抗え!ティーチャー
やすり屋
第1話 児童性愛者はかく語りき
未成年に手を出してしまった。それも中学生。末期である。
狭いアパートの部屋の中をカーテン越しの日光が照らし、嫌でも自律神経を刺激する。半ば無理矢理な覚醒を促され、疲労感と多幸感の混じり合った最低の気分で体を起こした。寝ぼけ眼を擦り、欠伸を噛み殺す。
「おはよう、先生」
瞬間、心臓から口が飛び出す錯覚に陥った。使い物にならなくなった目下の布団に視線を向ける。純白のシーツには昨夜の犯行の痕跡であるシミだらけであった。整えたばかりの体内のプロセスがジェンガのように崩れ落ち、朝からひどい動悸に襲われる。
「……おはよう、ミカミちゃん」
我が家のインテリアには不調和な、パステルピンクのカーテンの仕切りから片目だけを覗かせて、ひとりの少女がこちらを見つめていた。カラカラとカーテンを引き摺り、のっそりと、かつて来客用だった布団から這い出てくる。はだけた純白の首元、善意で貸し出した寝巻きが本来の役割を果たしていないことに加え、昨夜の件から来る気不味さと罪悪感から自ずと視線を逸らしてしまう。
「―――取り敢えず、朝の準備してくる」
「あ、うん」
そう言って、それが当たり前であるかのようにキッチンに向かう彼女。動揺からくる形だけの感謝は一応届いたようで、淡々とした返事が聞こえてくる。シンクにはコップが数点と、黒光りする箸がニ膳放置されていた。
水が流れる音がして、ワンテンポ遅れてトースターが鳴き出す。
それから数十分もしないうちに、素焼きのトーストとサラダが運ばれてきた。両手にインスタントのコーヒーカップわ携えた彼女が向かいの席に座る。
「いただきます」
「い、いただきます」
彼女の合図に追従して朝食が始まった。差し出されたアイスクリームをスプーンごと、震える人差し指で押し返し、コーヒーを煽る。
「熱ッ」
パンの焦げ目をアイスでコーティングしていた彼女が、僕の反応を見て苦笑する。平静を装って再びコップの縁に口をつけるも、苦い敗北の味を舌に焼き増すだけの結果に終わってしまった。
またぞろ差し出された半分きりのアイスカップを今度こそ受け取り、スプーンを手渡される。余った部分を掻き出して、まんべんなく塗りたくっていく。湿ったトーストを齧り、改めて彼女の方を見やる。
足首まで伸びた白髪、手前の横髪は三つ編みで、特徴的な外ハネがある。毛先はやや赤みがかっており、成長期がネグレクトを決め込んだのかと勘違いを引き起こしそうになる位には小柄な体型。そして今も尚、僕を捉えて離さない金剛石の美しい瞳。
三上沙耶、中学生三年生。
僕が担当する生徒のひとりである。
「先生、学校遅れちゃうよ?」
「……その、先生っていうのやめようか、ミカミちゃん」
「先生は先生だし」
「此処は学校じゃないの」
いつの間にか空になっていた食器を見下し、温くなったコーヒーを食道へ一気に流し込む。
「ごちそうさまッ」
「あ、ちょっと……」
そのままの勢いで立ち上がり、スプーンを口に咥え、それからカップを手にキッチンへと向かう。座卓に取り残された彼女は眉根をひそめ、惜しげもない視線を僕に注いでてた。
それを悉く無視して、台所に皿を落とし、百均で買ったスポンジを泡立てる。吹けば飛ぶ泡、洗剤から香る柑橘、檸檬の匂いが鼻腔をくすぐる。流れる水はやけに冷たく、コーヒーの熱で温まったはずの手は水道水に浸されて痛いくらいだった。ヘッドから出る流水が全て針に置き換わったかのようである。
しかし、こうして針のむしろになっている間は、余計なことを考える必要がない。仕事は、嫌いじゃなかった。
「先生……」
(……不味い)
「……………?」
首を傾げる彼女にちらりと視線を送る。その金剛石の瞳に見つめられていることを意識するたび、昨夜の光景がフラッシュバックしてしまう。
内股気味に、情けないポージングを維持しながら二人分の食器を洗っていく。湧き出す罪悪感と背徳感で、頭はどうにかなってしまっていた。
興奮冷めやり、崩壊しかかっていた大人の矜持と冷静さを取り戻す頃には、すっかり洗い物もなくなっていた。
少女はクローゼットのハンガーに掛けていた紺色のブレザーを水色のシャツの上から羽織り、丈の長いスカートとハニーイエローのリボンを首元に留める。それから玄関に向かい、ローファーにさらりと輪郭のはっきりした足を通した。
「先生、お見送りして」
「……へいへい」
その細腕からは考えられない程の力でタンクトップを引っ張られ、玄関まで連れてこられる。まるで昨夜の事をなかったことのように振る舞う彼女が、ありがたくもあり、それでいて少しばかり気に入らなかった。
