身と軋轢が生じてしまうのは酷く不都合極まりない。彼女の汗で湿った掌で床を押し、うぞうぞと尺取り虫のように立ち上がる。




「もうしません」




「……偶にならいいよ」




「まじ?」




「や、やっぱ駄目!」




無造作に投げ捨てられていたクッションが、僕の顔面に見事ストライクを放った。




酷く、懐かしい感覚であった。

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