「じゃあ、行ってくる」
「いってら」
微笑んで、手をふる彼女。思わずつられて手を振ってしまう。
「あ、そうだ」
「なんじゃいなんじゃい」
「帰ってきたら、続き、する?」
年齢からは考えられない蠱惑的な微笑。その空気に当てられそうになって、乱暴に思考を振り払う。
「――――ッ、しない。早く行けっ」
「うん、また後で」
そう言って、狭いアパートから出ていく彼女。半ば投げやりに見送りを済ませ、玄関の扉にずるずると背中を預ける。
「ヤっちゃった………」
真島悟、二十五歳。性犯罪者である。
事の発端は前日の夜まで遡る。
その日も普段通り、学校の帰りに僕のアパートに寄った彼女が用意してくれた料理に舌鼓を打っていた。出汁に浸された蕎麦に箸をつけ、滴る水滴が弾ける前に喉をするする通っていく。基本献立は彼女任せなのだが、昨夜はどうしてもあの喉越しを味わいたくてリクエストしたのだったか。
『………美味しいよ、ミカミちゃん』
『茹でるだけだけどね』
『そんなことないよ、いつもありがとう』
『……えへ』
何度目か知れない台詞を吐く。たとえ紋切り型だろうとも、感謝なんてのはしてもし足りないくらいが丁度いいのだ。
照れくさそうに頬を掻く彼女。
三上沙耶、十四歳。
毎日のように僕の世話を焼いてくれる女神のような存在であり、そして僕を性犯罪者の括りの中にぶち込んだ張本人でもある。
床にすれすれでつくかつかないか位に伸びたハネのある長い髪。毛先がやや赤みがかっている以外は色素が全て抜け落ちたかのように透き通った白。薄い眉に小ぶりな鼻と、自己主張の穏やかでしとやかな唇。十四歳という年齢に見合わない小柄な体型と、青空を落とし込んだような美しい金剛石の瞳が特徴の少女。
彼女は僕が教師として便を取っている生徒のひとりであり、特段目をかけていた存在でもあった。
彼女は新入生であり転校生だった。教室ではその異質な外見と新しい環境、さらに本人の性格もありクラス内で酷く孤立していた。
子供というものは純粋であり、純粋とは白痴である。それは当然なのだが、その真っ直ぐさと無自覚な残酷さが相反するものながらも両立してしまう時期に思春期なんてものが到来するのだから、たちが悪い。大抵の事象は時間が解決してくれるが、彼女の状況は改善する兆しも見られず、刻一刻と時計の針ばかりが進んでいった。
そんな状況をなんとか解決してやろうと、カウンセリングを始めたのが彼女と深く関わるきっかけだった。苦心しながらレクリエーションやら面談やら様々な手を尽くした結果、夏休みが始まる直前くらいには彼女も少しばかり、クラスに打ち解けることができていた。
彼女が進級を果たす時など、卒業する訳でもないのに滂沱の涙を浮かべ、予め用意していたハンカチ十枚が飛ぶように無くなったものである。しかし、僕と三上の関係性など所詮は教師と生徒のものに過ぎず、僕自身も教師としてのやるべきことをやっただけという事実は変わらない。
そして四月。
終業式が無事修了し、待望の春休み。
彼女が、僕のアパートにやってきた。
インターホンが鳴る。
覗き穴を介して外の様子を伺うと、それは確かに僕の生徒である三上沙耶、そっくりそのまま張本人だった。
何故僕の住所を知っているのか、果たして何をしにやって来たのか。恐らく部屋を間違えているものだとシカトを決め込んでいると、閉まっているはずの扉の鍵が開く音がした。
絶句した。
幸いにもチェーンを掛けていたので直ぐ侵入とは行かなかったが、僅かに空いたドアの隙間越しに「入れてくれないと扉の前で泣き喚きますよ、全力で」と脅され、真っ昼間から自分が周囲の人間から何を仕出かしたのか疑われるのを恐れ、渋々彼女を部屋の中に招き入れた。
そこからはもう、ずぶずぶだった。
学校から帰るたびに大家から借りたらしいマスターキーを使って我が家に侵入してくる彼女。初日なんて部屋の汚さを指摘され、控えめな罵詈雑言とともに部屋を掃除する流れになった。僕は戦力外通告を受けアパートの外に放り出された。解せぬ。
ある日は料理を振る舞われ、普段コンビニ飯ばかり摂っていた僕の体に染み渡っていく温かい家庭の味。初めて口にしたオサレな名前の皿の数々。すっかり絆され、いつの間にやら僕の胃の中に入るのは彼女の手料理だけになってしまっていた。
またある日は狭い部屋の中に彼女の私物を持ち込み、今ではリビングの半分くらいが彼女のモノで占領されている始末。全く手に負えない。
そんなふうにズルズルと、半ば同居人として共に時間を過ごしていくうち、既に彼女なしでは生活もままならなくなってしまっているのが現状。
駄目人間の完成である。
そして話は冒頭に遡る。
その日は休日、彼女の誕生日で、いつも世話になっている礼としてささやかなパーティーを開催することにした。彼女は遠慮していたが、そのやや強情な態度をなんとか押し切り、あらかじめ予約しておいたチーズケーキを一緒に受け取りに行った。それからスーパーでパックの寿司やらチキンやら菓子類を買い漁り、そこそこの奮発でしぼんだ財布に涙しながら自宅へとたどり着いた。
机に購入した物品その他諸々を置き、部屋を暗くしてチャッカマンで蝋燭の火を灯す。彼女がそれを吹き消すと、クラッカーの破裂音と共に宴が始まった。
僕もその日は何時もより気が大きくなって、普段ほとんど飲まない癖に冷蔵庫から缶チューハイだかビールを取り出して胃に流し込んだ。それから談笑、時折愚痴と酒をこぼしながら同じ空間で同じ時を過ごした。もはや何を言っても何をしても楽しい空気になっていたような気がする。
そして、事件は起きた。
その日はもう夜も遅いからと、彼女を家に泊めた。既に可愛らしい私物達に侵食された部屋の一部には、以前部屋のど真ん中で着替えていた彼女の慎みのために、仕切りとなるアコーディオンカーテンが設置されていた。これもそこそこ痛い出費である。長らく使用されていなかった来客用の布団を引っ張り出してきて、今夜はそこで寝るように言いつけた。恐らく、この時点で僕は選択肢を間違えていたように思う。
そして事件は起こった。
時刻は二時四十六分、丑三つ時を少しばかり過ぎた頃。普段根付きは良い方なのだが、その日は何処か熱に浮かされているような、そんなあやふやで不思議な感覚があったのを覚えている。けれど幾ら測っても手元の体温計は平熱を指し示すので、水でも口にしようとして寝床を抜け出した。
それが、良くなかった。
「うン……」
少女のうめき声が聞こえ、思わず視線を向ける。蹴飛ばしたのか知らないが、何故かカーテンは開いており、外から彼女の様子は筒抜けだったため、とっとと閉めてやろうとコップを台所に置いて近づく。
長い睫毛の瞼は深く閉じられ、彼女が微睡みの中に未だ囚われていることは明白であった。
けれど、その光景から目を離すことは
叶わなかった。身体が、その場から動くことを拒んでいた。思わず息を呑む。
掛かっていたであろう上掛けは布団から足元に弾き飛ばされてしまっている。しかしそれ故、毛布が覆い隠していた小柄な身体が見るも露わになっていた。側臥位から辛うじて見える上半身は襟が開けており、年齢に見合わない春の風のような艶かしさを感じさせる。首元に書いた汗、シミひとつない病的なまでに白く美しい肌に流れるそれが、彼女の芸術的なまでの美しさを一層引き立たせていた。
朦朧とした意識でそれを見つめていると、不意に、彼女の吐息が熱っぽいことに気がついた。風邪か何かかと、一切の魔が差す余地も残さず純粋な心配から彼女に近付く。しかし、それがどうやら違うらしいことを、彼女自身の行動が示していた。
熱を帯びた、湿っぽい吐息が薄い唇のひだから漏れ出している。甘い寝息、漏れ出る吐息を留めるように唇をきゅっと締める彼女。そして、その間もかすかに上下し、痙攣する小柄な肢体。輪郭が溶け出しそうに湾曲した膝、条件反射で動く足先。目尻にはうっすらと涙すら浮かび、無意識の中、しきりに何かを求めるように、不安定な左手はシーツを必死に引っ掻いて皺を作っている。
こころづいた時には、彼女に覆いかぶさっていた。
そっと頬に触れる。人肌特有の生暖かさが掌へ直に伝わってくる。指先で前髪を掬うと、敏感なのか微かに身じろぐ。歪んだ視界、ほんのり漂う甘い香りが鼻腔を刺激し、こころを溶かして腐らせていく。額にそっと、自分勝手な接吻を落とした。
彼女の肉体を、自分の影が全てすっぽりと覆い隠している。なだらかな足を、柔らかな尻を、くびれた腰を、小ぶりな胸を、か細く脆い腕を、滑らかな頬を、つ艶めく髪を、それぞれ愛撫するたび、びくびくと、面白いくらいに跳ねる無様な姿を隈なく見つめている。
花に誘われた愚かな虫が、その蜜と肉体を余すところなく内側から食い尽くしていく。
既に、僕を人たらしめる理性は闇夜に溶けてなくなっていた。金剛石の瞳が、うっすらと僕を見つめている。まるで、なにか大きな力に操られているように全身が動く。
身体が、やけに熱かった。
紅の花が一輪、溢れた。
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